醤油祭のはじまり

 また故人からメッセージが届いた。「終活」なんて言葉が流行ったが、今は生前にメッセージを用意するのは普通の習慣だ。そうした最後の言葉はたいてい死亡届の受理からすぐに配信される。だけど今回の送り主は、死後半年も経ってから送ってよこしたのだ。
 世界は宵闇。赤い月と白い月が連れ立って二つ天にある。踏み出せば、ザリ、と砂が鳴る。
 ここは『フェルマータモンド』、彼と何度も訪れた仮想現実バーチャルリアリティゲームだ。故人の手紙に触れて伝わる紙の感触は、触覚伝達装置ハプティックウェアが伝える疑似感覚。目の前にゆらめく篝火の情景も、かすかに聴こえる遠い狼の遠吠えも、すべてヘッドゴーグルの中の出来事だ。
「お待ちしておりました鯖太様。祭りの支度が整っております」
 篝火の奥から男性が姿を現した。着物風の服と額から生えた角、いわゆるノンプレイヤーキャラクターだ。会話も判断もすべて人工知能で制御されている。このゲームには用意されたシナリオがない。里人と呼ばれる彼らによって世界が運営されている。
「俺の名前、知ってるの?」
「醤油様から承っております」
 故人が『醤油』で俺が『鯖太』。お互い長く使っていた名前ハンドルだ。
 里人に従い歩みを進める。操作は脳波検知式だから歩くと意識すればいい。だがこれが苦手な人が多く、セミダイブVRゲームは存外ユーザーが少ない。
 広場のベンチに勧められて座ると、目前の舞台に小さな角を持つ少女が現れた。抱えているのはギター、薄絹を重ねたふわふわの着物が愛らしい。俺にぺこりと頭を下げる。そして彼女はギターとともに歌い始めた。
「……!」
 それは俺のよく知る歌だった。雪倉沙羅、俺の青春。声優、シンガーソングライターとして活躍していた彼女が急な病でこの世を去ったのは、まだ平成の頃だ。
 顔も声も振る舞いもよく似ている。ただ少しだけ記憶の中より若い。仮想現実とはいえ、仮想現実だからこそ、彼女が目の前にいるようだ。雪倉沙羅が俺を見て俺だけに微笑みかける。懐かしい歌に思わず手拍子を合わせればとても嬉しそうだ。
「鯖太様、お誕生日、おめでとうございます!」
 彼女が呼びかけると、里人たちが一斉にクラッカーを鳴らした。俺の頭上を紙吹雪が舞う。なんだこれ。
 彼女が、雪倉沙羅の声で手紙を読み始めた。
『鯖さん、いつもありがとう。寝たきりになっても僕がゲーマーでいられたのは鯖さんのおかげだ。毎日アシストスーツでお姫様抱っこして、ログイン準備して床ずれまでみてくれて。「ケアボランティアやれば俺の介護保険が安くなる」って言うけど照れ隠しなの知ってるし。このライブは日頃の感謝を込めた誕生祝い。この子、ルミルっていうんだ。僕のプロデューサー業の中でも最高傑作だよ。鯖さんの驚き顔が見れないのが残念だな。じゃあ、またね。今までありがとう』
 醤油、覚えていたんだ。俺が雪倉沙羅の追っかけだったこと、絶頂期に死んだ彼女への未練が後悔のように残っていることを。突き上げるように胸が痛い。
「鯖太様が一人で来たときは、この手紙を読むように、と預かっていました。醤油先生はどう、しましたか」
「天国って意味わかるか」
「死者の安らぐ国と」
「行っちゃったよ」
 ルミルの瞳からするすると涙が流れ落ちた。現実の俺がそうであるようにひどく泣いている。アイテムボックスの『幸せの黄色いハンカチ』を手渡す。
「ありがとう、ございます……」
 視界の隅に心拍数の異常警告が出る。この動悸は現実か。
「悪い、今日は行かなきゃ」
 ログアウト直前まで、ルミルは俺のことを見つめていた。

