ゆめのむすめ

   男

 さらさらと髪を撫でる音で目をさました。ああ、また眠っていたのだ。――――後悔と羞恥におそわれて寝たふりをつづけようと目をとじたままでいると、かれの指が耳殻のピアスにふれる。これも、いつかのみやげだ。
 世界の果てへいってきた、とあのときはうそぶいていたか。あつい手が虹色に焼けたちいさな金属の環を見せてきたときには、その図太さにあきれるよりも感心してしまったけれど。
「ただのチタンだ」
「極光だよ。――――空から降ってきたのをひろったんだ」
「ばかばかしい」
「おまえには夢がないのか」
「眠らないあなたにいわれる言葉じゃない」
 夢を見る時間の否応なさを味わったこともないくせに、その単語を安易に持ち出してくるから、感情にさざなみがたつ。
 ぶあつい手が受け取らないかたくななわたしの手を持ちあげた。一番ほそい指に環をはめようとするが、はじめの関節からうごかない。ひねるようにねじこんでも、骨が邪魔をする。力まかせの試行錯誤の結果、皮膚にあかいあとができた。
「……おまえ、思ったより指がふといな」
 着古してくすんだ色の上着の胸ポケットからツールナイフがあらわれた。あらゆるかたちの刃物がちいさく折りたたまれているのをひとつずつひらき、指の肉を削ぐのに適切な刃物の品定めがはじまった。かれはときどき、冗談のようにそういうことをする。
 だけどこっちは、やすりで削り取られるのものこぎりで挽かれるのもペティナイフで剥かれるのもごめんだ。あとずさった愚鈍なわたしを、片手で抱くようにとらえる。
「はなしてくれ、いたいのはいやだ」
「下手な甘えかただ」
「甘えてなどいない」
「おまえは、見えないものは存在しないと思っている、そうだろう?」
 口ぶえでもふきそうな陽気で、かずある刃物のなかから錐状のものをえらびだす。
「あなたがそう思っているだけだ」
 するどい先端がいやらしくひかる。弦楽器をかかえるようにからみついたふとい腕が退路をはばむ。
「おれがここにいないとき、おまえはおれが存在することをつねに感じるか? 思い出すだろう。おれはどこかに存在しているのに。――――そういうことだよ。おれは、おまえの視覚が感知しているときだけ、存在している」
 処置はいつも一瞬だ。かれはわたしの悲鳴を自在にかき鳴らせる楽器と思っている。意外にもかれの指とくちは繊細で、わたしはときどき自分でもおどろくような声をあげてしまう。今回も、一瞬先走った激痛を、とろけるようなしびれがやわらげ、陶酔に悲鳴はゆがみ、下手なあまえかただ、とかれは言う。
 楽器としてのわたしは、かれの指やくちに反応して音を鳴らすのに、調弦が狂いすぎている。かれの思うように鳴るまで、下手だ下手だと言われつづける。飽きずにくりかえしてくれればおぼえるのはすぐなのに、わたしが自分のかたちを忘れかけると旅だってゆく。そして、わたしがわたしのかたちを思い出したころに、帰ってくる。
 だからわたしはいつまでも調弦の狂った楽器でありつづけるのだ。
「たまにはおまえも、鏡くらいは見るようになるだろう」
 錐の貫通した耳殻からあふれているだろう血液と軟骨を丁寧に舐めながらささやき、天から降ってきたという極光の環が手際よく取りつけられた。
 眠らぬこのひとの空想が、またひとつわたしをかざる。見えないものは存在しない、ということがその最たるものではあるけれど。
 これは、夢にすら見ることのない馬鹿馬鹿しい記憶だ。
 そして今回のみやげは貘なんていう馬鹿馬鹿しいつくりばなしに包装されていた。
「起きているんだろう」
 考えれば考えるだけむなしくなってきて、聞かぬふりをした。
「さっきから寝たふりばかりだ。おなじことをくりかえすなよ」
 眠らないこのひとには、眠っているか否かの区別がない。目をひらいて本を読んでいるところに、眠っているのかとたずねた前科だってあるほどで。
 わたしが実際に眠っているときも、退屈になればそう声をかけているはずだと、目をとじたままでいると、こんこんとガラスを叩く音。
「貘がおとなしくなった。――――おまえ、起きているんだろう」
 ひとのことを下手だ下手だと評価するくせに、空のガラスケースのはなしをもちだすなんて、うまくないなじりかただ。
 薄目をあけると、胡坐をかいた膝頭が鼻先にあり、せわしなくゆすっているのを節のとがった手がわしづかみにして押さえていた。
「起きているのならおれを孤独にしないでくれ」と、ため息をつかれる。
 孤独? 孤独なんてことばはわたしのための言葉だ。ともに砂漠をゆくらくだも持たず、みやげにもちかえる貘もいない。かえりを待って眠りと目覚めをくりかえすばかりの、わたしのための。
「……あなたの孤独など知れている」
 耳の環をもてあそぶ手を羽虫を追うようにはらう。
「そうかな」
「眠るのはここではわたしひとりだ」
「眠らないのだって、ここではおれひとりだ」
「貘は」
「さあな。だけど貘は、夢を食う。夢を見るってことだよな」
 片手でガラスケースをつかみあげて、わたしの顔のまえに置く。青いからっぽのガラスの表面にうつっているのは、眠りすぎて顔を腫らしたわたし。
「なにもはいっていない」
「おまえには見えないだけだ。それでも、鏡の代わりにはなるだろう」
 破天荒なみやげばなしは、聞いているうちは尽きぬように思われても、終わりがくる。はなすべきことを出しつくしてしまえば、ここは退屈な場所だった。
 かれはまた旅に出た。
 貘がはいっているというガラスケースをぼんやりと眺めながら脱ぎ散らかした服をあつめて身に着ける。
 ガラスの面には土踏まずのないわたしの足のうらがうつっていて、わたしは孤独すら奪われたことを知る。

