刺青

 もう二十年も前のこと、ジェラベルドがシノに出会ったのは、赤竜せきりゅう討伐団の入団試験だった。
 当時のジェラベルドは、剣ひとつで貧しい親きょうだいを養おうとする二十歳の若者だった。すでに筋骨たくましい大男だったが、顔にはまだあどけなさが残り、栗色の髪には白髪一本混じっていなかった。
 赤竜討伐団の入団試験は、毎年春に王都サナティアの練兵場で行われる。志望者同士で剣の試合をして戦績上位の百名が合格という、ごく単純な試験だ。ジェラベルドは十人ほどを軽く負かした後、ついに十八歳のシノと対峙した。
 女だ。
 シノへの第一印象は、それだけだった。試合に集中するあまり、彼女の顔さえまともに見ていなかったのだ。
「始め!」
 シノが一気に飛び込んできた。女とは思えぬほど重くて速く、正確な剣撃だった。左腰への初撃を弾いても、間髪入れずに打ってくる。どうにか凌いでジェラベルドが反撃に出る。シノが応じる。激しい打ち合いになった。
 シノと目が合った。笑っていた。ジェラベルドも、自分の口元が緩んでいるのに気づく。お互い、好敵手の登場に興奮していた。
「止め!」
 審判が制止したとき、二人は大勢の野次馬に囲まれていた。両者とも見事な剣技を認められ、この時点での合格が特例として認められた。
 シノが優雅に一礼した。ジェラベルドも慌ててそれに倣う。そして顔を上げたとき、ようやくシノを認識した。
 美人だ。
 涼やかな黒い瞳と、つんと尖った鼻は大人びて知的だが、ふっくらした唇と柔らかな輪郭は幼げだった。艶のある黒髪は、顎までの長さでまっすぐ切り揃えられている。背は大柄なジェラベルドの肩まであるので、女にしてはかなり長身だ。
 本来ジェラベルドは美人が苦手だ。だがシノとは激しく剣を交えたことで、すっかり心が通じ合った気になっていた。
「待ってくれ。お前、強いな」
 気安くシノを引き止めたら、彼女は面倒臭そうに振り返った。それだけで心が挫けそうになって、差し出した右手が震えた。
「ジェ……ジェラベルド・バルナランドだ。これから、ともに戦うんだろう。よろしく頼む」
 どうにか名乗ると、「ああ」とシノは呆けたような声を発した。
「私はシノ・フィングレイだ。こちらこそよろしく。お前はいいやつだな」
 シノは無表情だったが、手は握り返してくれた。
「私は今日三十五人と対戦したが、試合後にちゃんと名乗ったのも、『女のくせに何で強いんだ』と聞いてこなかったのも、お前だけだ」
 ジェラベルドは驚いた。三十五人も相手した後で、なおあれほど戦えたのだ。試合が続いていたら、そのうち負けていただろう。
「女が男より強いからには、何か秘密でもなければ気が済まないらしい」シノは淡々と語る。「まあ当然だな。普通なら、私のような小娘が大の男に勝てるわけがない」
「秘密があるのか?」
 ジェラベルドが尋ねると、シノは自らの平たい胸に手を置いた。
「実はここに、魔法陣の刺青があるのだ」
 魔法陣とは、魔道士が魔法を発動するときに呪文を唱えながら描く紋様だ。ジェラベルドにはその程度の知識しかない。
 シノは、大人の男以上の強さを得るために、心臓の真上に呪文と魔法陣を組み合わせた刺青を入れたという。
「痛くないのか」
「とんでもなく痛いぞ。思わず声を上げてしまった」
 シノは真顔で言った。
 ジェラベルドは「そうか」と答えたきり黙り込んだ。シノは立ち去るかに見えたが、二、三歩行くと不意に振り返った。
「おい……まさかお前、今の話を信じたのか?」
「う……嘘なのか?」
「さあ、どうかな」
「お、俺は、嘘は好かん」
 シノが無邪気に笑った。
「信じてくれたのもお前だけだ。やっぱりお前はいいやつだな、ジェラベルド」
 この美しい少女が、つつましい胸のふくらみを彫師の前にさらけ出したのだろうか。刺青の激痛に、たまらず声を漏らしたのだろうか。
「嘘か本当か、結局どっちなんだ……」
 いずれにせよ、ジェラベルドは自らの脳裏によぎった妄想について、深く恥じねばならなかった。

