海の歌声

 海の音が聞こえる。それは昔から続いて今もなお響き続ける。僕らの街は海の街だ。産まれる前から僕らの中には海があり、産まれた後も海に囲まれ成長していった。早川和樹はやかわ かずき泉水千花せんすい ちかは海の子供だった。僕らは家が隣同士で物心ついたときからいつも一緒だった。そんな距離が離れたのは高校進学のときだった。二人共、手に職を付けるために僕は工業高校の電気科、千花が女子高校の家政科に進学した。中学までの幼馴染しかいなかった小さい世界から学区が県全体に広がった広大な世界に変化する。高校に入り、お互い同性だけに囲まれることになった。異性が少ない環境になる。そんな中で幼馴染であっても異性と一緒にいるだけでからかわれる。自然と僕らの距離が遠のく。呼び方も名前からあだ名、あだ名から名字に変化した。千花の学校は駅の近く。僕の学校は海から遠く離れた丘の上だった。僕らを育んだ海が遠くなっていった。

 「早川、藤女ふじじょの一年生の泉水せんすいがお前の幼馴染って本当か?」同級生から尋ねられる。梅雨が終わりに差し掛かり高校生活初めての夏が近づいてきていた。工業高校の男所帯では女子との限りなく少ない接点をものにしようと監視の目が光らされる。春から何度も繰り返されている質問にうんざりしながら答える。千花とは思春期に入るまでは夏になると毎日のように一緒に海で泳いでいたぐらいの仲だった。今はその仲は友人と一緒の時は顔を合わせれば挨拶を小声で返されるぐらいまで後退している。小学生の時には僕らは結婚してずっと二人で一緒にいようと貝殻で作ったネックレスを千花につけて永遠を海に誓ったのが嘘のようだ。海はその約束をまだ覚えているのだろうか。覚えているのだったら巻き戻したい。何も計算がなされていない千花の笑顔が見たい。ただ二人でじゃれ合っていたい。

 蒸し暑さがこもった風を身に受け、自転車で自宅へと帰る。隣の家から千花の歌声が聴こえる。カーペンターズのイエスタデイ・ ワンス・モア。思わず聞き惚れる。千花のカレン・カーペンターによく似た歌声。久しぶりに聞く伸びやかな声。カレーの匂いがする。歌声が止まる。勝手口を叩く音がする。「早川君。カレーとポテトサラダだけど食べる?今日、おばさんはいないんでしょ。」お腹の音が鳴る。千花がクスリと笑う。その笑顔につられる。千花が顔をしかめる。「いただきます。」カレーはシーフードカレーだった。エビとイカにホタテそして竹輪の入った僕達の住む海の街のカレー。一気に食べる。「おいしい?」千花はどこか不安げだった。「おいしいよ。僕らのカレーだね。」千花が顔を赤らめる。「学校で調理実習の時にカレーに竹輪を入れたら友達に変な顔をされたんだけど、お父ちゃんが竹輪を入れないと食べてくれないから竹輪を入れたんだよ。」「そんなこといっちゃあ、おいねぇな。」「おいねぇよ。」千花の口から方言が出る。千花が赤くなる。「だめだよ。」千花が言い直す。「かず、一杯どうだ。オリオンズが勝ったからな。」野球中継の結果を見ながらビールが入ったカップをおじさんが傾ける。「僕、まだ未成年でお酒は飲めないので。」「つまらないやつだな。」千花が新聞紙を丸めておじさんの頭を軽く叩く。「千花。おまえ、本当に変なところがお母ちゃんに似てきたな。」「お父ちゃん。早く食べないとカレーがまずくなっちゃうよ。」おじさんは「へいへい」と軽口を叩きながらどこか楽しげにカレーを食べていく。

 すっかり酔っ払ったおじさんを尻目に千花は浴衣を縫っていた。海を思わせる青地に薄紅色のアサガオが咲き誇っている。千花は鼻歌で今度はトップ・オブ・ザ・ワールドを歌いながら針を進めていく。ひと針ひと針、器用に縫っていく。「泉水さん。縫い物が上手だね。」千花の手が止まる。一瞬の気まずい沈黙。「小さいときから、ばあちゃんに習っていたからね。」千花が小声で応える。そんなやりとりを見ておじさんがからから笑う。「お前ら一緒の風呂に入っていた仲だったのになぁ。恥じらいを知るお年頃ってか?」「お父ちゃん、バカ言ってないでさっさと片付けてよ。」千花の声に怒りが混じる。「ごちそうさまでした。美味しかったよ。」千花が鬼になる前に僕は台所に退散した。白い皿に米粒の白、カレーのルーの黄色が混じる。シャボンで洗っていく。どこかくすぐったいシャボンの香り。泡があたりに広がる。光が当たると虹色を映す泡が空中に浮かぶ。僕の母の特製の割れにくいように洗濯のりが入った液でのシャボン玉遊び。海に遊びに行くことの次に好きだった遊び。

シャボン玉飛んだ  屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで  こわれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ

千花と二人で飽きること無く何度も歌った歌。「千花ちゃんはお歌が上手ね。」僕の母が千花の歌を褒める。幼い千花は満面の笑みを浮かべる。「千花、歌うの好き。」そうして千花は小学校で習った童謡を歌い続ける。

