山吹の姫

 幼い頃から自分は諦め続けて生きてきたと、藤原国衡ふじわらのくにひらは山吹の花を見つめながら思った。広大な平泉館ひらいずみのたちの隅にひっそりと咲く山吹の花びらを、国衡はそっと撫でる。卯月になり、陸奥にようやく暖かい風が吹くようになった。
 国衡は山吹の花を摘み、空にかざした。陸奥の澄んだ青い空と山吹の鮮やかな黄色が、国衡の瞳にまぶしく映る。山吹の花は、ひとりの姫を思い出させた。
 物心つくころ――まだ信寿という幼名で呼ばれていた頃――から、国衡は二歳年上の成子なりことよく遊んだものだ。成子は陸奥守・藤原基成ふじわらのもとなりの姫だ。国衡の父・藤原秀衡は陸奥の実質的支配者で、陸奥守である基成と手を組み、支配体制を強化していた。平泉館の北対きたのたいで、国衡と成子はまるで姉弟のように共に育ったのだ。
 国衡は成子が大好きだった。姉のように大人びて振る舞うけれど、本当は泣き虫で愛らしい姫。幼い国衡が花を差し出すと、涙をためて嬉しそうに笑った……。
 国衡は目を閉じた。まなうらには、幼い成子の姿がよみがえる。成子は六歳の自分に向かって微笑んでいる。ああ、井戸端で遊んでいた時のことだと、国衡は苦笑いを浮かべた。
「ねえ、信寿どの。筒井筒という話を知っている?」
 成子の無邪気な問いに、国衡――信寿――は知らないと答えた。互いに惹かれていた幼馴染の男女が結ばれる話だと知ってはいたが、信寿は口に出したくなかった。どうせ成子と俺は結ばれることはないのだ。成子は、父・秀衡の許嫁なのだ。いずれ俺の義母となる少女なのだ。
 信寿の母・信夫佐藤氏が亡くなった後、祖父である先代・基衡が秀衡と成子の縁組を決めた。関白、そして院の近臣の身内である藤原基成と、平泉の縁を強固にするためだった。親子ほどに年が離れた二人なのに、平泉館の誰も反対しなかった。信寿の伯父で秀衡の重臣・佐藤基治さえも。
 まだ小さい成子はそんな事実など知らず、信寿にニコニコと笑いかける。そんな成子を見ているのが辛くて、信寿はすぐそばに咲く山吹の花を引きちぎり、成子に差し出した。山吹の花を手に取り、満足そうに微笑む成子が、幼い信寿にはたまらなかった。
 成子が父の妻となる。いずれ成子が生む男子が、奥州藤原氏の跡目を継ぐだろう。信寿の母は、平泉藤原氏の乳母一族・信夫佐藤氏の出であるから、長男といえど劣り腹なのだ。俺はまだ見ぬ成子の子、異腹の弟を支えるためだけに生きていくのだ。祖父・基衡の一声で決まった秀衡と成子の縁組が、信寿の未来を閉ざした。
 陸奥の王者の地位などどうでもいい。ただ、愛しい姫が父の妻となる事実に、信寿は打ちのめされ、世の中の何もかもを諦めた。
 頼れるのは武芸の技だけだった。鍛錬すればするほどに、剣の腕は上がり、弓は的を射抜く。武術は俺を裏切らない、その思いで信寿は稽古に打ち込んだ。平泉館の誰もが信寿――藤原国衡――の武勇を褒め称えたが、国衡にとってはどうでもよいことだった。讃えられれば讃えられるほどに、虚しくなった。
 それでも、一瞬は希望の光が見えたのだ。藤原基成が陸奥守の任期を終え、都に戻るという。しかも成子を陸奥に残してのことだった。
 もしかしたら父・秀衡との縁組は白紙に戻るかもしれない。俺が成長したら、成子を娶りたいと父に言挙げしよう。親父どのとて、娘ほど年が離れる成子を妻にしたくないはずだ。基成との縁を望むなら、俺と成子が縁組すれば良いのだ。母の出自は劣るけれど、俺と成子のほうが似合いの夫婦になる。きっと親父どのがなんとかしてくださる……。すがるように国衡は祈った。
 陸奥守の任を終えた藤原基成が、平治の乱で敗れた異母弟・信頼との連座により陸奥に流されてきたのは、四年前のことだった。成子は基成との再会を泣いて喜んでいた。流されたとはいえ、基成は平泉のまつりごとの重鎮として名を並べた。秀衡にとって得難き存在なのだ。そして国衡は、再び諦めた。
 今日、秀衡と成子の婚礼の日取りが高らかに告げられた。国衡にとっては、心を切り刻まれるような瞬間だった。父・秀衡や基成はこれでようやく縁がつながったと笑いあっている。重臣たちは微笑んでいる。この場で二人の婚礼を呪わしく思っているのは自分ただ一人なのだと思うと、国衡は叫びたくなる衝動に駆られた。
 成子はどう思っているだろう。今日まで何も知らされず、関白家につながる都の姫として、平泉で大事に慈しまれ育てられてきたのだ。いや、基成が不在の間、秀衡を父のように慕っていたから、そう悪い縁組だとは考えていないかもしれない。そう思うと、国衡の目がじわりと熱くなった。
