両手いっぱいのスイーツをきみに

 ……
 …………
 …………疲れた。
 人波の中、改札を出て、いつもの商店街を歩く。日はとっぷりと暮れ、背負っているリュックは重い。
 帰宅した途端、号泣している綾から電話が入り、学校の最寄り駅までとんぼ返りした挙句、失恋話に長々と付き合わされ、気が付いたらもうこんな時間! ママは仕事が忙しく、ここしばらくは部屋にこもったままだ。うちの家事一切は私がやっているのだから、時間はいくらあっても足りないのに。
 ほんと、女同士の友情なんて、面倒なことばかりだ。
 ぶっちゃけ他人の恋愛に興味などなかったし、呼び出されるなんて、すごく迷惑だった。だけど友達と名乗っている以上、泣きながら電話を貰ったら無下にはできない。若干大げさなぐらいの勢いで駆けつけてみたけれど、自分の振る舞いを百だとすると、真心パーセンテージは多分、全体の三割程度。残りは嘘と本心の間にある、学校での人間関係への配慮だったり、綾に嫌われたくない気持ちだったり、その他、くだらないもにょもにょとした何か。
 実際、その「もにょもにょ」だけで自分はできていたりして。
 ……ああ、ほんと、自己嫌悪。
 晩御飯どうしよう。冷蔵庫にどんな食材が残っていたっけ。そんなことを考えながら歩いていたら、「萌ちゃん」と声を掛けられた。
「あっ! こんばんは」
 向こうから、武藤さんが歩いてくる。多分仕事絡みの用事でうちを訪れた帰りだろう。勤め先の社名の入った封筒を小脇に抱え、こちらに手を振っている姿を見て、心の中で「あっぶな!」と叫んだ。
 ありえない。あと一本戻る電車が遅かったら、折角訪ねて来てくれたのに、会えないところだったじゃない!
「ママに用事だったんですよね。あの人、部屋から出てきました?」
「ううん。でも、必要なものはメモと一緒に玄関に揃えて置いてくれていたし、元気なんじゃないかな」
「私、ここ数日姿を見てなくて。部屋の前に食べるものを置いておいたら、翌日お皿だけになってるから生きてはいると思うけど」
 それを聞いた武藤さんは、「あの仕事のやり方、何とかしたほうがいいよね」と困ったように笑う。
「そういえば、今帰り? 学校、遅くまでやっているんだね」
「まあ、ちょっと……。友達の恋バナに付き合わされて」
「恋バナ?」
「そうなんですよぉ!」
 思わずテンションが上がる。せっかく武藤さんに会えたんだし、長時間付き合ってあげたんだし。ちょっとネタにするぐらい、問題ないよね。
「失恋したって、泣きながら電話が来て。今まで慰めていたんです」
「へぇ」
「でもね、その子、今まで泣いていたかと思ったら、突然『もう諦めた』って、急に元気になって。そんなものかよ! って突っ込みたくなりました。切り替え、早すぎません?」
「でもまあ、元気になったんなら良かったじゃない。萌ちゃんが話を聞いてあげたおかげだと思うよ」
「そう、でしょうか?」
「聞いてあげてなければ、その子、ずっと泣いていたかもしれないし。きっと萌ちゃんのことをすごく信頼していて、来てくれて嬉しかったんだよ」
「うーん。そこまでの仲良しではないんだけど」
 腑に落ちない様子の私を、武藤さんは笑顔で見下ろしている。
「萌ちゃんにとってはそうかもしれないけど、その子にとってはどうだろうね」
「……そういう気持ちのアンバランスって、正直、面倒臭いんですよね」
 ため息混じりに出た本音に、思わず「あっ」と口に手をやる。
「面倒臭い、かもしれないね、確かに」
 笑いをこらえながら、武藤さんは言う。
 ……だめだこれ。最悪だ。
「……すみません。やな女ですよね。そういえば、さっきその子にも言われました。以前、私が『必要のない愛情ほど邪魔なものはない』って言ったことがあったらしくて」
 あー、私、喋りすぎてる、と思いながらも、止められない。
「そんなこと、私、言った覚えないんですけど! 失恋して、その言葉を思い出したって泣かれちゃって、困ったっていうか、責められている感じがしたというか。そういう言い方はされなかったけど、本当はあの子、怒っているような気がして」
「うん」
「あっ、なんかごめんなさい。どうでもいい話ですごく引き止めちゃって」
「ううん、次の約束まではあと少しあるから。……ああ、そうだ」
 ふと、私から目を離し、とあるお店を見やると、武藤さんはにこりと笑う。
「たい焼き、食べない?」
「えっ」
「クリーム系より、あんこ派だったよね」
「あ、はい、そうです、ね」
 そう言うが早いか、武藤さんの足はたい焼き屋さんに向かっている。
 一瞬、止めようかと迷った。
 実は、さっき綾と会ったドーナツ屋さんで、ドーナツを大量買いしてしまっていて。だって百円セールをやってたからつい! その上にたい焼きまで食べられるだろうか。でも、こうやって二人でお店の前に立っているのが嬉しくて、完全に言いそびれてしまった。
「十二個ください。小倉あんで」
「じゅうにこ、ですか」
「良かったら、メグさんや桧山荘の子たちにも分けてあげて」
「ありがとうございます。考えてみたら、たい焼き、ここ数年食べてなかったです」
「久しぶりだよね」
「はい」
