あんたなんか食べてやる

 あんたなんか食べてやる。私よりもずっと、海の底にいて、海をしっていて、海に知られていて、海に受け入れられているあなたなんか、四肢をもいで、頭の中身まで全て食べ尽くしてやるんだから。
 あかい殻の、細長い脚を曲がっているのと反対に曲げて、折り、ねじ切る。ゆっくり、汁が飛び散らないように。ゆっくり過ぎても汁は飛んでしまうし、折れないことがある。力と速度の案配が大事だ。
 余計な汁が飛び散ることもなく、間接から切り離した脚の端、とても小さな足先をその間の間接から同じ要領で切る。切った口に足先を突っ込んだ。
 逆側から、汁、しろく、表面の所々あかい身がぷるりと出る。
 ここでがっついてはいけない。希海キミは心得ているつもりだ。ここで出てくるのを待てずに引き出したり、ほじくり出したりしてしまえば、身はボロボロになる。
 だが、関節からねじ切られただけの脚の口は、脚自体の太さより小さい。
 押し出すほど、押し出される身は細く、ばらついたものになる。
 キミは唇を噛んだ。
「くっ……私の負けね、また」
 口に出すとなお悔しさが込み上げる。だがこれもまた、勝負と敗者の宿命だ。
 勝者たる蟹は、皿の中で空っぽの殻を晒している。勝者だというのに、蟹はこの勝ちを見ることも感じることもできない。そう、これは、キミがただ一方的に挑んでいる勝負に過ぎないのだ。
 そんなことは、分かっているんだけど。
「また負けたの、キミちゃん」
 テーブルの向こう側で、同じ蟹の半分を剥いていた海実がにやりと笑う。
海実ウミちゃんには関係ない」
 ウミはこの街が地元だ。海生まれの海育ち。山の中で生まれ育ったキミとは違う。
 ウミにそんなつもりは、海の民だからって、山の民を見下すような、馬鹿にするような、そんなつもりで笑ったんじゃないんだってことはよくわかっている。わかっているんだけど、蟹に負けたばかりのキミにはつらい。
 なんて、そんなことをうまく言葉にできるわけでもなくて、キミは蟹殻の片付けとか、皿洗いとか、お風呂とか、布団を敷くだとか、そんな中も気まずい思いをした。なんだって蟹合宿なんて言い出してしまったんだろう。いや、言い出したのはウミで、乗ったのがキミだった。
 寮住まいのキミの部屋で、実家住まいのウミがお泊まりをして、ウミが貰ってきた蟹を食べまくる会。
「いいアイデアだと思ったのになー」
 布団に入って、電気を消してから、真っ暗な天井に向けてウミの声が、ぽん、投げられる。
「キミちゃん、ごめんね。わたし、キミちゃんがそんなに蟹に負けるのが悔しいって、分かってなかった」
「えっ……。ううん、ごめん、わたしこそ、嫌な感じだった」
 キミとウミが出会ったのはこの春だけれど、二人は会ったその時から気があった。二人とも海が好きだった。それも、とてつもなく。
 だから、ウミは気持ち悪がらないのだと思っていた。ことあるごとにキミが海産物と勝負することを。その上一歩踏み込んで、ここまで理解を示してもらえるなんて。思ってもみなかった。親でさえわかってくれないのに。
「キミちゃんは、なんで蟹と勝負するの?」
「蟹とだけじゃないよ?」
「そうだけどさ。なんか、蟹とはすごく因縁がありそうっていうか」
「わたし、今まで一度も蟹に勝ったことないから」
「なるほど」
「あと、それに」
「それに?」
「蟹は、海の一番深いところにいるから」
 恥ずかしい。誰にも言ったことがない。蟹をどう思っているかなんて。特にウミは、海が好きだから。ウミにはウミの蟹像があるんだろう。
 馬鹿にされる。
「ははあ、なるほど」
「ウミちゃんは、蟹のことどう思ってるの?」
「ええ? わたしい?」
 えーっと。間を持たせるみたいなウミの声にどきどきする。ウミと、蟹像が違ったら。多分同じじゃないだろうけど。せめて正反対だけは。
「うーん、ものすごいおいしいけど、ものすごい食べにくいもの、かな」
 なんかこう、試練があるみたいな。ウミはそう付け足した。
「それだけ?」
「それだけって……。そうだけど。キミちゃんは、蟹が海の一番深いところにいるから、ライバル? みたいな?」
「ライバルっていうか……仮想敵っていうか」
「仮想敵」
「蟹は海の底にいるじゃない?」
 ウミの相づちが気持ちいい。するすると、胸の中の言葉が口をついて出た。
