いとかなしきあわれなる

 盆踊り、というものを蛇骨じゃこつは初めて見た。賑々しい音楽に合わせ、人々が櫓を取り囲んで舞い踊っている。櫓の周辺には屋台が立ち並び、射的に輪投げ、綿菓子に焼き唐黍、人々はおのおのに祭を楽しんでいた。
 埃っぽい空気と熱い人いきれに、蛇骨はほんの少し気圧される。祭があるらしいから行っておいでと輝水きすいに送り出されて来たものの、この空気をどう楽しんで良いのかわからない。蛇骨は身の置き場もなく、喧噪から少し離れた位置でぽつんと立ち尽くしていた。白の半袖の開襟シャツも夏用の学生服のズボンもじっとりと汗ばみ、気持ちが悪い。刀袋の負い紐をぎゅうと握って、心もとなさをやりすごす。
 星空に、ひゅうと音を立てて花火が昇った。しかし爆ぜることはない。瞬いていた星も見えない。賑やかな音楽もひたりと止み、人影は消え、あたりは一面べったりと色濃い闇と化す。
 慣れた空気に、蛇骨は何だか安堵してしまった。真暗闇に在るのは蛇骨だけだ。すう、と息を吸い込めば、よく知った腥い血の臭いがした。蛇骨は刀袋から愛刀を取り出して、闇の主のおとないを待つ。
「こぉんばんは、蛇骨ちゃん。夏服もかわいいわぁ」
 ぽ、と闇に灯が点り、この闇の支配者が現れた。櫓の上で少女は無駄にくねくねと媚態を取っている。
「んふふ、どうかしらぁ。浴衣姿のアタシもイイでしょお?」
 浴衣姿の少女が櫓の上でくるんと回ると、黒髪にさした簪が揺れた。年頃は十五ほどで、蛇骨とそう変わりない。少女がくるくると回るたびに血の臭いは濃さを増す。蛇骨は鍔に指をかけ、柄を強く握った。
「ねぇえ、お喋りしてよ蛇骨ちゃん。アタシを無視しないでぇ? どうしたのぉ? アタシが可愛すぎてドキドキしちゃったぁ?」
「俺自身を恥じていた」
「あらぁ?」
「貴様のおとないに安堵してしまった俺を恥じていた」
 不慣れな祭の気配よりも、慣れた血の臭いに安堵してしまった自分が恥ずかしい。これは斬るべき存在なのに。日常を戦闘に置く身といえ、歓迎すべきことではない。
 蛇骨は鞘から刃を抜き放ち、地面を蹴った。櫓まで跳び上がり、上段から振り下ろす。少女は余裕の態度ですいと一歩だけ下がり、蛇骨の斬撃から逃れた。
 刃先は櫓に飲み込まれた。蛇骨は柄から手を離し、すぐ傍らに在る少女の帯を掴む。力任せに押し倒し、柔い腹の上に馬乗りになった。ほんの少し驚いた顔をする少女を殴りつけ、動きを封じる。
「きゃあん、蛇骨ちゃんったら乱暴ねぇ。アタシを斬らなくても良いのぉ? アタシを斬るのがアナタのおつとめでしょお?」
 その通りだ。蛇骨はこいつを斬るために存在している。
「アタシはウキヨミ。現し世に禍を連れてくる。アナタは蛇骨。蛇骨とは道具。ウキヨミを消す為に成された存在。アタシを斬るために育てられたただの道具。その存在を『蛇骨』と呼ぶ――だったかしらぁ?」
 鼻から血を流して少女――ウキヨミはにたにたと笑った。言いながら、ウキヨミが体を起こそうとする。その気配を察した蛇骨は、ウキヨミの頭蓋を掴み、櫓の木床に打ちつける。
「あっはは! 斬る前に打って弱らせて、それからじっくり斬る作戦だったのかしらぁ? でもごめんなさいね、蛇骨ちゃん! アタシったらそこそこ頑丈なのよぉお」
 後頭部を強く打ちつけられながら、ウキヨミは堪えた様子を見せない。顔面を掴む蛇骨の手指の隙間から、爛々と目を輝かせている。
 ウキヨミは大きく口を開くと、べろりと長く舌を伸ばした。ぬるつくそれで蛇骨の手首を舐め上げる。嫌悪感に蛇骨は思わず息を飲み、手を離してしまった。