「信寿……じゃなかった、国衡どの」
 鈴の音を転がすような成子の声に、国衡はハッと顔を上げた。気が付くとそこは女たちの住む北対きたのたいだった。元服して大人扱いされている国衡には近寄りがたい場所なのに、なぜか足が向いてしまった。
 高欄に手を置いて、成子が身を乗り出している。
「成子……どの。そんなところにいると落ちるぞ」
「平気よ。それに落ちたら、国衡どのが受け止めてくれるわ」
 成子は目を細めて微笑んだ。笑ってはいるが、成子の目は赤い。きっと秀衡との縁組が成子の耳にも入ったのだろう。泣いたのはこの婚儀を嫌がってのことなのか。いや。
 国衡は頭を振った。成子の思いがどうであれ、婚儀は行われる。初恋の姫が、父の妻となる……。
 成子はスッと真顔になり、国衡を見つめた。
「国衡どの」
「なんだ」
「お願い、私と一緒に逃げて」
 成子の言葉に、国衡は目を瞬かせた。
「逃げる……?」
「そうよ。さっき、御館みたちと私の婚礼が決まったと、乳母が嬉しそうに言っていたわ。私、そんなの初めて聞いたわ。嫌よ、お父様みたいな御館と婚礼だなんて。それに私は、ずっと信寿が……」
 ポロポロと涙を噴き零し、成子は高欄に顔を埋めた。国衡は成子の艶やかな黒髪をぼんやりと見つめた。
 成子も自分を愛している。それはずっと昔から感じ取っていた。私の夫となる人は平泉一の武者なのよと、国衡を見つめながら語っていた。そしてそれを聞くたびに、国衡は切なさで胸が締めつけられた。
 俺は成子を連れて逃げられない。平泉藤原氏の御曹司と、都の関白家につながる姫として何不自由なく育った自分たちが、平泉から出て暮らすなど想像がつかない。いくら武芸の技に長けるといっても、夕餉の粥ひとつ我が手では掴みとれない。空腹で泣く成子に、俺は何を与えればよいのかわからない。二人は野垂れ死に、道端で骸を晒すことになるだろう……。
「良い縁組ではないか。父上はお年の割には若々しいし、きっと成子と似合いの夫婦になる」
「えっ……」
 成子は、わけがわからないといった表情で、国衡を見つめた。
「母上が亡くなってから、父上はずっと独り身でいらしたから、子どもながら不安でたまらなかった。成子が妻になってくれると俺も心強いよ」
「何を言っているの、国衡どの。だって私は……。あなただって、私を……」
 瞳が壊れたのかと思うほど、成子の目から涙が湧きあがり、ポタポタと高欄を濡らした。
「何か勘違いしているんじゃないか、成子。俺は成子を実の姉のようだと思っているよ」
「……うそ」
「はっきり言おうか。成子を女として愛しいと思ったことは一度もない」
 国衡の低い言葉に、成子の顔がみるみるうちに青ざめた。
「これからは成子を母上と呼ばなくてはいけないな。なんだか変な気持ちだ」
 国衡は無理矢理に笑顔を作り、手にしていた山吹を成子に差し出した。しかし山吹の花を成子は振り払い、袿をひるがえして対屋に駆けた。しばらくすると、成子の押し殺した嗚咽が響き渡った。
 成子の泣き声など聞きたくはなかった。だが今は、耳を塞ぐ気力さえ国衡にはわかないのだ。
 国衡は、足元に無残に散らばった山吹の花を見つめた。
「七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞあやしき……か」
 後拾遺和歌集の歌を口ずさみ、国衡の目から一筋の涙が流れた。八重に咲く山吹には実がつかない。まるで自分たちの恋のように。そうだ、この和歌も成子から教わったものだ。
 俺だってずっと成子を愛していた。出来ることならば今この場でお前を浚って逃げてしまいたい。食い物ならどうにでもなる。成子のためなら盗みだって出来る。たとえ貧しくても、成子を幸せに出来るのは俺だと叫びたい。
 国衡は山吹の花を足で踏みにじり、北対を後にした。澄み渡る春の青空が、今は冷たく感じる。涙を幾筋も流しながら、国衡は眼前の束稲山を見据えた。


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サークル名:時代少年(URL
執筆者名:ひなたまり

一言アピール
日本史、特に奥州藤原氏・安倍氏を中心に、小説・漫画を創作しています。奥州藤原氏二代・基衡室の生涯を描いた小説「わだつみの姫」頒布中。新刊は、安倍貞任長編小説「みちのくの君」第2巻。アンソロジーでは、奥州藤原氏・藤原国衡と藤原基成の娘の悲恋を書きました。

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