イグ・カフェにて

 わたし、本当は歳もとっているし、肌だってアプリで絹タッチ+5まで補正したし、見る角度によっては似ても似つかないって言われるかも。髪も生まれたときからチリチリの縮毛だけど、送った写真はロング・ストレート。画像を見て、えっ、誰この人? って言われかねない。お世辞にもボディラインがきれいとは言えない、曲線美というより直線美。最近、お腹のネジが緩んでふくよかになってきているし、もちろんそれは自覚してるわ。毎日の立ち仕事のおかげで大腿四頭筋は燃焼するから、足だけは自信があるけれど、背丈は低いし、猫背だし、性格暗いし、眼鏡だし、なんたって口下手だから人との会話は続かない。あー最悪。何でわたし、いまこうして電車に乗っているの? 何を期待しているの? 変な顔されて、笑われて、無理って言われて、結局また二時間かけて静岡に戻らなきゃなんないのが落ちじゃないの? あー何もかも正直に言えばよかった。メールの世界でしか話せない、とっくの昔に耐久年数も越えている、オタク女子。チャット以外で人と話したことがないのよ。友達もいないこのわたしに彼氏ができる訳がないじゃない。これっぽっちもの希望もない。可能性ゼロ。ゼロテンゼロゼロパーセント。
 でも――でももう後戻りできない。

 僕はもう戻れない。それはわかっている。リアルで会えるなんて、こんな夢みたいなこと、この先、金輪際、起こり得ないだろう。この機会を逃すことはできないのだ。もちろん会ったその先はわからない。何しろ何をどうすればいいのかわからないのだから。恋愛のプロみたいなことを書いてしまったけど、実は僕には恋愛経験がない。ゼロ。ゼロテンゼロゼロパーセント。チェリーボーイもいいところだ。ただ、たった一度、デートならある。でもあれ、デートって言えるのかな? あれは十数年前のこと。高2の春、クラスの女の子に一緒に帰ろうと言われて、放課後、お城の公園を肩並べて歩いたんだ。桜もすっかり散ってしまった葉桜の公園を、何を話すでもなく、何を聞くでもなく、二人とぼとぼと歩いたっけ。僕は緊張のあまり足を滑らせて、柵のない崩れかけた石垣から落ちて、そりゃーもう悲惨な結末だった。しばらく意識がなかったらしい。そのとき怪我した右の大腿四頭筋が今でもときどきうずく。いやいや、そんなこと回想している暇はない。約束の時間まであまりないぞ。急がなくちゃ。

 あら、急がなくちゃ、わたし。もうこんな時間。それにしても東京駅のこの人の多さは何? みんな楽しそう。ヒト型恋愛の初学者だから、ついカップルに目がいってしまう。いやいや、わたしには人とは違う道があるわ。これが私の生きる道! なんちゃって。とにかく早く行かなくちゃ。この人混みをかき分けて、わたしは一人、突き進んで行くのだ! 競歩でね。かき分け、かき分け、進むのだ。(FFのオープニングの曲)あらまたゲームに入ってしまった。急がないと思って急いでいたら、こんなに汗かいちゃった。うっ、ほんのり脇から油臭いのがにおってくる。仕方ない、デオドラントシートを挟んじゃえ。

 そう言えばスマホケースに挟んだ、あの手紙が気になってきた。あれでよかったのか、この期に及んで僕は少し不安になってきた。その手紙を最初に渡し、まずはリオちゃんに読んでもらうというアイデアは我ながらいいプランだと思っている。これを変更はできない。でもこの手紙にはこれまでやり取りした内容が嘘だったという告白が綴られているわけだから、間違えることはできないし、さらなる誤解を与えることもできない。そう思うと、誤字はなかったか、変な言い回しになっていないか、いまさらそんなことが気になってきた。念入りに言葉を選んだつもりだけど、原稿というものは推敲をいくら重ねても、どこかおかしな箇所があるものだ。そうだ、このエスカレーターを降りてしまう前に再チェックしよう。僕はヒップポケットからスマホを取り出し、挟まれた手紙を慎重に抜き、封筒の中の折りたためられた手紙を広げた。

