夕焼けの村

 皆さん、はじめまして。私は『夕焼けの村』にたった一軒しかない家の主です。
 『夕焼けの村』なんて知らないですって? そりゃあそうでしょう。この村の存在を知る者はごくわずかです。ここを訪れた人たちは、ここで過ごしたことも含めて記憶が全てなくなってしまいます。私だけが、時とともに記憶も曖昧にはなりますが、ここを訪れ去って行く人たちのことを覚えています。
 ここは不思議な場所です。便宜上『村』となっていますが、私が住む家一軒しかありません。村は山奥にひっそりと隠れるようにあります。さらに村では太陽が沈みません。けれど昇ることもありません。空はずっと夕焼けに覆われています。この村だけが夕焼けの時間で時が止まってしまっているのです。村を出れば突然、太陽が沈んでいたり昇っていたり、あるいは天気も晴れたり曇ったり雨が降ったりもします。
 私は時には村を出て山を降り、ふもとの町で買い物などをします。突然ふらりと現れるお客様と、そして何より私自身のための食糧などが必要なのです。家の裏手では畑を作っており、少ないながらも家畜もおります。町で買わなければならないものは多くはありませんが、しかし全くないわけではありません。
 この夕焼けが続く村において、時間の概念というものはないに等しいものです。心の向くままに眠り、起きて、畑を耕し、そして食する。不思議と夕焼け続きでも畑では野菜が実ります。家畜も元気に育っています。そういう場所なのです、この『夕焼けの村』は。

 さて、今日は何日か前に訪れたお客様のことをお話ししましょうか。もしかしたら数日ではなくもっと前にいらっしゃったお客様かも知れませんが、その辺りのことはもう曖昧です。
 その日、私は久方ぶりに町へと降りていました。村を出てみると、ちょうど太陽は頭上にありましたので、お昼頃だったのでしょう。町へ降りるのは、それほど時間がかかりません。町で買い物を終えて村に戻る頃、空はまだ青く澄んでおりました。しかし村へ入った瞬間、空は見慣れた夕焼けに変わったのです。私にはここへ来てからの記憶はございますが、『夕焼けの村』へ来る前の記憶がございません。それを寂しいとか悲しいとか思ったことはございませんが、時々、無性に夕焼け以外の空が見たくなります。町へ買い物に降りるというのは、私のそういった欲求も満たしてくれるのです。それでも、村に戻って夕焼けの空を見ると非常に安心するのも、また確かなのです。
 話がずれてしまいましたね。私が村へ戻り、家に入るとかすかな気配を感じました。またお客様の訪れがあったのだと、私はすぐに気が付きました。何十回も経験したお客様の訪れですが、顔を合わせる前はとても緊張するものです。
 家の中をゆっくりと見て周り、最後に縁側に佇むお客様を見つけたのでした。

 お客様はお二方――正確に言うならば、お一人と一匹でした。珍しいこともあるものだ、と私は思いました。この夕焼けの村に訪れるのは、人間のお客様ばかりです。猫のお客様は初めてのことではないかと思います。
 人間の方は後ろ姿を見る限りでは女性のようです。肩ほどの長さの黒い髪が微かな風に揺れています。座敷から持ってきたのか、座布団を敷き座っていました。ぼんやりと庭を眺めているようです。こちら側の庭は大した広さもなく、隅に木が植わっているだけの殺風景なものです。
 彼女から少し離れたところにも座布団が敷かれ、そちらには真っ白なお猫様が気持ちよさそうに丸まって寝ています。お連れ様なのでしょうか。
 その光景に思わず見入ってしまったほど、お二方は何かの物語の一幕のように、私の目には映りました。いつまでも見ていたいのはやまやまですが、そういうわけにもいきません。
「いらっしゃいませ、お客様」
 背後から突然声をかける無礼をお許しくださいと心の中で呟きます。女性はゆっくりとこちらを振り向きました。きょとんとした表情は、まだまだ若いようにも見受けられます。
「驚かせてしまいましたでしょうか? 私はこの家の主です。はじめまして」
「はぁ……。よろしくお願いいたします」
 女性の瞳は少し虚ろで、私のことを見ているようで見ていないのかもしれません。返事も条件反射でなされたものなのかもしれません。しばらくすると、また庭へと視線を戻されました。隣のお猫様は、話し声にも全く反応を見せず、気持ちよさそうに寝ておられます。

