巫女姫と八咫烏

 颯矢太はやたが旅に出る、と聞いたのは年が明けてすぐだった。雪の少ない時期を待って、出て行くのだという。
 時々外に出て、訓練をしているのは知っていた。だけどとうとう、その時が来てしまったのだ。
 かつて国には八百万の神が住まっていたのだという。だが人は争い、神殺しの罪を犯した。神々はいなくなり、太陽は雲の向こうに隠れ、国中が雪で覆われるようになった。
 わずかに神々の骸や、神器に神威が残り、その周囲だけ雪を避けることができた。人々はそこを玉垣と呼ばれる垣根で囲って住むようになった。そうやって守られた里のことを神垣みがきと呼ぶ。都波の住まうここは、大池に眠る蛇神に守られた、池野辺いけのべの神垣だ。
 そしていつしか、雪に強い体質の人が生まれるようになった。雪人ゆきひとと呼ばれる彼らは里と里を渡り、人々を繋ぐ。そういう役割を負う彼らのことは、トリと呼ばれた。
 颯矢太は、もうすぐトリになって出て行ってしまう。

 その日、トリの住む駅舎えきに駆けてきた都波とわは、颯矢太がいないのに気づいて愕然とした。もうすぐ大事な田植えの祭がある。その祭のための衣作りを放り出してきたのに。
「いなくなってしまったの?」
 都波は十二年前、年の明けたはじめの日、光に包まれ、椿の下で泣いているところを見つけられた。椿に授けられた子なのだと、巫女の司は言う。その神秘ゆえに巫女姫として育てられた。
 颯矢太は幼い頃、トリがつれてきた雪人の子供だった。親のいない都波は、同じように親のいない颯矢太と一緒にこの神垣で育った。でも都波は里人で、颯矢太は雪人だ。
 駅舎にいたトリたちが顔を見合わせる。彼らは、都波のような黒髪と黒目の里人と違って、赤っぽい茶色の髪に金茶の瞳をしている。
 都波が真っ青になっていると、くすくすと笑ってトリは言った。
「今日も近くを回って帰ってくるだけだ」
「だって、昨晩、八咫烏を入れるって言ってたもの」
 トリはその身の証に、手の甲に八咫烏の紋を入れている。八咫烏は、太陽に住むと言われる鳥、人々を導くと言われるものだった。
「ああ」
 納得した様子で、トリが声を上げる。
 その時、板木を打ち鳴らす音が聞こえた。二度叩いて、一息置いて、もう一度。それを繰り返す音。里の外から人が近づいてくるのを知らせる音だった。
「颯矢太!」
 都波は弾かれたように駆けだした。
 この神垣は椿の玉垣に囲まれている。それが途切れるのは、木の門があるところだけだった。門には木板がぶらさげられていて、見張り番の男がそれを叩いている。
 神垣の中とは違い、門の外はしんしんと雪が降り続けている。都波が門にたどり着く前に、大小の人影が門をくぐって入ってきた。
 大人の方のトリが、手袋を外して手の甲に刻まれた八咫烏の紋を見せる。見張り番は、心得た様子で応えた。
「おかえり」
 それは、トリが神垣に戻ってきたとき、誰もが必ずかける言葉だった。だけど今日は、そういう意味合いの挨拶だけではないだろう。
 少年の方が雪を払い、かぶっていた頭巾を脱いだ。
「ただいま」
 見張りに応えて笑う。
「颯矢太!」
 都波が呼ぶ声に、颯矢太は驚いてこちらを見た。都波は大きく手を振る。途端に、爪先を地面に引っかけて、そのまま転んでしまった。
「都波! また、足元見ないから」
 颯矢太が慌てて駆けてきて、半べそで顔を起こした都波を引っ張り上げてくれた。都波は頬を膨らませて言う。
「どうして、わたしが知らない間に外に行ってしまうの」
「一緒に行くって騒ぐじゃないか」
 颯矢太は革の手袋をはずして、都波の髪や服についた泥をはらってくれる。その手に、白い布が巻かれている。
 見咎めて、都波は颯矢太の顔を見上げた。颯矢太は少し困った顔をした。
「昨晩、出立式をやったんだよ」
 出立式は旅立つ日ではなくて、トリになることを決められた日に行うのが通例だった。その手の包帯の下に、八咫烏の紋が刻まれているはずだ。
 雪人にとって、トリになる祭事は、成人の儀式のようなものだった。本当はその場に居合わせたかったけれど、都波のような里人は関われない。
 成人の儀式はとてもめでたいことだ。お祝いしたいのに、出て行ってしまうと思えば、嬉しくない。しかもそれはもう、目前に迫っていた。
 都波は涙がにじむのに気がついた。顔をくしゃくしゃにしてこらえる。
「いつ行ってしまうの」
早降さおりの祭の頃じゃないかな」
 田植えの祭の日。あと幾日かしかない。
 嫌だ、とか、どうして、とか、言いたくても、口から出せなかった。
 いつかそういう日が来るのは知っていたし、颯矢太が望んでいるのも知っていたからだ。
「わたしが知らない間に出て行ったら怒るから」
 都波はむくれた。里の巫女姫たる都波は、大事な祭では役目がある。椿の木の下で見つけられた都波の神秘は、里のお祭りには必要なものだった。
 この枯れた国において、はじめの田植えを行う早降りの祭に、神秘の巫女姫がいないのは、不吉に思われる。
「都波に黙って出て行ったりするわけないだろう」
 颯矢太があきれた声を出す。
 ――でも、今日だって黙って出かけたくせに。
 都波はますますむくれた。颯矢太は、困ったように笑った。
「都波が送り出してくれないと、安心して旅に出られない」
 だって、行ってほしくないんだもの。
 颯矢太がいなければ、ひとりぼっちになってしまう。

