恋人たちの殺人事件

四番目の殺人!
標的はうら若き令嬢! 震撼の「女王陛下の薔薇」殺人の犯人は未だ見つからず。

 大々的な文字と、惨殺された令嬢の粗い絵が一面に載せられたゴシップ紙をたたんで、ジョーは長い足でせかせかと歩いた。街じゅうを飛び交うあらゆる新聞紙の一面を、この連続殺人が占拠している。犯人はさぞ誇らしいことだろうと思いながら、ジョーはポケットに手を突っ込んで微笑んだ。
 時計を見れば、待ち合わせの時間を少々過ぎている。ここから歩けば三十分はゆうに遅刻してしまうだろうが、相手もどうせ時間を守らないだろう。そんな思いから、ジョーはのびのびと歩いているのだ。街中に目を配ることも忘れない。どんな些細な変化も、見落とすことの無いよう――労働者のジャケットのポケットには、あらゆるものが詰まっているのだ。たとえばメモとペンはジョーが眠るとき以外は絶対に手放さないもの。そして反対のポケットに入った携帯用の酒壜と煙草は、眠るときも手放さないものだ。
 くいっと壜を傾けて、喉を通る透明なアルコールで浮遊感に磨きをかける。自分の書いた記事が一面を飾るのは誇らしい。あるいは犯人以上にこの殺人をよろこんでいる。特別手当金が出るほど、新聞は売れていた。刷っても刷ってもなくなるのだから、毎日でも殺人が起きて欲しいくらいだ。
 ふと、川向うに見慣れた姿を見つけて、ジョーは眉を上げた。
 すらりとした立ち姿と、眩いばかりの金髪は見まごうはずもなく、エリのものだ。
(なにをしているんだ?)
 彼はジョーの知らない女を二人も伴って、暗い路地へと消えていった。待ち合わせには遅れるのが常とはいえ――そして自分がゆうゆうと約束を破っているとはいえ――待ち合わせ相手が他の女と路地に消えるとは、不穏なことだ。
 ジョーはあらためて酒を食らい、ぐいとくちびるを拭うと、いつもの場所へと足を勧めた。もちろん先程の光景を、手早くスケッチしたことは言うまでもない。

 火のない煙草を咥えて、冷めかけの紅茶を啜る。地下喫茶はいつもひっそりとしていて、ぼんやりと煙った空気が心地いい。ただ、遅れてきたジョーよりもさらに遅れる相手はいただけない。階段を下る規則正しい足音を聞いて、ジョーは顎の下で手を組んだ。
「ごめん、ジョー」
 少し焦った様子の相手が、ジョーの向かいの椅子を引いた。彼はさっと手を上げると、コーヒーを、と言う。
「遅かったね、エリ」
「だから謝ったじゃないか」
 言いながら、エリがジョーの煙草に火をつけた。ようやくひと息だ、と思いながら、彼をうかがう。素晴らしい金髪、素晴らしい顔立ち、素晴らしい衣服と素晴らしい立ち居振る舞い――およそこの場末の地下喫茶が相応しくない瑞瑞しいおとこ。ジョーはふん、と鼻を鳴らすと、かたわらの鞄から茶封筒を取り出した。すっと卓上にすべらせると、エリはそそくさとそれを懐にしまった。
「確認しなくていいのかい」
「君のことだからね。あの一面記事の絵は粗すぎてなにがなんだか……さっぱりだよ」
「そりゃ仕方ないさ。細かく描いてもごらんよ、ショッキングすぎて街じゅうの人間が腰を抜かすに違いない」
「……ずいぶん待った?」
「ああ。たっぷり。君がどこでなにをしていたのか知らないが」
「ごめんよ」
 冷めた紅茶を熱くする、壜から安ブランデーを注いだ。
 エリはその様子をじっと見て、「飲み過ぎてるよ、ジョー」という。彼はジョーに酒をやめさせたいらしいが、そうはいかない。灰皿に煙草をとんとんとやって、ジョーは彼を見上げた。
「詩人さん、調子はどうなんだい」
「読む? 新作ができたところ」
「いや結構。わたしにはその手のことはわからない、特に君の詩はね」
「ひどいなあ。いつも思うけれど、君って誰にでもそう率直なの?」
「さあ、どうだろう」
 くすりと笑うと、卓の下から手が伸ばされた。膝に触れる親密な手に、ジョーは片眉を上げる。
「君がレディと路地に消えるところを見たが?」
 そう言うと、驚いたようにエリが身じろいだ。その様子をじっと観察しながら、膝に置かれた手に手を重ねる。すると、彼の頬にかすかに朱が散る。
「それでジョーは僕に当たりがきついというわけか」
「失礼だねえ」
「そうでしょう? あの人はなんでもないよ、ちょっとした道案内」
「君がひとに親切を? それこそ珍しい、スクープしようか」
「やめてよ、ジョー。可愛いひと」
「それは君のことだよ、エリ」
 微笑むと、エリが身を乗り出す。軽く重ねられた唇に、眉をひそめるような人間はここにはいない。なにせ逢引専用といっても過言ではない秘密の喫茶店なのだから。いかにもいかがわしい立地といい、ふたりが気に入っている店であることは言うまでもない。
「連続殺人もとまらないね。女王陛下はきっとかんかんだ」
 身を離したエリはどこか楽しそうだ。ジョーも同じ気持ちだった。この事件を切り売りしているものはみな、こんな顔で話す。もっともエリは、詩作にこの事件が多大なるインスピレーションを与えてくれたといってよろこんでいるらしいが。その詩は残念ながら彼の懐をあたためる類の成果をもたらさないが、若き詩人は自らに納得のいくものを書けただけで満足している。ジョーは彼を愛おしく思う。
「次の被害者はきっとすぐだよ。だんだん犯行の間隔が狭まってきてる。毎日事件が起きたらいいのにと思っていたところだ」
「それはすごいね。だが、君はこれだけ近くで取材を重ねていて、なにか犯人に気がついたことってないの?」
「あいにくわたしは探偵でも警察でもないからね。そういったことは小説の何某にでも任せておけばいい」
 ジョーが肩を竦めると、エリがもう一度くちびるを重ねた。
「お酒臭いよ、ジョー」
「じゃあ別れるかい、エリ?」
「それは無理だ。さあ、僕のところへ行こうか」