 日がな一日、お二方は縁側に座ってぼんやりと庭を眺めておられます。食事を横に置けばゆっくりと食べていらっしゃいます。すぐ後ろの座敷をお二方のお部屋にして布団を用意してあると伝えてからは、時には寝ていらっしゃることもあります。お猫様は座布団で寝ていらっしゃることが多かったのですが、布団に眠る女性の方に寄り添うようにしていらっしゃることもありました。
 そんな光景を見ていると、ふと私もその中に混ざってみたくなりました。お盆にお猫様用の新しい水とご飯、二人分のお茶とお茶請けを乗せてお二方の元へ。お猫様の横に水とご飯を置いた後、女性から少し離したところに自分用の座布団を置き、間にお茶とお茶請けを置きました。
 私はお二方のお名前を存じ上げません。みずから名乗って頂ける方もいらっしゃいますが、基本的にお客様ご自身のことは何であれ、私からお尋ねすることはございません。いつか自身の名前も全て忘れてしまうのですから、私だけが覚えているのも悲しく感じるものなのです。ですから、私がお二方に話しかけることはいたしませんでした。
 女性の方はお盆に気付き、お茶をぼんやりと口にしていらっしゃいました。お猫様は大きく伸びをしたあとで、こちらをチラリと見た後で水で喉を潤し、食事を始めました。お猫様の目を初めて見ましたが、きれいな赤色をしておりました。私もお二方の隣で、殺風景な庭を眺めながらお茶を飲み、お茶請けを口に運びました。
 会話を交わすことはございませんでしたが、お二方とともに過ごす時間はとても穏やかで心地の良いものでした。

 さて、そんな日々にもいつしか終わりは訪れるものです。
 お客様のお越しが突然ならば、去られるのも突然なのです。ここに訪れたお客様の記憶がきれいさっぱり失くなると、来られた時と同じように突然お姿が消えるのです。それに気が付いた時の喪失感は、何度経験しても軽くはなりません。
 お二方がいらしてからも、何度も経験した自分の床での目覚め。部屋の窓から見える空は、寝る前と同じ夕焼け空。身支度を整えてから、お二方と私の食事を用意しました。できあがったものを縁側へと運ぶと、座布団にはお猫様のお姿だけが。女性の寝姿を覗くのもいかがなものかと、私はお猫様の食事だけ置くことにしました。しかし、お猫様が意味ありげに私を見たあとで後ろの座敷を見ました。それで何となく察した私は、座敷を覗きました。そこには誰もいらっしゃいませんでした。布団を使った跡はあるものの、女性はどこにもいませんでした。他の部屋も探しましたが、どこにもいらっしゃいませんでした。きっと記憶を失い、この村から去ったのでしょう。

 ところで、お猫様はまだ家にいらっしゃいます。お猫様も記憶をなくすまでここに滞在されるのでしょうか。
 私は、もしかしたらこの家で寂しかったのかも知れません。女性が去って数回目に訪れた目覚めの後、お猫様と私の食事を持って縁側へと行きました。お猫様は縁側に置かれた座布団で四肢を伸ばして寝ておられました。食事を横に置き、私も近くに座布団を置いてそこに座りました。
 無作法かも知れませんが、食事をしながら、隣でやはり食事をするお猫様へと独り言のように話し掛けました。
「あなたはここが『夕焼けの村』と呼ばれていることは、ご存知でしょうか? 私は長くここにおりますが、ここから見える空はいつも夕焼けに覆われています。しかし、村を一歩出れば、そこには普通の、朝も夜も、晴れも曇りも雨もある、そんな空が広がっているのですよ」
 この村の存在意義を、お客様にお伝えすることはきっとよくないことなのでしょう。けれど、相手はお猫様。私の言葉を理解しているかどうかもわかりません。もしかしたら誤って迷い込んできた可能性もございます。
「この村に訪れるお客様は、ここで過ごすうちに全ての記憶を無くされてしまうのです。どうやら辛い過去を忘れたいと思ううちに、ここに迷い込むようなのです。そして全てを忘れると、この村を去られます」

 もし、あなたに忘れたい記憶がないのであれば、ここを去った方がいいですよ。あなたが今まだここにいるということは、いくらかでも記憶があるのでしょうから。

 そう告げた私の言葉を、お猫様は理解されたのでしょうか。食事を終え、ゆっくりと毛づくろいをした後で、私の足元に甘えるように頭をこすりつけると、去っていきました。時々こちらを振り返りながら。
 きっと失いたくはない記憶をお持ちだったのでしょう。彼が、もしくは彼女が、その記憶を失わずに済んだことに、私は胸をなでおろしました。
 この村に家畜はおりますが、愛玩動物はおりません。お猫様と過ごした日々は、私にとって少しだけ新鮮で楽しかったです。

 話はこれでおしまいです。お猫様が去ってから、いつも以上に寂しかったのかも知れません。記憶を失いつつある貴方にこのような話をするべきではなかったのでしょうが、それでもしゃべらずにはおれませんでした。
 さあ、お食事の邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした。食事を終えられる頃に、食器をさげにきますね。


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サークル名:とーとくるす(URL
執筆者名:瀬古冬樹

一言アピール
主にファンタジーっぽい雰囲気の一次創作小説を書いています。同一世界観で展開する、恋愛の絡まない話が多いです。今回の『夕焼けの村』も、既刊『海賊船ロッソ号』やサイト掲載作『辻村さんの日々。』等と同一世界でのお話ですが、共通して登場する人物はいません。

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