 都波が巫女のやしろに駆け戻ると、年老いた巫女と、少女たちが衣を縫っていた。
 早降りの祭のためのものだった。椿の木から取り出した繊維を使って白妙の布を織る。それで衣を作り、巫女たちが祭に纏う。
「また遊び回っていたのか。自分の衣の支度も終わっておらぬのに」
 巫女の司は、都波を見つけてずっと育ててくれた人だった。都波は唇を尖らせて、司のそばに座る。
「だって、颯矢太が」
 声が震えた。そこにいた少女たちはちらりと都波を見て、お互いに目を見合わせてから、気づかないふりで仕事に戻る。
「都波」
 司は手を止めて、都波を見た。神域の山にこもっていることが多い司も、颯矢太がトリになることは知っているはずだった。
「颯矢太は、トリの役目を誇りに思っているのだろう」
「知ってる」
 都波はむくれて、手元の布を睨んだ。
「それなら、送り出してやりなさい」
「わかってる」
 本当はちゃんと送り出して、がんばってと言いたい。
「でも、颯矢太が行ってしまったら、寂しい」
 寂しくて、不安でたまらなかった。
「なのに颯矢太は、わたしと離ればなれになったって平気そうなんだもの」
 新しいところへ旅立つ。神垣の人たちは外を嫌うけれど、都波とってそれはとても希望にあふれたことに思えた。颯矢太は外の世界に出て、たくさんすべき事があるのだろうけど、都波はこの里に取り残されたままだ。先へ向かって進んでしまう颯矢太は、都波の不安や寂しさなんて気づいていないようだった。
「それなら、何かお守りを作ってあげなさい。お前のことを忘れないように。あの子の身を守ってくれるように」
 司は、布を握りしめる都波の手を取って、なだめるように言った。
「あの子はここを出て、誰にも守ってもらえないところに行くのだから」
 神垣の内は、神々の名残で守られている。だけど外は違う。いつも雪に覆われて、何があるか分からない。人々を襲う賊もいると言う。
 外を旅すると言うことは、自分の力で、外にある危険と戦っていかなければならなかった。
 颯矢太は、「都波が送り出してくれないと、安心して旅に出られない」と言っていた。
 どうしてそれに気づかなかったのだろう。
 颯矢太は以前、トリになるのは誇りだと言っていた。だけど、不安にならないはずがなかった。
「巫女が新しい実りを祈りながら織る白妙の布には、里を豊かにする願いがこめられいる。これは神垣のお守りだ。皆もそれを受け取って、神垣を守っていく。そういう祈りや願いは、人を生かすんだよ」
 司の言葉に、ただ頷く。自分のことばかり考えていたのが、恥ずかしかった。
 お祭りの新しい衣をお守りに渡すのはどうだろうか。新しく旅立つのだから、ふさわしく思えた。でも、それが旅の役に立つだろうか
「わたし、杖を作りたい。颯矢太のお守りに、椿の木の枝がほしいの」
 トリは皆、雪を渡っていく時に杖を携えている。都波を生んで、この神垣を守っている椿ならば、颯矢太を守ってくれる気がした。
 神垣を守る椿が、颯矢太を守ってくれるように。旅を助けてくれるように。颯矢太が都波のことを忘れず、この里に無事に帰ってきてくれるように。