 目の前で整然と焼かれるたい焼き。小学生の頃はよく、武藤さんにここでたい焼きを買ってもらった。あの頃はまだ、この鉄板が目の高さぐらいにあったっけ。
「小さい頃は、武藤さんがうちでずっと暮らしてくれたらいいのにって、いつも思っていました」
 その言葉に、彼は曖昧に笑う。
「それは、どういう立場で?」
「分からないけど。でも、立場とか、どうでもいいんです。だってそのほうが、絶対みんながハッピーになれるし」
「そうかな」
「そうですよ。私、今でも結構そう思っています。武藤さんだって、そう思うでしょ?」
 彼はたい焼きの鉄板に目を落としたまま、しばらく黙っていたけれど「うん、その通りだね」と答えた。
「じゃあ、どうして」という言葉は、店員さんの「お待たせしましたー」という声に遮られてしまった。
 ありがとう、と言って、武藤さんは袋を受け取る。
「はい、これ。甘いものでも食べて、元気出して」
 袋に入った熱々のたい焼きを差し出され「あ、りがとうございます」と受け取った。
「……ごめんね」
「え?」
「思っていても、できないこともあるんだ」
「……そう、なんですよね」
「うん」
 分かっている。ママも武藤さんも、詳しいことは何も話さないけれど。
 ずっと昔。初めてこの人に会ったとき、ひどく憔悴していたこと。「お仕事でママがいない間は、萌が武藤くんの様子、見ていてあげてね」って頼まれたこと。私の言葉で、悲しい思いをさせてしまったこと。今でもずっと覚えている。
「いいんです」
 私は精一杯、笑顔を作った。
「ただ、いなくならないでもらえたら、それで」
 気持ちのアンバランス、と、心の中で呟く。――バカみたい。面倒臭いやつは、私じゃないの。
 微妙に申し訳なさそうな表情を浮かべている武藤さんを見上げて、「じゃあ、私、行きますね」と努めて元気に言ってみる。
「またいつでも遊びに来てくださいね」
「ありがとう」
「たい焼き、大事に頂きます」
「うん。帰り道、十分気をつけてね」
 手を振って別れ、再び一人になった。黙々と坂を上るうちに、腕に抱えたたい焼きの温かさに、ちょっと泣きそうになる。
 綾に会っているのが嘘の私だとすれば、武藤さんと話しているのは、本当の私?
 ……っていうか、「もにょもにょ」以外でできてる私って、探せばどこかにあるものなんだろうか。
「萌ちゃん?」
 坂の途中で、再び声を掛けられた。見れば、桧山荘の下宿人の学生、飯田聡史が自転車で併走している。
「…………」
 私が独りになりたいときに限って現れる、抜群の間の悪さ。さすがは飯田くんである。
「さっき駅前で武藤さんに会ったよ。萌ちゃんも会ったんだよね」
「うん、まあ」
 横を並んで走る自転車の荷台に、おもむろにドーナツの箱を突っ込んだ。
「うわっなに、ドーナツ?」
「これ全部と交換条件。飯田くん、今晩、私たち母娘の夕飯を作ってくれない?」
「えっ、でも今日は料理する予定はなくて、買ってきた弁当で済まそうと」
「そこ、重要じゃないし。私とママのご飯を作ってくれと頼んでいるだけだし」
「えっと……断る権利は?」
「ない」
「……いやでも、やっぱムリだって。俺、明日提出期限のレポートがまだ白紙で」
「今、断る権利、ないって言ったよね?」
「……はい……」
「今日は私、ほんと疲れてるから。先、自転車で戻っちゃって」
「……はい」
 飯田くんは言われるがまま、しばらく坂を上っていったけれど、ふと立ち止まってこちらを振り向いた。
「さっき武藤さんに『たい焼きを萌ちゃんに預けたから、みんなで分けてね』って言われたんだけど……、ドーナツなの?」
「そう、ドーナツ」
 私は、腕に抱えたたい焼きを、一匹たりとも手離す気はなかった。
「たい焼きがドーナツに変異したの」
「変異……って」
「もう、なんでもいいから。疲れたから。先に帰って。今すぐに」
「うん……」
 腑に落ちない表情のまま、飯田くんは再び自転車の重たいペダルを漕いでゆく。
 ドーナツ。たい焼きの変異体。何、その適当すぎる嘘。自分で言って、笑ってしまった。そんなひどい返答にも怒らない飯田くんは、本当に気のいい人だ。いつもこんな調子でごめん、と心の中でたまに思うけれど、残念ながら私も日々余裕がなくて。悪いけど、家賃を盾に、当分こき使わせてもらうね。 
 たい焼きは今日食べる分以外は冷凍保存して、ママと大事に食べるつもりだけど、やっぱり、あとで一匹、彼にも分けてあげよう。
 見えてきた自宅を眺めながら、まだほのかに温かい紙袋を、私はもう一度抱えなおした。


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サークル名:a piacere(URL
執筆者名:西乃まりも

一言アピール
新刊『空気をソーダで割る方法』に寄せて書きすぎちゃったのには気づいていますすみません。登場人物の人間関係や、このお話の直前に起こったドーナツ店でのエピソード(こっちのほうがむしろ壮大な「嘘」話です)も、新刊を読めば大体分かります。気にしてくださる方は是非よろしくお願いします!

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