女ともだち

 アヴェリー・ハーパーにとって、その日はついていない日だった。
 彼女に声を掛けられるまでは。
 出掛けにブーツの紐が切れてバスに乗り遅れた。予定の次の便では酒臭い中年男に絡まれ、結局、待ち合わせしていたカフェに到着したのは約束の時間を過ぎてから。仕事絡みだったから信用問題だ。事の顛末を説明すると相手は理解を示してくれたから良かったものの、大事な計画に何だかケチがつきそうで一抹の不安が心をよぎった。
 カフェを出て、毎日通う隣町のマーケットへと足を向ける。雪の積もったメインストリートを行き交う車のスピードにも積もった雪に足を取られるのにも、少し慣れた。
 背後から弾んだ声が掛かったのは、買い物をすませて店を出たときのことだった。
「あら! お久し振りじゃない」
 振り返ると、人好きのする笑みを浮かべた女性が軽く手を上げて立っていた。
 心臓がひとつ跳ねた。それを押さえながらアヴェリーは首を傾ける。
「すみません、どこかでお会いしました?」
「ジュディでしょ? ジュディ・オーウェン」
「ごめんなさい、私はアヴェリー。最近、近くに引っ越してきたのよ」
 たちまち女性は申し訳なさそうに「まあ、ごめんなさい! 私ったらまた人違いを」
「いいえ、気にしないで。私も時々やっちゃうもの」
 茶目っ気を込めて肩をすくめて見せると、女性はほっとしたように胸に手をあてた。そこに煌めくネックレスがアヴェリーの瞳に灼きつく。
「素敵なネックレスね」
「ありがとう。最近手に入れたの。お気に入りなのよ」
 羨ましいわ、とアヴェリーは笑う。そんな彼女に女性は続けて言う。
「ねえ、もし良ければ少しお茶でもどう?」
 アヴェリーは腕時計に目を落とす。ホームレスがひとり、カートを押して通りを横切るのを目の端に捉えながら、頷いた。
「ええ、いいわ」
 女性はにっこりと微笑んだ。
「私はマーサ・モリス。よろしくね」
「こちらこそ」
 アヴェリーも深く微笑む――計画通りだ、と。

 友人となったマーサは朗らかな女性だった。
 おしゃれが好きなようで、身につけた服や装飾品はどれも高級なもの。
 アヴェリーがそれらを褒めると子どものように喜んだ。
 そして、二人が友人となって数週間が過ぎる。
 今日もアヴェリーはマーサとふたり、すっかり常連となったカフェで話をしていた。
 コーヒーの香りに目を細めつつ、アヴェリーはマーサに問い掛ける。
「今日のコートもとっても素敵ね。オートクチュール?」
「ええ、夫とパリに行ったときに設えたの。でももう十年も前のことよ。そろそろ新しいのが欲しいわ」
「ご主人、貿易商をされてるんだったわね。今は何を主に扱ってるの?」
「ごめんなさい。私、夫の仕事のことはよく分からないの……アヴェリーのご主人は確か、民間のリサーチ会社の重役だったわね。大変なお仕事なんじゃない?」
「そうね。でも、本人は好きでやってるみたいだから」
 肩をすくめてアヴェリーは語る。隣町にある家の様子。こだわったインテリアや外観などを。詳細に。マーサが興味を持つように。
 狙い通りにマーサの瞳が輝いた。アヴェリーは内心舌舐めずりしながら、つとめて落ち着いた声で話す。そう、目の前にあるグラスの水面のように滑らかな声で。
「ね、マーサのお宅はどんなお宅なの? きっと素敵なお宅なんでしょうね。今度お邪魔させてもらえないかしら」
 マーサがえ、と鳶色の瞳を瞬かせ、カップを覗き込む。アヴェリーはマフィンをひとくちかじった。オレンジの風味が広がって、アヴェリーはふっと息を吐いた。焦るな。焦るな。ここで逃したら元も子もないのだから。
 ウェイターが新たな客をアヴェリーたちの隣の席に案内してきた。愛想のない彼はちらりとアヴェリーを睨み付けると、オーダーを取りに去っていく。
「不躾だったわね、ごめんなさい。きっと素敵なお宅なんだろうな、と思って」
 マーサはじっとアヴェリーを見つめて、小さく微笑んだ。「いいのよ。近いうちに遊びに来て」
 カフェを出て、自宅に帰るふりをしてとって返し、アヴェリーはマーサを追った。
 気づかれないように距離を保ちつつ、マーサの背中を睨む。
 マーサはまっすぐに住宅街へと向かう。そして丁寧に手入れされた前庭のある一軒家へ入っていった。
 ドアが閉まるのを見届けて、アヴェリーはマーサの家の隣家の庭へと侵入する。刈り揃えられた芝生がアヴェリーの足音を消してくれるのが、好都合だった。
 身を屈めながらアヴェリーは適当な窓を覗き込む。片付けられたダイニング。人気はない。並んだ窓を覗き込もうとしたとき、窓辺にマーサの姿を見つけて慌ててしゃがみこんだ。
 マーサは携帯電話で誰かと話をしているようで、窓の外には全く注意を払っていないようだ。手にしたコートをソファに投げ、笑いながら電話を続けている。
 レースのカーテン越しに中を窺う。高級家具が並んだリビングだった。分厚い天然木のテーブルにはネックレスや指輪などが無造作に置かれている。
 お宝を見つけた。極一部だろうが、構わない。残りはあとでゆっくり探せばいいのだから。
 アヴェリーはそっとマーサの家を離れた。
 三ブロック離れた交差点で、カートを押したホームレスとすれ違う。
「どうだ」
 低い声で問うホームレスに、アヴェリーは素早くウインクしてみせる。
「今夜、決行よ」