 翌日には、里の人が杖を作って持ってきてくれた。本当は自分で伐りたかったが、怪我をしたら危ないからそれは駄目だと司に止められてしまった。
 都波は里のお祭りの用意をするかたわら、懸命に杖を飾る紐を編んだ。
 椿の花や葉で染めた糸を枝に結びつけて、組んでいく。切れたりよれたりしないように気をつけたけど、ぎゅうぎゅうになったりゆるんだりしてしまって、見た目は決してきれいじゃなかった。
 もっと早く作れば良かった。拗ねていないで、颯矢太のためにできることを考えれば良かった。
 もう悔やんでも遅い。そんなことよりも、颯矢太の無事を祈ること。それが何よりも大事だった。

 早降りの祭では、巫女の司が大池に祈りを捧げる。里を守る蛇神は、この大池に沈んでずっと眠っているのだという。
 水の恵みを、実りの恵みを祈ってから、巫女たちが小さな田に苗を植える。それから皆が一斉に田植えをはじめるのだ。終わったらまた蛇神に祈り、酒宴が行われる。里の皆が笛や太鼓で歌い踊る。
 この一年の実りを願う、とても大事な祭だった。
 都波は自分の手に持った苗を植えてしまうと、喜び騒ぐ人々に構わず、裸足のまま駆けだしていた。

 木の門の前には、トリたちが集っている。颯矢太はちゃんと都波を待ってくれていた。
「颯矢太!」
 走りながら都波は大きく手を振る。颯矢太は手を振り返しながら、心配そうに都波を見た。駆けつけた都波に、小さく笑う。
「転ばなかったな」
「わたし、ひとりでも大丈夫」
 肩で息をしながら、都波は握りしめていた杖を差し出した。
「颯矢太、これを持って行って」
 杖の先には、赤や緑や茶の糸で編んだ飾り紐がくくられている。
「神垣の椿の木で作ったの。颯矢太を守ってくれるように思いを込めて、紐を編んだの」
 颯矢太は驚いた顔で都波を見た。都波が泣いて引き留めると思っていたのかも知れない。
 そばにいた大人のトリが、颯矢太の頭をぐりぐりと撫でた。
「巫女姫からの祈りの卯杖か。素晴らしい贈り物だ」
 その言葉が嬉しかった。颯矢太はそっと手を差し出して、杖を受け取る。
 その颯矢太の手の甲には、八咫烏の紋が刻まれている。これは彼がトリである証。里と里を繋いでいく、重い役目を負った証だった。
「ありがとう。大事にする」
 金茶の瞳が、面映ゆく笑った。

「じゃあ、いってくる」
 木組の門の向こうには、雪が降り続けている。
 毛皮をまとった颯矢太は、頭巾を目深にかぶり、都波が渡した杖を握りしめた。きりりと革の手袋が鳴る。
 歩き出した背に、都波は思わず駆け寄りかけて、立ち止まった。泣きそうになるのをこらえて、声を上げる。
「いってらっしゃい。必ず、帰ってきてね。そしたら、旅の話しをたくさん聞かせてね」
 颯矢太がちらりと振り返る。その手に握られた杖の、飾りの紐が風になびいた。
「分かってる。ちゃんと帰ってくるよ」
 都波のいる、この池野辺の神垣に。

 門の木板が打ち鳴らされる。トリが旅立つときの音だ。神垣の内に響き渡る。
 颯矢太は、連れのトリと、馬を連れて門の外に出た。門の外は雪が降り続いていて、その姿はあっという間に霞んでしまう。
 都波は、雪の向こうに消えていく背を、いつまでも見送っていた。


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執筆者名:作楽シン

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和風ファンタジーや時代物、青春小説ぽいものを書いています

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