 それから俺は足繁くルミルの元を訪ねた。
「歌は全部醤油から習ったのか」
「はい。醤油先生は偉大な吟遊詩人ミンストレルで、数多の歌を授けてくれました」
 かつて『醤油を一升飲んでも九月一日はやってくる』という人工音声の歌う動画が流行ったが、その作者が醤油Pこと醤油だ。コンピューターを歌わせる手腕は健在だったわけだ。
「先生……」
 彼女は雪倉沙羅の顔で涙を零す。痛ましい泣き顔。俺が雪倉沙羅を失った時もこんな顔をしていたのだろうか。もう、あの辛さを思い出せない。
「先生を思って歌えば歌うほどに先生が遠ざかる気がします。いくら歌ってもあの人は帰ってきません」
「醤油のこと好きだったんだね」
「好き、というか特別でした。あんな風に命を懸けるように歌う人、他にはいません」
 醤油が『フェルマータモンド』で歌うのは難しかったはずだ。普通の人なら音声入力で事足りる。が、寝たきりの醤油の声はかなり衰えていた。あの人は歌もギターも脳のイメージだけで再現したのだ。それ以外に方法が思いつかない。身を削るような行為だっただろう。それを、俺のために。
「聴きたかったな、醤油の歌」
 顔を見合わせてため息をつく。醤油は単独行動を好んだから普段のゲームプレイも知らなかったが、なんて淋しいサプライズを残したのか。
「私、お祭りをしたいです。醤油先生の曲を歌う祭りを」
 大変だ醤油、君を想ってAIがお祭りをやるって言ってるよ。どういう報酬スコアを設定すればこんな思考になるんだ。
「いいと思う。でも、どうして?」
「私、忘れたくないんです。醤油先生のこと」
 故人を忘れまいとする抗いは俺が長く忘れていたものだ。人を見送ることに倦んだ身には、なんとも熱くまぶしい。
「……やろう。醤油祭りだ!」
 俺だってじきに死ぬ。ゲームの中でくらい、友人のために一騒ぎするのも悪くない。

