海を探しに

 海がいなくなった。
 わたしは「ぐすんぐすん」とすすり上げる弟をママチャリの荷台に乗せて海を探しに海に出かけた。
 ややこしい言い方だが、海とは我が家の飼い猫だ。一五歳になる。人間の年齢で言えばかなりのおばあちゃんだ。真っ白い猫で、お尻のところにハートのブチがある。
 子猫の時、海釣りに行った父が廃船の脇に捨てられているのを見つけて連れて帰ってきた。当時、弟はまだお母さんのお腹の中だった。
 お母さんは「赤ちゃんが猫に引っ掻かかれたらどうするの?」と父に詰め寄った。父は、「放っておいたら死んでしまうぞ。それでもいいのか」とムスッとして言った。
 海という名は父がつけた。海で拾ったというただそれだけの理由だ。おっとりとした性格の海にはぴったりの名前だった。
 その後、すぐに弟が生まれたが、海に爪で引っかかれることはなかった。
 皮肉なことに、海は父にだけは懐かなかった。父が病気で寝たきりの時も、いよいよ最期という時に弱々しい声で「うみ、うみ?」と名前を呼んでも、襖の陰から父を見詰めるだけで、近寄っては来なかった。

 アスファルトの継ぎ目でチャリが少し跳ねた。弟の腕がわたしのお腹をギュッとしめる。
 弟は跨いで座るのを嫌がって、いわゆる女の子座りで荷台に乗っている。
 私服の弟はまるっきり女の子。しかも、姉のわたしから見てもそこそこ美少女だ。
 デニムのショートパンツからすらりと伸びた細い足。ルーズに羽織った大きめのパーカーから突き出した柔さそうな白い腕。頭にのっているピンクのニット帽も小さな顔によく似合っている。まるでファッション雑誌に載っている女の子だ。
 部活用の緑色のジャージに身を包んでいるわたしとは大違いだ。
 わたしのお腹のあたりを掴んでいる白い指には、春らしいピンクのネイルが施されている。
「春休みだからいいの!」と、手をヒラヒラさせてクルクル回った。
 わたしの腰にしがみついている弟にあの時の笑顔はない。
 弟はわたしの背中にほっぺたを押し付けてずっと泣いている。
「ねえ、カナちゃん」
 弟はわたしのことを名前とちゃん付けで呼ぶ。
「ん?」
「猫って、死ぬ時にどこかへいなくなるってホントかな?」
「誰が言った?」
「友だちが飼っていた猫も、死ぬ前に突然いなくなったんだって」
「ふうん」
 グスッグスッと鼻水をすする音が聞こえる。
「夕べ、最後に戸締まりしたのウチじゃん?お母さんも寝てたし。どうしてベランダ開いてた?カナちゃん、何時に寝た?」
「えー?覚えてないよ。寝落ちしちゃったし…」
 昨夜、マキから電話があって、彼氏のグチをずっも聞かされた。彼氏の名前は聞いていなかったが、マキの話に曖昧に相槌をうつうちにわたしの元カレの安原くんだと気がついた。
 マキの話は永遠に続くかと思った。
 マキは弟に会ったことがある。家に誰もいないと思ってマキを連れてきたら、たまたま開校記念日かなんかで弟が可愛いいピンクのスウェット姿でテレビを見ていた。
 弟を見たマキが、「カナって、妹いたっけ?」と、聞いてきた。
 わたしは、「あー、まあね…」と曖昧に返事を返した。
 その後でたまたまトイレに行ったマキが弟とばったり会ったらしい。戻ってきたマキに「ねえ、妹だと思ったけど、実は弟だよね?」と聞かれたので、「うん。弟だよ」と正直に答えた。
 「マジ?女の子だと思った。てか、女の格好してんじゃん?」とツッコんでくるので、「趣味なんだ」と答えたが、それがまずかった。説明するのが面倒だと思ったのだ。
 翌日、学校でマキが友だちに話しているのを聞いてしまった。
「カナの弟って、家で女の子の格好してるんだよ。それがけっこう可愛いのさ」
 マキはただ素直に弟を可愛いと思ってくれたのに違いないが、まずいと思った。でも、悪いのはわたしだ。弟がトランスジェンダーだときちんと打ち明けるべきだった。
 マキの周りにいた子たちが、「コスプレなの?」「え?女装が趣味?」「うわわっ、変態じゃん?」と盛り上がって、?女装癖のある変態?というキャッチーなフレーズだけがそのまま一人歩きした。
 そんなわけで、わたしは学校で変態の姉という事になった。

「どうしよう。もう海は見つからないかもしれない…」
 弟がわたしの背中に泣きごとを言う。
「大丈夫だよ」
 確信はなかったが、父に拾われた港にいる筈だと思った。海は今まで五回は家出をしている。その度に弟と一緒に探しに出かけたが、はじめての家出の時から、その港で見つかっているのだ。
 わたしは誰が海を逃しているのかを知っている。?夕べ、お母さんが寝る前にベランダの戸を少し開けるのを見てしまったのだ。
 その後、わたしはベランダの戸を閉めて寝たが、朝になってまた開いていた。夜中に起きたお母さんがまた開けたに違いない。
 そもそもお母さんは、猫が嫌いだった。父が亡くなった後も辛抱強く面倒を見続けたが、可愛いがっていないことは分かっていた。
 父が亡くなったすぐ後、近所で一人暮らしをしていたおばあちゃんが認知症になり、介護が要るようになってから、海の餌やりやトイレの片付けは弟に任された。
 そういえば、弟が女の子の格好をするようになったのもその頃からだった。父が亡くなるまで、長男として逞しく育てと野球やサッカーをさせられていた弟は、父が亡くなった後に全ての部活をやめた。