五番目の殺人!
咲いた二輪の薔薇、散らされた双子の姉妹! 犯人の情報求む。警察は手詰まり。良き市民だけが頼り。

 エリは宙に撒き散らされた号外を長い手で見事につかまえた。まだ刷ったばかりの新聞は黒く太い見出しのインキが手につきそうだ。この一面記事を飾るのはやはり絵だが……それを手掛けた人物は、この前のエリの文句に応じるかのように、ゴシップ紙の号外とは思えない細密な筆致で描いたようだ。この解剖図なみに確実な絵のおかげで、号外は宙を舞っている。
「やるなあ、ジョー」
 エリの恋人はよくよく経歴不明の女性だ。年上だということは知っている。いつも労働者風の鳥打帽を斜めに乗せた粋な姿で、草臥れたシャツがよく似合う。ジャケットのポケットに片手を突っ込んで、街の片隅で煙草を喫っている姿なんかはまさに伊達男という風だが、その顔立ちは優美な曲線で形づくられている。だいたい楽しげに酔っぱらっているものだから、とろんとした目元などはエリをぎょっとさせることがあった。
 号外をきちんとたたんで胸にしまうと、エリは颯爽と歩き出した。昨日の待ち合わせには遅刻してしまったから、今日もそうするわけにはいかない。それに早く、ジョーの顔が見たかった。エリのすばらしい恋人は、火の無い煙草を咥えて待っているだろうか?
 顏を上げると、見慣れた長身を視界の端にとらえた。顎の線でそろえた独特の髪型と、見事な赤毛が目を引くのだ。
「……」
 ジョーが、見知らぬ女を伴って、安アパートの階段を上っていった。ここらで仕事をするジョーの知り合いかもしれないが……。ふっと目を逸らして、エリはせかせかと足を運んだ。はやく地下喫茶に行って、泥のような味のするコーヒーを啜るのがいいだろう。
 エリは頭の片隅に、言いようのない恋人への不信感と淡い思慕の情を書き留めることを忘れなかった。

