違う骨

 そもそもが斎藤の気まぐれから始まったことだ。僕らは海沿いのラーメン屋で今どき珍しい古くさい中華そばを食べて駐車場に停めた車内で休んでいた。僕らはその中華そばを美味しいとも不味いとも言わずに食べた。人を沈黙させるラーメンだった。店主も無口を守っていたし、僕らのほかに客は誰もいなかった。
「なあ、この辺りで漫画の実写化をしよう」
 斎藤の気だるい言葉は単なる気まぐれだ。僕と伊藤は肯定も否定もしなかった。まだラーメンの沈黙が続いてるみたいだった。でも後部座席に横たわっていた斎藤が上半身をひねって、伊藤に漫画を渡すと伊藤はなんとか押し出したような声で「逆柱いみり……『象魚』……いくつかあるけど、どれを読むの?」と呟いた。「〈骨〉だよ。最初の奴」「ふうん」
 会話はぽつぽつ続いた。僕はアメスピの吸い殻を車外へ落として、ブレーキを踏みエンジンをかけた。一度、伊藤がアクセルを踏み間違えたから、車はシンメトリーを失ってる。踏み間違えは幸いにも怪我人も死者も出さなかった。伊藤も車の運転を僕と斎藤に委ねる決心をつけて幸いなことばかりだった。踏み間違えは、僕らの車のシンメトリーを失っただけで、多くの幸いを与えた。もう車はラーメン屋を離れている。
「朗読してくれよ」と僕は伊藤に言った。
「アイパッド回すよ」と斎藤は言った。
 伊藤はノーブラで、橙色のTシャツの胸元を仰いだ。見飽きたその胸を僕も斎藤も見なかった。僕の記憶が正しければ、あれは罅彪っていうミクスチャーバンドの「ランドマーク前夜ツアー」Tシャツだ。伊藤の胸の形も興味ないバンドのツアータイトルも覚えているのに、僕は大学の講義をぜんぜん記憶してない。伊藤が朗読してる。下手なもんだ。
「…………働いてた時から趣味は散歩ぐらいのものだから…………ぐっ、痛たた…………いい加減な事を…………」

 そもそもがこの長いドライブも斎藤の気まぐれに僕らが乗じた形で始まったんだ。三人で演じるために僕らはコピー機を求めてファミリーマートに寄った。その〈骨〉という漫画を伊藤がコピーする。僕は冷たいコーヒーを飲む。斎藤はちょっと高いアサイージュースを飲んでいる。伊藤が〈飽くなきロードムービー〉と称してる動画はいくつも斎藤のアイパッドに保存されている。目的のないドライブを撮影する、と言い出したのは斎藤だったか、伊藤だったか? 僕ではないと思うが、時と場所、また気分の高揚によっては僕が言い出しても、まあ否定はできない。まあ、とかく僕らのドライブは撮影され続けて、映像は大量に記録されつづけてる。それは素人の撮る他愛ないものだ。
 たとえば斎藤が途中で立ち寄った大学の草葉の影で大便をするシーンがあって
 車内で行なわれたしりとりをアレンジしたあたまとりの様子があって
 市民プールで伊藤を撮るふりをして幼児を盗み撮ってみたり
 路地裏の毛の伸びて逆立つ犬の舌を凝視してみたり
 伊藤と斎藤と僕の酒に任せたどろどろのつべこべけんけんがくがく
 他エトセトラエトセトラ。映像はぶつ切りぶつ切りに続けられてる。もうどこになにを保存してあるのか分からない。その目的も。まあ目的なんてないけれど。
 斎藤は僕のアメスピを奪ってうまくもなさそうに喫る。僕は氷をガリガリ噛んで、斎藤を見てる。この〈飽くなきロードムービー〉、その無目的な旅の財源はすべて斎藤が負っている。アルバイトで得た金がたんまりあって、さらに競馬が単勝当たりいい気持ちだからと、斎藤は僕と伊藤を誘った。僕らはなんでもかんでもを退屈に感じる大学生だった。から、僕らはこの夏のロードムービーの意味を考えるでもなく、ただ出演して、ただ撮影していた。
「漫画の台詞、暗記するのか?」と僕は斎藤に言った。
「いや、台本……っても漫画だけど、それは持ったまんまでいいだろ。女がほっかむりして、スク水を着てるけど、ほっかむりはタオルでいいし、水着は別になんだっていいだろ。ああ、伊藤の持ってきてるワンピースがあるし」
「適当だね」とコンビニから出てきた伊藤が斎藤に言った。僕も伊藤に同感だ。
「別に細部にはこだわらないさ。俺たちは名作を撮るわけじゃない。ユーチューバーなわけでもない。俺はなんだっていいんだ。ただなにかやってればいいんだ。それくらいに暑いからな」と斎藤はアメスピの吸いさしを殻入れにも入れず、クロックスのサンダルで踏み消した。僕が口に含んだ小さな氷をその吸いさしに垂らした。伊藤は写真を撮った。僕らは笑わなかった。暑いから、なんだっていいことをやる。すこし同感した。