海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む

海は大波 青い波
ゆれてどこまで続くやら

海にお舟を浮かばして
行ってみたいな よその国

千花が澄みきった声で歌う。
「千花、よその国に行っちゃ嫌だ。」
僕が涙声で訴える。キョトンとした顔で千花が僕を見つめる。
「よその国に行くときは和樹と一緒だよ。約束。」
「本当?」
「本当だよ。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。」

千花は自分の小指を僕の小指と絡める。

「指切った!」

僕の目に浮かんでいた涙は消えていった。千花とは約束を何度も交わした。その約束を千花は覚えているのだろうか。僕らにとっては高校が他所の国だった。家では話してくれるが外に出たら挨拶をする程度の関係だ。花には水をあげよう。千花は花で僕は水。その水はいつか海へ出る。海となって沈む太陽とのぼる月を抱こう。そんなことを考えていたら皿を洗う手が止まっていた。「早川君。何ぼーっとしてるの。水がもったいないでしょ。」呆然としていたのは千花のことを考えていたからと言えれば楽なのだが言うだけの勇気が無い。「泉水さん、約束覚えている?」「花火大会の船のこと?」千花がきっちりと蛇口をしめながらエプロンで手を拭く。おじさんが大声で言う。「千花、和にまだ言ってなかったのか。今度の花火大会の時に俺が船を出してやるから友達と一緒に来なよ。」去年は受験だったので花火大会どころではなかった。泉水家による毎年恒例の漁船での海上の花火見物だ。学校で一言出すだけで船が沈没することは間違いがない。頭のなかでメンバーを検索する。千花が僕を睨む。笑っていれば可愛いのに千花の表情は険しいことが多い。昔はよく笑っていたのが嘘のようだ。僕も変わったのだろうか。夏の寝苦しいに一人考え込む。僕達の進む道はどこで変わってしまったのだろうか。交わっていた線が遠くなる。遠くなった線は再び近づくことはあるのだろうか。

夏休みまであと僅か。テストが終わり、あとは終業式の校長の長い話だけだ。実習の時の同じ班だったムードメーカーのりょうとクラスの兄貴分の哲也てつやに漁船での花火大会の話を小声でする。二人共、驚きの顔になる。あまりの出来事に声が出ないらしい。「俺行く。絶対行く。」亮が大声になるのを哲也が抑える。「亮、落ち着け。お前が張り切ると良かったためしがない。早川、女子も三人だよな。」いつも冷静な哲也が珍しく取り乱している。目がギラついている。「多分、向こうも三人だよ。ちなみに泉水家と早川家一同がいるけどね。」その事を告げると二人がどこか悲しげだった。うら若き乙女たちを狼だけと一緒にしておくほど現実は甘くない。お盆までに宿題を終わらせ、花火大会に挑む。花火大会当日に実家が農家の亮が大きなスイカを持ってきた。色とりどりの浴衣を身にまとった千花の高校の友人達がスイカを見て喜ぶ。千花はカレーライスの傍らで作っていた浴衣を着ていた。「この浴衣は前に作っていた浴衣?」僕が千花に尋ねる。「皆、自分で作った浴衣だよ。」千花がそう答え、女の子三人達がどこか誇らしげに笑う。「浴衣を自分で作ったのですか?」哲也が目を丸くする。「だって私達、家政科だもん。」リーダー格の美香みかがクルリと回る。笑いが周囲にあふれる。千花も笑っていた。そのことが嬉しかった。しばらくの間、怒っている千花しか見ていなかったから笑えないのばかり思っていた。笑っている千花の足元が漁船の灯りを受けてキラリと光る。よく見るとそれは貝殻でできたものだった。記憶を辿る。僕らが永遠を誓った時の貝殻のネックレス。それがアンクレットになった。それが正しいかわからない。言葉が出てこない。無言で過ごす。気がついたら高校生達はそれぞれペアを作っていた。僕と千花の二人が残された。「このアンクレットって昔の―。」思ったことが声に出た。「和樹、約束覚えている?」千花が僕の名前を呼ぶ。久しく聞いていなかった千花の声での僕の名前。懐かしい響き。「私、高校を卒業したら小学校の先生になるために大学に行くんだ。」はじめて聞く進路。「千花はしっかりしているから良い先生になるよ。」サウンド・オブ・ミュージックの映画の一場面が脳裏によぎる。尺玉があがる。歓声が広がる。持っていたスイカの汁が垂れる。千花が笑いながらハンカチで拭う。「和樹は変わらないな。そこがいいんだけどね。」千花がいちごのアイスキャンディーを片手に無邪気に笑う。咲き誇るアサガオ。「約束って?」「よその国に行っても、私と和樹は一緒だよ。指切りしたでしょ。」きれいな声で千花が歌う。「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。」僕らは暑さで上気した頬を浮かべて小指を絡める。「指切った!」FIN.


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サークル名:虹色彗星堂(URL
執筆者名:長谷川真美

一言アピール
コトノハオフラインでご活躍なされている琴木緒都さんと長谷川真美のリケジョ二人で
TR7で『虹色彗星堂』が始動します。
基本ワンコイン!!恋愛、SFをお贈りします。
各種MAPにも参加予定なのでお楽しみにしてください♪

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