「うふふ、蛇骨ちゃんのお肌つるつるねぇ。かぁわいいぃ」
 その隙に、ウキヨミはぬらつく舌で蛇骨の手をさらに拘束する。蛇骨の手首から肘、二の腕へ蛞蝓のように這い、開襟シャツの中へともぐり込み、舌先で腋をべろりと舐められる。
「――ッ、ひ」
 情けなくも声が漏れた。気色が悪い、気色が悪い! 嫌悪感で肌が泡立つ。ウキヨミの舌はシャツの下の蛇骨の汗ばむ肌をなめずり、明確な意志をもって胸元にやってくる。
「やめろ!」
 舌を払おうとするが、シャツの内側にあるそれをどうすることもできない。歯噛みして、蛇骨は突き立てられたままの刀に視線をやる。そして舌に巻き付かれた自分の体ごと、刀身にぶつけた。
「やんっ、ひどぉい」
 蛇骨の目論見通り、ウキヨミの舌がぶつりと刃によって断たれる。この刀はウキヨミを斬ることに特化したもの。ウキヨミ以外に深い傷を負わせることはない。
 とはいえ蛇骨も無傷というわけにもいかず、刃に傷つけられた肌からは赤い血が溢れ出た。汗と血と粘液に濡れながら、蛇骨は荒い息でウキヨミを睨みつける。
「生娘みたいね、蛇骨ちゃん。蛇骨ちゃんは男の子なのにねぇ」
 断たれた舌からぼたぼたと血を垂れ流しながら、ウキヨミは笑う。分かたれた舌先は今も蛇骨のシャツの中にあり、それはうねうねとくねって、蛇骨の下着の中を目指して肌を這った。
 蛇骨は乱暴にシャツを開き、ウキヨミの舌先を掴む。舌先は蛇骨の手の中でびちびちと跳ねるが、先ほどのように伸びることはない。
「ふふ、センセイはお元気かしらぁ?」
 舌を斬られながらも、ウキヨミは意に介さず汚らわしく笑っている。
「蛇骨ちゃんにスケベなことしたって知られたらあのヒトは怒るのかしら。それとも、まぁったく気にもかけないのかしら。ねぇえ、蛇骨ちゃんはどう思う? どうだったら嬉しいのぉ?」
 ウキヨミがセンセイと揶揄して呼ぶのは輝水のことだ。彼は蛇骨を『蛇骨』として育て、ウキヨミを消すためだけに生を繋いでいる。
「かわいそうな蛇骨ちゃん。あわれな蛇骨ちゃん。センセイは別段あなたを特別にかわいがってはいないわよぉ? あれはとってもひどい男ですもの」
 歌うようにウキヨミが言う。蛇骨を挑発したいのか、それとも単に言葉で嬲って愉しみたいのか。そのどちらもだろうか。
「あなたが死んでも、あれはすぐに他の誰かを『蛇骨』にして、アタシを消すために育てるわ。きっとね。別に、あなたじゃなくたって良いの」
 そんなこと、蛇骨とてわかっている。だがそうだとしても、ウキヨミの言葉に蛇骨は惑わされない。
「なるほど、俺はかわいそうか」
 輝水も、時に同じ言葉を蛇骨に投げる。かわいそうな人の子、ひどく愚かしくあわれだね。そう言って、美しく微笑むのだ。
 蛇骨の動揺を狙っていたのであろうウキヨミは、動じない蛇骨の姿に意外そうな顔を見せた。蛇骨はウキヨミの舌先を櫓に押しつけ、もう片方の手指をぬらつく表面に滑らせる。
「あっ、あんっ、やだぁ、急にどうしたのぉ? 蛇骨ちゃんったら誘ってるのぉ?」
 自身の身を抱えて悶えるウキヨミの戯れ言は無視して、蛇骨は指を使い舌に文字を書いた。
 可
 愛
 想
「最近覚えた。こういう字を書くのだと」
「イイわイイわぁっ、蛇骨ちゃんの指使い最高よぉ!」
 体から分かたれていても感覚はまだあるのか。不思議なものだ。だがまあ、身悶えるウキヨミは隙まみれだ。今の間にと、蛇骨は櫓から愛刀を抜く。
