東大ハムカツ男~実在の学校組織等とは一切関係ございません

 青門をくぐれば人生が変わる。
 それは東央大学を志望し血のにじむような勉学に励む受験生たちの、合言葉だ。
 我が国が世界に誇る学問の府。文化財に指定された『青門』はじめ、歴史ある建造物が並ぶ学内。美しいイチョウ並木を、向学心あふれる学生が笑み交わしながら歩く。
……はずだったのだが。
「ゴロー! 助けてくれよー」
 今、私の前には、とても選ばれし学士とも思えぬ人間がいる。
 文学部歴史文化学科、藤枝翼21才。髪を明るく染め、目に「からこん」まで入れた、いわゆる《新世代型の東大生》というやつだ。最近は勉学だけでなく服飾センスや話術にも長けたチャラチャラしたのが人気らしい。とても同じ『青門の志』を共にする者とは認めがたい。
「なんだ、藤枝」
「我が東大の有名人『学食の名探偵』に折り入って相談があるんだよ」
 そう、私がいるのは東大本条キャンパス山田講堂地下食堂、通称チカショク。わずか二百円少々でハムカツ定食やハヤシライスが食べられる。名だたる東大学士はみなここの飯を食って社会の指導者やノーベル学者になったのだ。しかし大変に汚いので、飯を食うといつも体のどこかが汚れる。今日も白衣の袖が汚れてしまったが、まあよい。
「いったい何があった」
「彼女に逃げられた」
「帰れ」
 私は東大の頭脳とまで呼ばれる男、そんな破廉恥沙汰に付き合っている暇はない。
「いいだろ? 毎日のように昼は学食で瞑想してんだからさあ、ちょっとくらい協力してくれよ」
 藤枝は私の都合などお構いなく、カバンから一枚の紙を取りだした。
「これなんだよ。今朝枕元にあったんだ……そのかわりに彼女が消えてた」
 差し出されたルーズリーフを、私はしぶしぶと手に取った。筆ペンによるものだろうか、流麗な文字が並んでいる。

じっさいさーもうあたしと翼って釣り合ってないよね。
ってかもう限界だしいつ言おうか迷ってた。
かんぺき愛想つきたしもう隣の奥さんとかとつきあっていいよ。
……ま、そう言う事で。