 踏切を渡って倉庫を抜けると港が見えた。埠頭には海上保安庁の巡視艇が停泊していた。
「海ちゃーんッ!」
 荷台から降りて、弟が叫ぶ。
「うみー!」
 わたしも叫ぶ。そして、返事がないか耳を澄ます。
「海ちゃーん!」
「うみー!」
 いくら呼んでも返事は聞こえてこなかった。
 二人して海に向かって「うみー!」と叫ぶのは、なんか変な感じだなと思ってわたしは少しニヤニヤした。
 その時、「あ、」と思った。
 波間に白いものが見えた。「いや、まさか」と思い、目を凝らす。
 しかし、あんまり見ていると弟に気づかれる。そう思って、すぐに別の方に目を移す。それからまたチラッと波間を見てすぐに目をそらす。
 わたしがそんなことを繰り返している間、弟は停泊している海上保安庁の巡視艇の周りを探している。
 弟が巡視艇の陰に隠れて見えなくなった隙に、白いものが浮かんでいた方を凝視する。
 しかし、沈んでしまったのか、あるいは気のせいだったのか、キラキラと太陽の光をはじきながら揺らぐ波が見えるだけだった。
 わたしと弟はそれから1時間くらい埠頭の周りを探した。空き地でノラ猫を数匹見かけたが、どれも海ではなかった。? わたしは、波間に浮かんでいた白いものは、やはり海だったのかもしれないと思いはじめていた。
 しかし、泣きそうな顔で草むらを探している弟にそんなことは言えなかった。
「ねえ、カナちゃん」
 呼ばれて振り返ると、弟は草むらに転がっている小さな段ボール箱をジッと見下ろしていた。
 段ボールは雨でぶよぶよに汚れている。弟の顔がこわばっていた。中に何が入っているのだろう。わたしはとても嫌な予感がして、恐る恐る聞いた。
「なに?」
「いや…、違った」
「え?なに?」
 弟は笑った。
「中に白いのが見えたから、海ちゃんかと思ったけど、ネズミの死骸だった」
「えー、やだなー」
「見ない方がいいよ」
 弟はそう言って、段ボール箱を少しずつ足で蹴って草むらから藪の中に動かした。
 わたしはやっぱりその箱の中で海が死んでいるような気がした。それでも弟に見せて貰うつもりはなかった。弟が嘘をついたとしたら、それはきっと理由がある。
 ひょっとして弟は、海を逃したのがお母さんで、わたしがそのことを弟に隠していることを知っているのかもしれない。
 例えば、海が外で死んでしまったら、わたしは心の中でお母さんを責めたに違いない。
 弟はそのことを承知で、箱の中身を隠したのだ。
 色々なことが頭をよぎったが、全てわたしの妄想で、本当のところは分からなかった。
 帰り道、わたしと弟はチャリを押して歩いて帰った。
 弟はもう泣いていなかった。
「ねえ、カナちゃん」
「ん?」
「ウチ、学校にもこの格好で行くわ」
「え?」
「男のフリするのやめるよ」
「あ、そお…」
「無理したくないし、いつも通りでいいじゃん。だから、男のフリやめる」
「そっかぁ」
 わたしはそれだけしか言えなかった。
 学校は大騒ぎになるに違いない。お母さんはきっと反対するだろう。
 でも、まあ弟がそうしたいのならそうすればいいと思った。
 その後、弟は海を探すのをやめた。トイレや餌入れはきれいに洗って押入れに仕舞われた。

 春休みが終わって始業式の日、弟は学校に行かなかった。
 お母さんが学校の先生たちときちんと話し合わないうちは登校しない方がよいと言い張ったからだ。弟は不満そうだったが、わたしが出がけに「行ってくるね」と声をかけると、プレステをしながら「行ってらっしゃい!」と返事をくれた。
 夕方、部活を終えてわたしが帰ると、お母さんが真っ青な顔で玄関に突っ立っていた。肩から下げたトートバックからはネギが突き出ている。
 買い物から帰ってきたら弟がいなくなっていたと言うのだ。お母さんは取り乱していた。
 わたしは心の中で「ベランダを開けっ放しにしたからだよ」と嫌味を言った。
「スマホに電話してみた?LINEは繋がる?」
 お母さんは慌ててスマホを取り出したが、手が震えてうまく操作できなかった。
 わたしは弟の行き先に心当たりがあった。意地悪でそんなことはお母さんに教えず、「ちょっと探して来る」とだけ言って家を出た。
 弟はきっと、海が拾われた港に行ったに違いない。
 わたしは海をめざしてチャリを走らせた。
 (終わり)


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サークル名:ハーレムタイガー(サイト等なし)
執筆者名:野本 智海

一言アピール
千代田小説サークルで創作小説を書いています。純文学、ラノベ、エンタメ、ミステリー、童話などなど様々なジャンルの創作仲間が集まり、作品の感想をお互いに言い合って、作品を仕上げて行くサークルです。よろしくお願い致します!

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