 斬りかかるが、興奮したままのくせにウキヨミは機敏に刃を避けた。
「だぁめ、まだやられてあげなぁい。アタシ、もっともっと蛇骨ちゃんと遊びたいものぉ。じゃあねぇ、蛇骨ちゃん。次はもっとスケベなことをしてあげる」
 ウキヨミはぴょんと櫓から飛び降りる。それを追い蛇骨も地上に降り立つが、ウキヨミはすでに姿をくらませていた。
 同時に、どぉん、と花火があがる。わぁっと歓声が続き、辺りに漂うのは祭の熱気で、血の臭いなど欠片も無い。シャツも乱れ、刀を手にした蛇骨の姿は異様であるだろうに、祭に浮かれた馬鹿な少年だとでも思っているのか周囲は気にも留めていない。
 蛇骨は手早く身なりを整え、刃を鞘に納めた。刀袋に仕舞い、早足で喧噪から逃れる。
 祭の音楽に背を押されながら、輝水の待つ屋敷へと急いだ。どぉん、とまた花火があがる。
 やがてたどり着いた屋敷に足を踏み入れた途端、賑やかな音がやんだ。空に咲く花火ももう見えない。
 この屋敷は、外界から隔絶されている。いつだって静謐でありながら、紅い花が咲きわめいている。
 紅い花を眺めながら、輝水を探して蛇骨は静かな庭を歩んだ。
 薄物を身に纏った輝水は、橋の上から池を見下ろしていた。蛇骨の姿に気づくと、清らかに微笑んで見せる。
「おかえり、蛇骨。祭は楽しかったかい」
「……つまらなかった。輝水がいないから」
 おや、というように輝水は柳眉を上げる。
「ウキヨミにも会った。あれは嫌いだ。汚らしくて、いやらしくて、不快だ」
「仕方がないさ、あれはそういう生き物だから。禍をまき散らし、人を欲して食らう。怪我をしているね」
 輝水は冷たい指先で、蛇骨の傷口に触れた。
「かわいそうに」
 痛むかい、と温度を感じさせない指先が蛇骨の腕の傷をたどる。
「……逃げられた」
「かまわないよ。それよりちゃんと治療をしないとね。人とはもろい生き物なのだから。おいで」
 手を引かれ、紅い花の咲く庭を歩む。輝水の細い背に、蛇骨は声を投げかけた。
「輝水」
「何だい」
「俺は、かわいそう?」
「ふふ、そうだね蛇骨。お前はかわいそうだね」
「俺はただの道具だというのに、そのくせ、盲目に輝水を慕っているから?」
「そうだね、僕の蛇骨。よくわかっているじゃないか、賢い良い『蛇骨』だ。ああそうだ、蛇骨とは人の姿をした、ただの道具なのに。なんて愚かであわれで、かわいそうなんだろう」
「輝水」
「何だい」
「――もっと。もっと、俺をあわれんで」
 輝水が歩みを止めた。振り返る。
「愚かな子」
 いつものように涼やかに、穏やかに微笑んで輝水が言う。
「お前はなんて、かなしいのだろうね」
 輝水の声が蛇骨を潤す。まるで清涼な水のように沁み渡り、すうと満ちていくのを感じる。
 愚かでかなしい、あわれな僕の蛇骨。
 その言葉さえあれば、どれだけでも強くなれるような気がした。


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サークル名:階亭(URL
執筆者名:ろく

一言アピール
和物でだいたい刀を装備しているものが多いです。アンソロ参加作品は「闇群れに蛇」の番外掌編。懺悔:ほんとに全然そんな予定なかったのに、急に触手成分が乱入してきて祭の成分が薄まりました。どうして……。本のほうでも蛇骨ちゃんは健気で、ウキヨミはハッスルしていて、輝水はうさんくさいです。

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