   *  *  *

 からっぽのガラスケースとの時間がはじまった。
 貘との時間、と表現するにはこの青いガラスケースはあまりにも虚無だ。極光の環のときは、錐であけられた孔がしばらくいたんで存在を訴えてきていたのに――それもいまはわたしの体温とおなじ温度になってしまって、思いだすこともまれになってしまったが――このガラスケースは、貘がはいっているという解説があっても、空。
 かれが出立して最初の眠りのとき、わたしはかれがよくわたしにするのをまねてガラスケースをかかえて眠った。はだかの腹にガラスの表面は冷たく、角は肌を拒むようにささった。わたしがかれのかたちになじむようにはならず、目覚めても冷たいままで、角も面も不愛想なままだった。
「貘」
 とわたしは空虚にはなしかける。
「おまえが夢を食うというのはほんとうなの」
 夢を――かれがどこへもゆかずこの場所にとどまりつづけ、わたしをだけ見つめわたしをだけ語りわたしをだけ抱く、その幸福な夢を、貘は食らっただろうか。
 わたしをこばみ、つめたく四角くありつづけるガラスケースのなかのうつろが?
 まさか、と強がりにもならぬかわいた笑いがもれた。
 わたしの見た夢は、わたしと癒着しすぎて熱く濡れていたが、青みがかった透明な隔壁の内側は結露すらゆるさぬほどに空っぽだ。
 ああなんて馬鹿馬鹿しい妄想だ。世界の果てで極光の欠片をひろったとか、空の庭で貘をつかまえてきたとか、――そんなはなしよりも、稚拙でおろかだ。
 それでもかれはわたしのところにこれをおいていった。
 わたしの唯一の理解者、わたしの唯一のよりどころであった孤独をすら剥ぎとって、このからっぽのガラスケースを。
 ただの空の箱としてわたされたのならよかったのだ。貘がはいっている、などと言われなければ、わたしはこのなかにわたし以外の可能性を見出しはせず、環のようになじませただろう。もっともらしい理由をつけて。
 なのになのになのに。このなかには、貘がいるという。
 空虚が空虚であるということを訴えてくる静寂はうるさすぎてたまらない。すこしのあいだでいいからだまらせようと、ひたいをガラスケースに押しつけると、呼気で表面がくもり、すぐにかわく。わたしと貘はへだたれている。――どんな透明でかたちのないものもとおりぬけられないほど、堅固に。
 わたしは夢を見る。貘が夢を食らうというのなら、貘にも夢は見えているはずだ。夢を見るというわたしだけの特権は、この空洞がうばった。
 わたしはかれを憎んだ。たったひとことで、わたしのなかに貘という空白をつくったかれを。


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サークル名:ヨモツヘグイニナ(URL
執筆者名:孤伏澤つたゐ

一言アピール
白い世界の物語をつくっています。
投稿作品は、委託予定書籍『ゆめのむすめ』より、本分の一部を抜粋いたしました。

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