 まだ日が高い内に、適当な民宿を三人一部屋で予約した。ついでに民宿を撮影する許可ももらった。僕らのロードムービーに原作付きの不器用な演技の映像が差し挟まれることになった。
 民宿で休憩する間、伊藤は細長い判型の本を読んでいた。伊藤が言うに物語的連作詩集であるその本には一八人もの妹たちが代わる代わる登場するらしい。そして妹たちと鵺の着ぐるみを着た兄さんの出会いと増殖が書かれているらしい。伊藤はこの詩集の余白に細かな文字で幾度もなにかをメモしていた。伊藤はこの詩篇にリフレーンされる〈旅は死出の真似事――〉というフレーズを気に入って、ことあるごとに呟いた。あ、ほらまた。
 伊藤は少しおかしかった。でも夜の声は愛らしい。僕もおかしい。
 斎藤は〈飽くなきロードムービー〉を見返していた。僕も斎藤に近づいて一緒に覗きこんだ。その映像のことは覚えていた。僕が助手席にいて車中で撮影した。斎藤が真夜中の圏央道を法定違反のスピードで走り続けている。のを僕がアイパッドで撮影している。後部座席で伊藤は寝ていた。
『そんなに急ぐ必要はないだろ。危ないよ』と映像の中の僕は言った。
『急ぐ必要がないのと、急がないのは別の話だろ。それに急いでいるのと違反する速度を出すのとは話が違うよ。黙って高速で過ぎる夜を撮れよ』と胸糞悪いみたいに言い放った。
 糞が、とその時の僕は思ったし、今見てもそう思う。糞が。

 伊藤が詩集に飽きてスッと立ち上がった。Tシャツを脱ぎ、ホットパンツを脱ぎ、ワンピースを着こんだ。伊藤は下着をつけたがらなかった。僕らはそれを眺めていた。僕らは着替える必要もなかったし、台詞を覚えることもしなかった。
 僕らは撮影を始めた。〈骨〉には主人公である瘋癲の青年と、中学の時の理科のセンセエと、センセエの娘が登場する。斎藤が主人公を演じ、センセエを僕が演じ、娘を伊藤が演じることにした。概ね、撮影を僕が行なうことになった、センセエの出番は一回だし、台詞だって一言だ、そのシーンだけは伊藤に撮影してもらう。
 蝉の騒ぎを聞きながら青年役の斎藤は海岸の町の細い路地を歩き回る。青年は散歩が趣味だ。時折漫画に目を落として、青年のモノローグを口にする。漫画の青年はサングラスをかけているが、台詞を読むために、斎藤は汗の浮く額にサングラスをあげて読んでいる。適当な演技だ。僕も適当に撮影する。僕のあくびの音も拾われている。伊藤は僕の背中にぴっとくっついて、自分の登場まで決して映らないように気にかけている。
 伊藤にカメラを任せる。青年はあてどもない散歩の途中でふと、民家の二階から青年を見下ろすセンセエと目を合わせる。僕はセンセエ役として民宿の二階に上がり、斎藤と目を合わせる。僕は青年に向かって手を挙げる。青年の独白する台詞があり、口の動きを読む。それから台詞を吐く。娘を海岸に行かせるために履物を貸してくれないか、と青年にお願いする。僕は階下に降りて民家脇の伊藤からアイパッドを受取り、撮影を交代する。
 伊藤は斎藤からクロックスを借りて、海へ歩き出す。おそらく戦後、昭和頃が舞台設定であるこの漫画に似つかわしくないクロックス。と僕ら。
 娘役の伊藤は青年役の斎藤からクロックスを借りて海へと歩き出す。それを斎藤は裸足で追いかける。路面は熱いはずだが、斎藤は演技で痛そうにするだけで弱音を吐かない。本来ならこの路面は貝殻で敷き詰められているが、そんなことを僕らにできるだろうか。僕は娘と青年をアイパッドに収めつつスニーカーで歩く。
 なんてことない海岸にも子供や中学生など数人の姿は見られた。大抵が波と遊んでいる。青年は娘の背中へ痛む足の裏を擦りあてている。やがて、娘が言う。
「これっ、心臓の骨だよ、豚だと思う」
 娘は海へ入り快活に泳ぎだす。青年は適当なことを言う娘だと思いながら、海岸に寝転ぶ。娘から渡された心臓の骨を自分の心臓に当てながら自分の心臓の鼓動を感じている。僕は青年と娘を交互に撮影した。青年は長い間動かない。娘もずっと泳いでいた。とはいえ伊藤は足の着く場所で泳ぐ真似をしているだけだ。僕が斎藤にアイパッドを向けていると、青年は呟く。
「貝ガラだと思ったら、この海岸のは骨だな」
 この台詞以降、この漫画に台詞はない。青年がふいに起きて衣服のまま海に入り、娘を抱く。生々しいシーンは魚姿で隠されている。が、斎藤のアイパッドは防水でないから、海面の青年と娘を映すばかりだ。
 青年が海から上がる。今度は骨を心臓に当てず放ったまま寝転んでいる。娘もやがて海を上がると、眠る青年を横目に、豚の心臓の骨をクロックスで踏みつぶす。実際は適当な穴だらけの汚らしい貝ガラだが――。クロックスで踏みつぶした時の骨の音はドクンドクンドクン、バリッだ。青年の横を過ぎ去った娘を撮影して僕はアイパッドの停止ボタンを押す。