 海の底は、何千メートルも深くても、たったの三十センチでも、底は底だ。海の奥側。
 海の底に棲む生き物は、海のことを一番知っているような気がする。海の表面を見るだけのキミよりも、海の中を泳ぎ回る魚よりも。
 海の底に棲む生き物は、海にとても知られているような気がする。海の一番深いところにいるのだから。
話している間に気がついた。海の底にいる生き物は蟹だけじゃない。ヒラメとかカレイとか、ナマコとかも。
 蟹は、そんな海の底にいることを許された生き物のひとつだと思う。蟹だけを特別視しているんじゃない。ただ、その代表だと思っているだけで。
「わた、わたし、は」
 喉が引きつれた。いつの間にか、鼻が詰まっていて息苦しい。
 わたしには、海が遠い。海の目の前に住んで、毎日海を目の当たりにしても、山の中にいたときよりもずっと、ずっと海が遠い。
 目の前に広がっているからなおさら、届かないのがもどかしくて、悲しくて、むなしい。
 わたしが海にとって他人だから? 海生まれの海育ちだったら、海にとって仲間だった?
 わからない。わからないから、だから、海をわたしより知っている生き物と勝負しようって決めた。
 海で生まれて海の中で育った生き物に勝ったなら、きっとそれだけ海に近づけるはずだから。
「だから、きれいに食べることで勝ったことにしたんだね」
「そう」
 そういう意味で、蟹は難敵だった。蟹は魚よりも、きれいに食べることが難しい。
「そういうことならさ、勝負の手段を選んじゃだめだよ。素手じゃなきゃいけないわけじゃないでしょ?」
「それは、そうだけど」
「じゃあ、明日とっておきの秘密兵器貸したげる」
 頬をあついものが流れて、落ちる感触がある。頭をぽふぽふ叩く手の感触もあって、キミはとうとう声を上げて泣いた。
「じゃーん!!! 蟹フォーク!」
 翌日、茹で上がった蟹を前にして、ウミは細長い銀のさじを掲げた。
 両端が先割れで、少し曲がっている。なにより細い。
「呼び方はいろいろあるだろうけど、うちは蟹フォーク! あと蟹用ハサミ略して蟹ハサミね!」
 一見キッチンバサミに見えるが、キッチンバサミとは少し違う。
「これは持論だけどさ、きれいに食べることが生き物に対する誠意? になることもあると思う。でも蟹は、こうやって!」
 バッキィ! ウミが蟹の脚をへし折る。蟹ハサミを折れた口にねじ込み、バキバキ音を立てながら殻を切った。殻の一面をはがし、器のようになった殻の中で鎮座する身を蟹フォークでかき集め、口に入れる。
「おいっ……しい……!」
 蟹の殻からは汁がとめどなく流れ、殻のかけらは散乱する。だけど、身はひとかけらも残っていない。
「こうやって、身を無駄にしなければいいっていう考え方もあるんじゃないかなって」
「な、なるほど」
 キミは動けなかった。さすが海の民の本気は違う。あれだけ乱暴に食べているように見えて、実は隅々まで食べ尽くしている。
 キミは恐る恐る蟹ハサミを持った。殻に刃を立てるが、固い。
「フフフそうじゃないのよキミちゃん」
 ウミが満面の笑みで、ハサミを持つ手に手を添えてくる。
「ねえキミちゃん」
 蟹ハサミと蟹フォークの手ほどきをしながら、ウミの声のトーンが変わった。キミにはわかる。これが実は本題という声。
「わたしね、キミちゃんの、蟹が海の奥側にいるって考え好き」
 うん。キミは相づちをうつ。きっとこれが、ウミの、キミにとっての昨晩の話と同じなのだ。
「だから、蟹、見に行かない? 食べ終わったら。水族館」
 ウミの耳が真っ赤だ。
「驚いた。ウミちゃんって、蟹に恋してたんだ」
「海に恋してるひとに言われたくない!」


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サークル名:夢想甲殻類(URL
執筆者名:木村凌和

一言アピール
美少女が蟹を食べるだけの短編小説を集めたアンソロジー『美少女が蟹を食う合同』をテキレボ7で発行します。
また、個人誌としてはファンタジー群像劇長編『竜を喰らわば皿まで』二巻、蟹にまつわる短編集を予定しています。

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