「リオちゃんへ、
 僕は嘘をついていました。写真も違う写メを送信していました。ごめんなさい。何人も女の子と付き合ってきたというのも真っ赤な嘘です。僕は今まで女の子とつきあったことが一度もありません。ごめんなさい。でも、これは悪気があったわけではありません。事実と違うことをゆがめて伝えるのは悪いことだと思いますが、考えてください。これはいわゆる世の中で言われる白い嘘です。白い嘘の意味ですが、ウィキには『傷つけることのない、たわいもない嘘。誰かを傷つけることを防ぐためにつく嘘』とあります。もし僕が、会ったこともないリオちゃんに本当のことを告げるとどうでしょうか。きっとリオちゃんはがっかりすると思うのです。そのことで傷心すると思うのです。人は、たとえば余命幾ばくのガン患者に希望を持たせるために、『来週には温泉にでも行こうね』という嘘をつくではありませんか。もちろんリオちゃんがガン患者というわけではありません。ただ、ただ、リオちゃんと会うための方便です。会いたいがためについた、これは白い嘘だったのです。
 お金持ちのボンボンでもありません。もっとも、うちの親は公務員で、ある意味日本で最も安定した職業に就いているわけで、生涯収入と雇用の安定性を鑑みると、お金持ちであるともいえます。これも白い嘘の一種です。
 何人もの女の子と付き合ってきた知人を知っていますが、彼は嘘の大王です。比較するわけではありませんが、彼からすると、僕は純粋で無垢で素直な男子だと思います。彼のつく嘘は黒い嘘だろうと思うし、こうやって真実を打ち明けることも一生ないでしょう。
 一か月前リオちゃんとネットで出会って、今日、リアルワールドで出会って、ここが出発点だと考えてください。この始まりを快く迎えることができるなら、これを読み終わったら、にっこり微笑んでください。そうしたら僕は微笑み返します。もし目を落としたまま3分以上経つようなら、僕は振り返って来た道を戻ります。よろしくお願いします。トキオより」

 手前味噌だが、なかなかの名文だ。誤字は見つけられなかった。ま、これでいいか。あとは待ち合わせの「イグ・カフェ」へ。

 「イグ・カフェ」ってあれね。なかなか良さそう。一面ガラス壁に面したカウンターだと東京駅のレンガの駅舎が正面に見えるわけだ。トキオくん、ナイス・チョイス。五分早く到着したけど、五分遅刻のために皇居のお堀でも散歩してくるか! だって、先に行って待つより、わたしを待っていてほしいじゃない?

 やっぱり先に行って待つのが礼儀だな。男なら先に行って女を待つ、そういう構図が映画にもある。オープンして間もないこの時間帯なら、駅舎を眺められる席を確保できるはずだし、先に座っていてあげるのがマナーだろう。晴れていてよかった。お、席も空いている。椅子がハイチェアだったことは計算外だが、なかなかいい雰囲気のカフェだ。
「あ、二人です。でも、あとから来ますから。僕はカプチーノをいただきます」
 あと二分。

 あと二分。油臭いのはだんだん引いてきたし、気持ちもだんだん開き直ってきたような気がする。そうか、開き直るというのはこういう心理波形なのね。とても安定した精神状態で、くせになりそう。いろいろと勉強になるわ。何事も勉強ね。そろそろイグ・カフェに向かおうかな。いいお天気でよかった。

「あっ」
「あっ」

 イグ・カフェの通りに面した全面ガラス壁のカウンター席に、男女が並んで座っている。陽光に向かって咲くひまわりのような、二人の笑いが見てとれる。男は大きく手をふりかざして何か転落したようなしぐさをする。女はちりちりの髪をくしゃくしゃとかき上げる。

 男は数え切れない嘘をついてきた。生まれてこの方、嘘をつかない一日はないくらいの量だ。それが人間というものだ。だけどそんなことは顧みず「嘘だと思うから嘘なのだ」という命題の裏である「嘘だと思わないなら嘘ではないのだ」も成り立つのだと、男は説得していた。そのことが相手に伝わったかどうかはわからないが、女はそれを受け入れたように見えた。まるで自分の知識と経験に照らし合わせて新しい定理を学習するように。その後、女はおしりを椅子の奥に引き、座り直し微笑んだ。

 その日二人は、それぞれの思いを胸に秘めながら東京駅で別れた。男は銀座線に乗り、女は東海道線に乗った。座席に座ったトキオは少し後退した前髪を気にしながら、丁寧に髪の毛を触った。焦点の合わない両目は地下鉄の窓を突き抜けて、どこか南の島のビーチを眺めているようだった。その表情は満足げで、心の中に小さなガッツポーズがあった。一方、静岡行きのリニアに乗ったリオは座席につくと服のボタンを外した。すると、ちょうど心臓がある位置の小さなつまみをカチリと回し、正方形の扉を開けた。中からコネクタ付きのケーブルを取り出し、接続の向きを気にしながら、窓の下の差込口に接続した。そして彼女は思考波形によるメールを送った。

「MN32、名称リオ、静岡大学電子学部人造人間科、反ファクト考察PJ、フェーズ4、報告。ヒトの解析にはまだまだ及ばないが、成果あり。ジョークと呼ばない言動で、単なる事実と異なる事象すべてを、ヒトは必ずしも嘘とは呼ばない。それどころか積極的に虚構を作り上げることで精神的安定を享受している。このPJは続行し、そのままフェーズ5へ。あ、そうそう、帰ったら脇のあたりの修理をお願い」


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サークル名:銅葉のこころ(URL
執筆者名:業平心

一言アピール
読む人がそれぞれの風景を眺めることができる小説でありたいと願います。心温まる思い出でも、わくわくする希望でも、たとえそれが、悲しく苦しい受難でも、来たかったと思えるような「その場所」で出会えることができたら。

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