 民宿の汚い風呂で、僕は骨のことを考える。青年が海に入って娘を抱くのはきっと夢の話だろう。青年の夢みる間に胸に当てていた豚の骨は手から滑り落ち、海から上がった娘が心臓を踏みつぶす。――それはそうと僕が換算するところでは、このロードムービーもそろそろ終わりだろう。旅の始まりに話していた斎藤の財源はもう尽きるころだろう。
 僕らは民宿で魚と地酒で夜を過ごした。心地いい酔いの気につられ、僕らは淡白に抱きあった。それから裸同然で眠った。

 深い眠りの鳥羽口で浅い夢を見た。
 夢はアイパッドの録画モードの視点で眠る僕らを映している。こんな夜の暗闇でも僕らの姿ははっきり映っている。斎藤が音も立てずに起きだす。静かに伊藤の肩を揺すり、二人は服を着る。斎藤は財布からあるだけの札と小銭を窓際の卓に置く。二人は外へ出てゆく。夢は二人を追いかけた。二人は暗い海に入って抱きあった。昼間、海岸からでは撮れなかった二人の海上の姿を接写する。海に揉まれながら二人は囁きあっている。
「骨は白くもなくただ骨だね」
「骨はただただ骨のままだね」
「中が抜けて空洞のただただ」
「中が抜けてただ骸の骨だね」
「形ばかりの骸になに」
「旅は死出の真似事」
「なに詰めようか」
「楽しかった?」
「それなりに」
「苦しい?」
「そ――」
「あ、」
「」

 二人が高い波に呑まれる。二人は浮かんでこない。夢の視点も高い波に呑まれる。
 夢は民宿に戻る。二人は戻らない。眠っていた僕が起きだしている。夢の高い視点に目が合っている。僕が見つめている。僕が近づいてくる。僕が夢の視点に触る。録画を終えるように――。

 翌朝、僕らは僕らではなくなる。


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サークル名:羊目舎(URL
執筆者名:遠藤ヒツジ

一言アピール
本作は短編集『ゲンシ』に収載された「骨」の別稿です。<山本直樹meets逆柱いみり・ヒツジ添え>をお楽しみください。また、新刊はナンバーガールトリビュート小説アンソロ『N.G.T』と詩集『メロウ』を予定してます。『N.G.T』でも漫画にちなんだ小説を書いてます。ぜひ不安な気持ちになってください。

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