まちあかり―庭灯ー

arasuji
有志の女性数名による文芸サークル「まちあかり」の詩と短編小説のアンソロジー。これまでにも冬をテーマにした『冬灯』、旅をテーマにした『旅灯』などを文学フリマで頒布しており、8回目の文フリ参加となる第二十回文学フリマ東京での新刊『庭灯』は、「庭」を共通のテーマとした作品集。
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kansou
幼少の頃、私の実家には大きな百日紅の木があった。既に20年も前、実家の改築に際して伐採されてしまったのだが、かつての私はその百日紅に登り、高い場所から周囲を見下ろし、また幼子の背の高さからでは見えない光景を見ようとしたものだった。
高い所に登り、遠くを見れば、その遠くへ行ってみたくなる。私はそういう人間だったようで、やがて自宅の庭から見渡せるような生活圏を抜け出し、各地を旅するようになった。
そんな私が、「庭」ないし「庭園」というものに意識を回帰させるようになっていったのは、二十代半ばを過ぎて以降のこと。外国からの来訪者を日本庭園に案内し、また自分自身が国内外の庭園を訪れるようになってからである。
限られた空間の中に、造営者の世界観を再現する。しかし単なる世界の「切り取り」や「ミニチュア」に終始するのではなく、造営者が世界の中に見出すエッセンスを抽出し、それをバランスよく再構成することで仕上げていく。当然といえば当然だが、庭造りの奥深さに気付かされるのに、私は庭の「外の世界」を経験する必要があった。
本作『庭灯』には、そのようにして外の世界から庭園へと意識を回帰させた著者たちによる作品が数本、収められている。
かつて「少年」だった男性が、時の止まった庭へと足を踏み入れる小張葵氏の「あの頃」。あるいは、子供が冒険する場としての庭について、子供と大人(正確には「元・子供」というべきか)の双方の視点を交えて綴った萌黄桂氏の「私の庭」など。
本書に収録された多くの作品では、子供にとっては単なる空間に過ぎないか、さもなくば冒険の場=自分にとっての「世界」である庭園が、大人になっていく中でその位置付けを改めていく過程が描かれている。勝手に評者の経験と重ね合わせてしまい恐縮だが、やはり本書の著者たちも、大人として庭の外に広がる世界を各々経験し、その上でご自身の意識を庭園へと回帰されたのかもしれない。
大人になってから意識を回帰させると改めて気付かされることも多い庭園という存在。本書は、そんな「庭園」の側面を丁寧に描き、かつコンパクトに(まさに庭を造営する時のように)まとめた良作が収められたアンソロジーに仕上がっている。
編集後記によると、メンバーの多忙ゆえに作品作りが難しい状況が続いているとのことであるが、毎回安定して良作を出される文学フリマの常連でもあるだけに、今後とも無理のない範囲で活動を続けていただければと思う。

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発行:まちあかり
判型:文庫 58P
頒布価格:200円
サイト:なし Twitter:@machiakari_dayo
レビュワー:高森純一郎