 祭りは醤油の誕生日とした。ログインするたび醤油を祀る神社の建造が進む。祭りには祀りが必要らしい。俺も準備を進めた。ルミルに贈りたいものがある。
 祭りの当日。俺は醤油を知る施設ホームの連中を『フェルマータモンド』に片端からログインさせる。醤油のご子息にも連絡を取り、知人やネットワークに告知してもらった。
 宵の暮れ、俺がログインすると人々が列を成して里へ向かっている。
「百人はいるか?」
 十人もくればいいと思っていたが、醤油の人脈を軽くみていた。
 篝火の門を抜けると、普段は静かな里が都会のように騒がしい。提灯に紅白幕、屋台も出ている。まるで祭りだ。
 人をかき分けて舞台の裏に回るとルミルがぽつんと座っていた。
「どうしよう。あんな大勢の前で、歌を」
 ルミルが涙目で俺を見上げる。
「お前は醤油先生の教え子だ。絶対、大丈夫」
 それに雪倉沙羅の現身うつしみだしな。俺は『幸せの黄色いハンカチ』を差し出す。
「もらうの、四枚目です」
 ルミルは笑ってハンカチを袂にしまい、ステージへ向かう。
 祭りが始まった。ルミルの声が魔法の風に乗り里中を揺らす。袖の広がった和服とミニスカートにオーバーニーソックスに身を包んだ姿は、俺たちの愛した平成のキャラクターたち、「俺の嫁」を思わせる。
 サイリウムを手にした観客は思い思いに歌を聴き、声援を送り、時に声を合わせた。現実では走ることもままならない俺たちが仮想空間でAIの歌に陶酔する。これはフェスだ。
「次で最後の、曲となり……」
 涼やかな彼女の声が急に崩れた。袖からうつむくルミルが見えた。
「ルミルちゃーん!」「泣かないでー!」
 往年のオタ芸で鍛えたらしい声が客席から飛ぶ。彼女はハンカチを取り出し涙をぬぐう。
「みなさんは、もし……大好きな人、推しの人、がこの世界から……消えたらどうしますか?」
 客席に動揺が広がっていく。どこで推しなんて概念学習したんだ。醤油が教えたのか。
「醤油さん、は、私の先生で神様で……私の推しでした! はじめて醤油さんが歌った時から私は夢中でした。なのに、あの人はもういない。私は教わった歌を歌わずにはいられなかった。歌えば歌うほどにあの人がいないことが突きつけられて、辛くて、辛いのに! でも、歌は止められなかった!」
 それは生きた叫びだった。
 死んだ歌手に似たキャラクターを見つけた醤油が、歌手のファンである俺のために歌を教え、そっくりに歌う人形に仕立てた。無邪気な企みがこんなに彼女を苦しめている。
「青田さーーん!」
 客席から俺を呼ぶ声がする。ここで本名は止めて! でも意図は分かった。俺は舞台上へと歩いて行く。
「ルミル、君にプレゼントがある。醤油が作った歌だ」
 醤油の息子、その名も枝豆氏がギター片手に走り寄ってくる。彼は今日のために『フェルマータモンド』を始めたのだ。
 枝豆氏のギターに合わせて客席が赤紫の海となる。俺は胸いっぱい息を吸い込んだ。
「九月一日が怖い、怖くて、一気に醤油を飲んだんだー!」
 醤油Pの代表作。彼はルミルに自分の曲を教えていなかったのだ。そんなのダメだろ。
「醤油を飲めば、一升飲んだら、明日が消えるって聞いたから!」
 人工音声のための曲は、人間には奇怪で歌いにくい。だけど俺だって彼女のために練習した。俺は今リアルでも声を張り上げている。
『一合、二合、三合、四合!』
 客席のかけ声もばっちりだ。単純なノリのいい曲だ。『醤油! 醤油! 一気! 一気!』のサビは、ルミルも飛び跳ねて歌ってくれた。醤油を一升飲み干しても九月一日は来る。醤油がいなくても俺たちには毎日が来る。
 歌い終えて、俺はルミルに向き直る。
「ルミル、君を尊敬する。俺は推しが死んでからずっと曲も聴かず、追悼イベントにも行けなかった。でも君はすぐさま祭りをはじめた。君の歌は醤油に届いている」
 君の歌は醤油に届く。そう言えばルミルの苦しみを少しでも軽くできると思った。
「……歌なんか、届かない!」
 悲痛な否定に会場が静まり返る。
「だって天国に歌が届いても返事は来ない! じゃあ届かないのと同じでしょう!」
「それでも届くって思い込むのが祭りなんだよ! ルミル、お前の言う通り死人に歌なんか届かない。それでも俺たちは俺たちの場所で歌うしかないんだ! 俺たちは、俺たちのために、忘れたくなくて歌うんだ! それが祭りだ!」
 彼女が息を呑んだ。
「歌ってくれ、ルミル」
 ルミルが黄色いハンカチを握りしめて歌い出す。雪倉沙羅の代表曲『八月まなつの雪祭』だ。歌う彼女の横顔は焦燥と決意に満ち、痛々しくも美しかった。醤油祭は永く続くだろう。俺が死にルミルの寿命が尽き、この世界が終るまで。


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サークル名:やまいぬワークス(URL
執筆者名:斉藤ハゼ

一言アピール
普段は現代日本を舞台にした小説を書いていますが、今回のアンソロでは近未来に挑戦してみました。なお、作中に登場するキャラクターが現実の方とお名前が被ってしまいましたが、本作はもちろんフィクションでまったく関係ありません。

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