「ただの別れの手紙じゃないか」
 たしか藤枝には高田馬場あたりで同棲している野田歩美という恋人がいたはずだ。関東私学の雄、早生田大学の三年生。地元が福岡と長崎なので九州つながりで親密になったと聞く。
「おかしいんだよ! 知っての通り、俺の彼女はミス早大ファイナリストで理学部とミステリ研究会のマドンナで実家は長崎の呉服屋で優しいし賢い。言葉遣いもマナーも完璧で手紙を書くときは『敬具』とかで〆ちゃう子なんだよ。巨乳だしな。とにかく歩美はこんな手紙は絶対に書かない。もしかしたら誘拐かも」
 聞いてもいないのにちょろちょろと要らん情報を混ぜ込んで、自慢たらしく藤枝は言う。
「それだけお前が嫌いになったんだろう。藤枝、お前いったい何回留年してるんだ?」
 私に問われて、藤枝はぐっと言葉に詰まった。
 けしからん事にこの男は、現役合格の後、ただの一度も進級してはいない。どこかへふらりと旅に出たり酒宴を開いたりに忙しく、無駄に年ばかり重ねている。自称「永遠の一年生」だ。
「にしたってこの文面は変だよ。歩美の語彙にない言葉ばっかりだし、そのくせ字はいつもと同じで綺麗だし。アパートから荷物消えてるし電話にも出ないし。かと言ってあっちの大学に押しかけたらストーカーみたいだし……あっ! まさか男の家にいるんじゃ」
「すぐに違う男の家に行くような尻の軽い女とお前は付き合っていたのか」
「それだけはない、歩美はそんな女じゃない。俺が一緒に住んでもらうのだってすげー苦労したんだから」
「じゃあ友達の家にでもいるんだろう」
「それだって普通に心配だろ! 連絡が取れないんだぞ」
 そう怒鳴る藤枝の表情には、不可解さや苛立ちと同時に、彼女の身を案じる色も一応は見て取れる。野田歩美が心配というのもあながち嘘ではなさそうだ。
「……筆跡は確かに彼女のものか?」
「そうだよ」
 このような男に助言というのも癪だが、いつまでも心配させておくのも寝ざめが悪い。私は教えてやることにした。
「お前、気付かないか? 野田歩美の意図するところに」
「意図するところ……?」
「彼女はこの手紙に二つ仕掛けをしている。一つは高校生でも、もう一つに至っては小学生でも分かるものだ。ミス研女子のちょっとしたお遊びってやつだな。粋じゃないか」
 言われて藤枝はしげしげと手紙に視線を落とす。
「全然わからん」
 私はため息をついた。躾の良い女性がわざわざ筆ペンでこのような乱暴な別れの手紙をよこす意味。そこに込められた感情、それに気づかんとは。
「教えてくれよ『地下食探偵ゴロー』」
 学食の片隅を定位置に思想にふける私はいつの間にか、学内でそんな名前で呼ばれるようになっていた。
「藤枝、本当に分からないか? お前でも?」
「さっぱり分かんね」
 仕方ないな、と息をついて、私は口を開く。
「その方こと 不相応につき 離別いたし
つかわし 申し候 然る上は この末 
隣家へ 嫁入り候とも 差し構え これ無し
よって 件のごとし」
「? それ、なんだっけ。聞いたことあるな」
ここまで聞いても意味が分からないらしく、藤枝は首をかしげた。
「法制史学の授業でやらなかったか? いわゆる三下り半というやつだ」
 現代でも配偶者へ別れを切りだす行為を「三下り半を叩きつける」などと例えることがある。要するに離縁状だ。
「弘化や文化……1800年頃の江戸で非常によく用いられた文面だ。今でいうところの『てんぷれ』のようなものか。『私とあなたは別れます、隣家の者とでも勝手に再婚してくれ』といったような内容だな。野田歩美の手紙はそれを現代の口語に訳したものだ。筆ペンで書いてあり、三行と半分という書式になっているのもその証左になる。隣のおばちゃんが突然出てくるのもそのせいだ」
「江戸時代の三下り半の真似って……なんでそんな事するんだ?」
「留年男であっても東大生、しかも史学専攻のお前だから気づいてくれると思ったんじゃないか。裏を返せば、そんな事にも気づかない男にはもう用などない、という手痛い意思表示かもな」
 おそらく彼女は、藤枝にきちんと史学という学問をおさめ、進級をしてもらいたいと願っている。それに思い至ったらしい藤枝が、少し表情を陰らせて視線を落とした。
「……そっ、か」
「それからもう一つ。偶然の可能性もあるが、頭文字をとると『じっか』になっている。彼女の居場所のヒントかもしれない」
 あ、ホントだ、と藤枝が軽く目を見開いた。
「でも歩美だって学生だぞ? 毎日バイトだって実験だってあるのに九州の実家になんて戻るはずないと思う」
「実家にいるとは一言も言っていない。ただ実家の人間に伝言を預けているような可能性ならばある。一か八か電話してみればいいだろう」
「実家の番号なんて……知らない」
「長崎の呉服屋というところまでは分かってるんだろうが。電話帳でもインターネットでも片っ端から当たれ。お前は情熱を試されている」
 さんざん苦労をかけた女の実家に電話をするなどというのは想像する間でもなく気が重い。はたしてこの男に、それをするだけの気概があるものだろうか。
「ま、未練があるなら連絡してみろ。娘を弄ぶなと怒鳴られる覚悟もした上でな」
「そうだな……あとで電話してみる。怒鳴られたら……謝ろ」
 藤枝は汚いテーブルに突っ伏してはぁー、と海より深いため息をついた。さすがに長く付き合った女性に逃げられるとこのような男でも気落ちをするものらしい。しかし心を入れ替えるかといえばそれはまた別の問題だ。こやつはきっと今年も留年をするに決まっている。留年はもはやこの男の人生の一部、逃れられぬ宿業と言っても過言ではない。
「にしてもさすがだよなあ『チカショク探偵』。こんなすぐに気づいて」
「自分の専門分野であるのにピンとこないお前の方がおかしい。この『留年王子』め」
 不名誉な二つ名で呼んでやっても、藤枝はまったく堪えない。
「そんなことねーよ。気づくお前の方が変態なんだって」
 そして、私を見つめてしみじみと呟いた。
「ゴロー……それだけの知識と洞察力ってやつがあるのにさあ。なんでお前、東大、受からないんだろうね?」
「……それは言うな」
 我が身としても納得のいかない事実ではあるのだが。
 実を言えば私は東大の学生ではない。
 部外者出入り自由のチカショクで勉強や瞑想や読書を行ってはいるが、身分はただの浪人生だ。東大ひとすじで五浪しているため、ゴローが通称となっている。ちなみに去年はシローで一昨年はサブローと呼ばれていた。
「白衣まで着て学生面して、紛らわしいぞ」
「別にいいだろう。東大生だと偽ったことは一度もないんだ」
 そうだ。嘘はついていない。
 ただあまりにも私が東大生らし過ぎると言うだけだ。大抵の人間は、私を学生かОBだと勝手に勘違いする。
「もう諦めて旧帝のどっか入れよ。京大でいいだろ別に」
「私は東大に入りたいんだ」
 青門をくぐれば人生が変わる。
 そう思って必死で机に向かった十代のあの日から、私の情熱は一片も曇っていない。私は東大を愛している。次の春こそは合格し、胸に秘めた『青門の志』を、実践に移すつもりだ。そのために日々、ここで受験勉強をしている。五年近くひたすらこの食堂を根城として、去年などはついに浪人生のまま、同い年の卒業生たちを見送った。
「まったく。私が何度も落ちて、こんな軽薄で女好きの留年男が現役で合格するとは……」
「あーはいはい、すいませんね。その愚痴も三年聞かされて飽きちゃったよ。まあとりあえず助かった。定食おごってやるよ。いつものハムカツでいい?」
「うむ。いなりをつけろ」
 私は学生たちの些細なトラブルを解決しては、ちまちまとハムカツやきつねうどんを馳走になっている。最近は東大生でもないのに、皮肉を込めてか「東大の頭脳」と言われるようになった。たまに「ハムカツの人」とも呼ばれているらしいが、それは気にしないように努めている。
 まあ今年こそは受かって見せよう。この東大に。
 その時こそ本物の、東央大学チカショク探偵の誕生だ。


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サークル名:エゾモモンガと東京出張 サイト等なし
執筆者名:まや

一言アピール
ごくごくたまーにやる気を出しごくこくたまーにぺらっとした本を作る個人サークルです。

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コメント

  1. 瑞穂 檀 より:

    会話のテンポが良くてサクサク読めました。面白い。もう少し読みたいと思ってしまう…

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