 エリのコーヒーはよくわからない粘度のためか冷める気配をみせず、舌が火傷しそうに熱いままだ。軋みをあげて開いたドアの隙間から身を滑らせて、ジョーがやってくる。迷いのない大幅の足取り。エリがちらと目を上げると、彼女は煙草を咥えながら席に着いた。すかさず火をつけると、満足げな微笑とともに煙が吐き出される。
「五番目と言うべきか、六番目と言うべきかは悩んだが、とにかく次の被害者を七番目と呼ぶことで意見は一致したよ」
 ジョーの緑色の眸がエリを覗き込む。
「次の被害者ね」
「ああ。二日三日もすればすぐさ、きっとね」
「ジョー、さっき東区で見かけたけど……」
「そう? あちこちで聞き込みをしているから。声をかけてくれればいいじゃないか」
 眉を上げたジョーに言い返されて、エリはもにゃもにゃと誤魔化した。頭のなかで出来上がりかけていた詩篇を一篇破棄して、ジョーのための紅茶を頼む。ジョーはこんななりなのに、コーヒーはたしなまないらしい。とにかく酒を紅茶にどぼどぼと注ぐのが好きなのだ。ほとんどアル中の彼女のことが心配なのだが、やめさせるのは無理だとすでに学んでいた。泥酔しない程度に見守ったり、見張ったりしたりが精一杯だ。
「すまないんだが今日は絵は持ってきてない」
「残念だけど仕方ないな。でも、号外の絵は君のだろ? 素晴らしかったよ」
「ああ、見てくれたか。良かった」
 ジョーが嬉しそうに目を細めるものだから、エリは愛おしさで胸が詰まった。
「あれを描いているあいだは酒を断っていたから、君の絵を描くときにはもう手がぶるぶるきていてね、描けなかったのさ」
 コーヒーをむせそうになって、すんでのところでこらえた。エリがじっとりと見つめると、ジョーは気にしたふうもなく紅茶というよりほぼブランデーになった液体をうまそうに飲む。
 エリが頬杖をつくと、ジョーは「そうだ」と言ってエリの頬に手を伸ばした。手は繊細だ。よくインキや絵具で汚れている手だが、その独特のジョーのにおいがエリは好きだった。
「今度の週末、一緒に出掛けないか? たまには田舎でゆっくりしよう」
「ほんとうに? 行きたいよ、事件があってからジョーはずっと忙しかったからね。でもいいのかい?」
「ああ。同じような見出しを作るのにも飽き飽きしてきたころさ、それに息巻く記者ならたくさんいるし……なによりあの絵のことで編集長に一発食らうのもごめんだからね。ついでに警察にも」
「そういうこと」
 だが、週末をジョーと過ごせるのは嬉しい。彼女は忙しいからなかなか時間が取れないが、気ままな学生のエリはいつだってジョーに会いたいのだ。彼が焦がれている時間、彼女は目を輝かせて事件を追っていると思うと、無性に寂しくなる時もあった。
「……久しぶりだな、ジョーと出掛けるのは」
 思わず呟くと、ジョーが悪戯っぽく笑った。
 頬をつま先でそっと撫でられて、肩を揺らしてしまう。
「いつもさみしくさせてごめんよ、愛しいひと」
 そんなふうに言うものだから、エリはジョーに敵わないのだ。

七番目の週末殺人!
犯人は休暇中、警察も休暇中。以前続く「女王陛下の薔薇」殺人に、王宮はかんかん!

 週末旅行から日常へと帰還したジョーとエリは、睦まじく腕を組んで動物園のなかをゆったりと散策していた。獣のにおいがきついが、あたたかな春の陽射しのなかの逢引は心地よく、恋人たちを優しくさせる。ジョーは相変らずポケットから酒壜をのぞかせていて、エリは原稿用紙をめくっていた。彼の穏やかな声が朗々と読み上げるのは、「女王陛下の薔薇」連続殺人からインスピレーションを得たという例の詩だが、ジョーは微笑して聞きながらも「下手くそだねえ」と容赦なく言う。
「しかし、せっかくこの事件をもとにしたんだから、今度の特集に掲載してあげようか」
「嫌だよ、三流ゴシップ紙なんて」
 エリが顔をしかめ、ジョーはたまらず笑い声をあげた。


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サークル名:ヲンブルペコネ(URL
執筆者名:跳世ひつじ

一言アピール
美少年と美青年がやんややんやする獣欲小説『病める白百合』を頒布しますー!アンソロジーはぜんぜん関係ない「嘘」のお話を書きました。思わせぶりです。

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