 赤竜は時折北から飛来し、王都を襲う。赤竜がつの突けば建物が潰れ、羽ばたけば風圧で木々がなぎ倒される。鋭い爪牙も危険だ。赤竜を倒すには、それらの攻撃をかいくぐって脳天に剣を突き刺さねばならない。
 ジェラベルドにとって、シノは最高の相棒だった。シノが赤竜を攪乱し、ジェラベルドがとどめを刺す。完璧な連携で赤竜を倒したときは、えも言われぬ達成感に身を震わせたものだ。
「シノ、飯でも食いに行くか?」
「おお、行こう」
 出撃後、討伐団の男たちは猛った身体を鎮めるために色街へ繰り出すが、ジェラベルドには女を買う金がなかった。その日、シノを誘ったのは下心からではなく、単に色街に行かないのが彼女だけだったからだ。
 二人は街の食堂へ入った。ありふれた小さな店なのに、シノは物珍しそうに店内を見回し、今ひとつな料理も旨そうに食べていた。どうやらシノはこういう場所が初めてらしい。よほど貧しかったのだな、とジェラベルドは勝手に解釈した。
「ジェラベルド、お前はなぜ討伐団に入った?」
 十杯めの酒杯を傾けながら、シノが尋ねてきた。相当な酒豪だ。
「金のためだ。俺みたいな学がない貧乏人でも入れるところは、討伐団しかなかった」
「正直だな、お前は」
「正直も何も、団員みんな似たような理由だろう」
 シノは杯を置いた。
「私は幼い頃から、討伐団に憧れていた。命を懸けて王都を守る尊い役目だ。しかし実際には、この仕事は蔑まれている。粗暴で不潔な、下賤の者の仕事だと。私はそれを変えたい。全ての団員が、誇りを持って戦えるようにしたいのだ」
 そう語るシノは凄まじいまでに美しかった。
 ジェラベルドは胸を熱くした。身分の低い俺でも、剣士の誇りを持てるだろうか。――きっと持てる。シノと一緒なら。
「まずは大臣の娘である私が入団したことで、少しでも世間の目が変わってくれればと思う」
 ジェラベルドは耳を疑った。
 大臣の娘? シノが?
「今日の料理はなかなか旨かったな。今度うちの料理番にも作らせたい」
 身分が違いすぎる。そう知ったときにはもう、ジェラベルドはシノから目を逸らせなくなっていた。

 どうせ叶わぬ恋である。ジェラベルドは自分の思いを秘めておくしかなかった。
 何も知らないシノは、庶民の味をいたく気に入り、出撃任務後は必ずジェラベルドを誘った。団員たちは噂し合った――「二人は互いに身体を鎮め合う仲だ」と。
 もしそれが本当だったなら、ジェラベルドはどんなに幸福だっただろう。青年に宿る恋心は、ただ傍にいるだけで満たされるほど生優しくはない。裸のシノが夢枕に立つことも何度となくあった。胸に刺青があったかどうか、目覚めたときにはもう思い出せないのだ。そんな日は、一日中彼女の顔をまともに見られなかった。
 ジェラベルドは不安だった。物心ついたときから貧しく、欲しいものを諦めるのには慣れていたが、こればかりはさすがに苦しすぎた。嘘も下手な自分に、いつまで隠し通せるだろうか。
 ところが入団から一年半が過ぎた頃、その話はいつもの食堂で、シノのほうから思いがけなく持ち出された。
「父が、私をお前に嫁がせたいと言い出した」
 シノの父、フィングレイ卿は、婿探しに手を焼いていた。シノは美人で家柄も申し分ないが、赤竜討伐団に入ったせいで敬遠されるのだ。そこへジェラベルドの噂を聞きつけた。娘の愛する男なら、身分が低かろうと結婚を認めよう、と理解ある父親は決心した。
「父は勘違いをしているのだ」とシノは頭を抱えた。まだ酒には手をつけていない。
「明日、お前の元に使いが来て、結婚の意志を聞いてくるはずだ。手間を取らせて悪いが、適当に断っておいてくれ」
 ジェラベルドはすぐに返事ができなかった。
 言い換えると、断らなければシノを娶れるという意味だった。父親と相手の男さえ承諾すれば、娘の意志に関わらず結婚が決まってしまう。それが上流貴族の常識だ。
 断りたくなかった。ずっとシノへの想いに身を焦がしてきたのだ。こんなに有難い話はない。だが、自分はシノに夫として望まれていないという事実が、ジェラベルドの胸に深く突き刺さった。
「ひとつ聞くが、俺と結婚するのは、そんなに嫌か?」
 冗談めかして聞いたつもりだったが、シノの答えは思いの外真剣だった。
「お前が嫌なんじゃない。私が駄目なやつなんだ。……私には、愛が分からない」
 シノは誰に対しても、恋人や夫婦がお互いに抱く類の愛情や欲求を抱くことができないという。たとえジェラベルドのことを、どんなに大切に思っていても。
「お前は優しくて、誠実だ。嫁にもまっすぐ愛を注ぐのだろう。しかし私では、同じものを返せない。お前には、お前をきちんと愛してくれる人と結婚してほしいのだ」
「そうか」
 ジェラベルドは少しだけシノの言葉を疑った。俺を傷つけないための嘘ではないか、と。
「分かった。結婚の話は断っておく。……だがな、シノ」
 それでもシノを信じることにしたのは、ジェラベルド自身のためだった。少しくらい本当の思いを伝えたかったのだ。
「お前は全然、駄目なやつじゃない」
 そしてこんな自分は、きっと誠実ではない。
 ジェラベルドは強い酒を一気に呷った。燃えるような喉越しの後で、わずかに悲しみがこごった。

 二十年の長きにわたって、二人はともに戦ってきた。
 やがてシノは赤竜討伐団の団長に、ジェラベルドは副団長に任命された。二人の努力の甲斐あって、いまや赤竜討伐団は王都の英雄として尊敬されている。
 ジェラベルドは三十三歳のとき結婚して娘も生まれたが、妻は四年前流行病で亡くなった。シノはずっと独身だ。
 シノはいま三十八歳だが、全く老けていない。少なくともジェラベルドにはそう思える。その胸に刺青があるのかどうかは、知らないままだ。


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サークル名:空想工房(URL
執筆者名:泡野瑤子

一言アピール
2016年秋に結成した創作サークルです。漫画・イラスト・小説など、様々なジャンルの創作者が集まっています。テキレボ5で頒布予定の会誌「カケラ」準備号には、本掌編の主人公・ジェラベルドの二十年後を描いた物語も掲載されます。その他、メンバーの個人誌や無配も有。ぜひお立ち寄りください!

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