 静かな住宅街の一軒家。玄関先にひとりの男女の姿があった。住民は寝静まっているのだろう、暗い窓を見上げて、女は背後の通りを振り返る。
 家と同様に寝静まった街――近隣でも特に治安が良いと評判の――には人の気配はない。女は口角を上げて玄関の鍵穴に針金を差し込んだ。
 女は熟練している。鍵穴は女の腕にすぐに敗北の金属音を鳴らした。滑らかに開く厚いドアの隙間に、ふたりは素早く身を滑り込ませる。鍵を掛け直す女の手にはいつの間にか鋭いナイフが握られていた。
 闇が落ちた室内に並んだインテリアに目をこらすと、どれも高級なものばかり。これなら家中お宝だらけだろう。はやる気持ちを抑え、階段を猫のように上がる。見渡すと主寝室と思われる扉が目に飛び込んできた。
 持ち主の手入れが行き届いているのだろう、この扉も静かに道を開く。なんていい子なの。キスをしたいくらいよ。
 大きなベッドに横たわるふたつの人影。男は大柄なほう、女は小柄なほうへ近づく。女は、最期の瞬間に、しばらく友達として過ごした女に命を奪われる驚きと恐怖が宿る目を見るのが好きだった。
 穏やかに眠る女の口を塞ぐ。目覚めて驚きに見開かれる目に微笑んで、凶器を振りかざした。

「そこまでだ! モリス!」

 突然、怒声が響きわたり、部屋の明かりが煌々と目を貫いた。振りかざした腕は獲物だったはずの女に掴まれ、引き倒され、床に押さえ込まれた。
 唸りながら見上げると、腕に鈍い痛みが走った。
「不法侵入、殺人未遂の現行犯で逮捕します」
 落ち着いた声は、聞きなれたアヴェリーのそれ。
 少し離れた所では、相棒である夫が引き立てられていくところだ。
 なぜ、なぜ。これまでうまくいってたのに。
 混乱するマーサの手首に屈強な警官が鈍色の輪を嵌める。
「嘘。嘘よ、こんなの。嘘。……騙したわね、この卑怯者! 覚えてろ!」
 叫ぶマーサは引き摺られるように姿を消した。
 それを見送って、アヴェリーは息を吐いた。そんな彼女の肩を叩く手がある。夫役としてベッドで並んでいた警官だった。いつもは烈い目がほんの少し、和んでいる。
「お疲れ。上手くいって良かった。カフェでは失敗したかと思ったけど」
「ええ、話に乗ってこないし、あなたに睨まれたときは駄目かと思ったわ、ジム」
 昼間、ウェイターに扮していたジムはひとつ笑って伸びをした。皮肉屋のジムの素直な笑顔は珍しい。それがなによりアヴェリーに、捜査が成功したことを実感させる。
「尾行はリスクが高いからあまりしたくなかったんだけど、いい結果になって良かったわ」
 話ながらふたりは家を出る。捜査のために借りていた空き家にアヴェリーが戻ることはもうないだろう。奇妙な感慨が湧いた。
 マーサ・モリス。名をいくつも騙り、善良な上流階級の市民を装って、夫と共に複数の州で殺人と強盗を繰り返していた凶悪犯だ。あの家に潜伏しているとの情報を得、彼女を捉えるために囮捜査官としてアヴェリーが赴任したのはこの夏のことだった。
 数ヵ月をかけて準備を整え、ようやく今日、任務が終了したのだった。バスで酔っ払った麻薬の売人を急遽、逮捕することになったり、トラブルはあったが、終わり良ければ全て良しというところか。
「ご苦労さまでした、ハーパー捜査官」
 何台ものパトカーの回転灯に騒然とした道路の中央に立つ中年の警官がいる。薄汚れた服を纏ってカートを押していた姿からは想像出来ないほど、普段の彼は清潔を心の友としている。
「ロバート、あなたも」
「モリスの家から、盗品を発見したとの連絡がありました」
「良かった。次は自白ね」
「それは俺たちの仕事。まかせとけよ」
 ジムの言葉にアヴェリーは頷く。ここからは地元の警官の仕事。アヴェリーへの協力要請はここまでだ。
「頑張って」
「ええ」
「言われなくても」
 ふたつの声は素直さの度合いが全く異なるが、その信頼性を損なうことはない。
 東の空の端が僅かに白み始めた。もうすぐ朝だ。少し休んでアヴェリーは本来の自分の居場所へ戻ることになる。そしてすぐに別の事件の捜査に取り掛かり、どこかの地へ赴くことになるのだろう。
 南カリフォルニア出身のアヴェリーにとってこの地の寒さは酷く堪えたけれど、
「そういえば少し寒さに強くなった気がするわ」
 そんな独り言を耳聡く聞きつけたジムがニヤリと笑う。
「へえ? 次の赴任先がアラスカであることを祈ってやろうか」
「やめて」
 軽口を叩きながら乗り込んだ車は、東に向かって静かに走り出した。


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サークル名:星の下に紫陽花(URL
執筆者名:鳥井蒼

一言アピール
いつもは異世界ファンタジーなどをメインに書いています。今回、初めての本、初めてのイベント参加ということで、せっかくなのでアンソロジーも初めて書くジャンルに挑戦してみました。サスペンスっぽく仕上がっていれば良いのですが。読んだ皆様に騙された!と思って頂ければ嬉しいです。

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コメント

  1. 瑞穂 檀 より:

    何かが水面下で動いてるけどなんだろう、と思いながら、わくわくと読みました。

    • 鳥井蒼 より:

      瑞穂 檀さま

      コメントをありがとうございました。
      返信が遅くなって申し訳ありません。
      わくわくと読んで頂けたとのこと、嬉しいです。
      私にとっては挑戦した作品でしたので、お言葉が本当に有難いです。

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