凪の海

   ―1―

 自分たちを狂わせるのは、たぶん、あの目だ。
 無防備にこちらを覗きこんでくる、あの黒い目だ。

 初めて会ったのは、“祭”の日の夜。
 あえて居眠りを決めこんでいた彼に、“主”からお呼びがかかった。
 普段は人――いや、魔使いの荒い“主”だが、七年に一度のこの夜だけは、彼に限らず、配下の者は誰も動かさない。彼もあんなおぞましいものは見たくないから、これ幸いと眠り惚けていた。
 いったい何事かと彼は思った。
 今回の候補者――今年七歳になる少年たちは、確か三人。顔は見ていないが――見たら余計嫌な気分になる――まさか、この中に気に入ったのがいなかったから、どこかから別なのを調達してこいとでも言うのだろうか。
 しかし、彼の知るかぎり、今までそんなことは一度としてなかった。
 年によって当たりはずれはあったのかもしれないが、“主”は村人どもが差し出してきた候補者の中から必ず一人、“贄”を選んでいたのだ。
 何はともあれ、呼ばれたからには速やかに参上しなければならない。彼の命は“主”の手の内にある。
 気乗りしないまま“主”のところへ行くと、“主”はことのほか上機嫌だった。いや、この夜の前後はたいてい機嫌がいいのだが、それにしても今回は飛びぬけている。
 彼がいぶかしく思っていると、“主”はにやりと笑い、おまえに仕事をやろうと言った。

 ――この子供だ。

 と、“主”は今まで自分の傍らに隠していた白装束の子供を見せた。
 一瞬、彼は緊張したが、子供はきょとんとしているばかりで、別段“主”や彼のことを恐れているわけでもなさそうだった。

 ――この子供を、いったん外へ帰す。

 声には出さなかったが、彼は驚いた。“主”の態度からして、この子供が今年の“贄”に違いない。だが、“贄”に選ばれた子供はこれから七年間、次の“祭”の夜まで“主”の手元に置かれる。例外はなかった。これまでは。

 ――別に、あきらめるわけではないぞ?

 彼の表情で考えていることがわかったのか、“主”はにやにやと笑った。
 この“主”のことは一から十まで気に食わないが、特にこの人を小馬鹿にしたような笑い方が嫌だ。

 ――この子供が、母親を泣かすわけにはいかないと言うのでな。十四年だけ待ってやることにしたのだ。

 彼は子供をまじまじと見た。“主”の術によって催眠状態にされているのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。おそらく、すべてが夢の中の出来事のように現実感がないのだろう。子供はやはり何が何だかよくわからないような顔をしていた。

 ――おまえの役目は、これから十四年の間、これに悪い虫がつかないよう守ることだ。そして、十四年後の今夜、再びここへ連れてまいれ。それができれば、おまえを我の支配から解き放ち、自由の身にしてやろう。

 “悪い虫”はあんただろう――という突っこみは心の中だけにしておいた。
 “主”の約束などあてにはしていないが、たとえ十四年だけでもここから離れられるのならいい。そのためならガキのお守りでも何でもしてやろうじゃないか。

 ――御意。

 彼はただそう答えて、深く頭を垂れた。

 翌朝。
 十四年だけ猶予期間を与えられた哀れな子供は、他の二人の子供と共に、それぞれの両親の元へと帰っていった。
 やしろの中での記憶をすべて消されて。
 ついでに七年前に“贄”となった子供も解放されたが、これは近いうち死ぬだろう。“贄”になる、とはそういうことだ。
 それにしても、と彼は思う。
 なぜ“主”は、あの子供の言い分をきいてやる気になったのだろう。
 確かに、変わった子供には違いない。普通の子供なら恐怖と心細さから泣き叫んでいるだろうに――実際、あの子供以外の子供は、“主”によって眠らされていた――あの子供にはまったく怯えた様子はなかった。
 それに、母親を泣かせたくないから“贄”になりたくないというのは、七歳の子供が使う言い訳にしては、大人びすぎてはいないだろうか。
 しかし、それより何より、彼が不思議でならなかったのは、あの子供を十四年待つと言った“主”のほうだった。
 十四年後には、あの子供は二十一歳となる。とても子供とは言えない年齢だ。
 いつもなら見向きもしない齢の男を、“主”はここへ連れ戻せという。
 少なからず、興味があった。
 昨夜はあのまま退室してしまって、子供とは一つも言葉を交わせずに終わってしまったが、いったいあの子供はどういう子供なのだろう。
 思えば、このときすでに彼は捕らわれていたのかもしれない。
 “主”でさえ逃れられなかった、あの黒い瞳の呪縛に。

   ―2―

 あの子供の両親は、朝のうちにこの村から逃げ出したかったようだ。
 だが、夕べ一睡もできなかった子供が眠りこんでしまったのと、村人に強引に押しとどめられたのとで、出発を遅らせなければならなくなった。
 あの子供の居場所はとうに知っていた。別に会う気もなかったのだが、彼は何となくその子供がいる村長の屋敷に向かい、広大な敷地のはずれにある大木の上に隠れた。
 ついでに言えば、この大木の近くには、子供が両親と共に泊まっている離れがある。
 もう昼近い。まだ子供がこの離れで寝ているのか、それとも別の場所に移っているのかまでは彼にはわからなかったが、それでもここにいれば、いつかは子供が現れるだろうと漠然と思っていた。
 それから、どれくらい時が過ぎたのか。
 彼には何もせずに留まっていると、つい居眠りをしてしまうという悪癖がある。このときもいつのまにか眠りこんでいて、ふと意識を取り戻したときには、誰もいなかったはずの離れの縁側に、白い着物姿の子供が一人座っていた。
 ――あの子供だった。
 どうやら、あのまま着替えもせずに眠っていたようだ。退屈そうに裸足の足をぶらぶらさせている。
 彼の目は昼でも夜でも変わらず物を見ることができたが、それでもやはり日光の下の子供は、昨夜とは違って見えた。
 初夏の光を受けて艶やかに輝く黒い髪。日に焼けていない白い肌。そして、折れそうなくらい細い、手、足、首。
 しばらく、彼は何を思うでもなく、子供を見ていた。
 子供の人形のような足が、ゆらゆら所在なげに揺れるのを、ずっと目で追っていた。
 と。
 子供の足が止まった。
 今まで下を向いていた子供の顔が、母屋のほうを向いている。
 つられて、彼も子供の目線を追った。
 赤ら顔の中年男がそこにいた。
 酒を飲んでは年中暴れている、悪い評判ばかりの男だ。いったいどこから潜りこんできたものやら。せっかくのいい気分を邪魔されて、彼はたちまち不機嫌になった。

「こんなところに居やがったのか」

 男の無闇に大きな声は、彼のいる大木のほうまでよく聞こえた。
 子供は凍りついたように動かない。怯えているのか。

「おめえ、何で戻ってきやがった」

 やはり酔っているのだろう。呂律も怪しければ、子供に近づく足取りも怪しい。
 いずれにせよ、七歳の子供に絡むその姿は、とても醜悪だった。

「俺はぜってえ、おめえが選ばれると思ってたんだ」

 うつむく子供に、男はますます声をでかくした。

「それなのに、しゃあしゃあと戻ってきやがって……てめえのせいで、この村はもう仕舞いだ。どう責任とってくれるんだ、ああ?」

 子供は肩をすくめて黙って耐えていた。
 かわいそうに。彼は心から子供に同情し、それと同じくらいこの男を憎んだ。
 確かに、“主”の村との契約――向こう七年間の大漁と豊作は、“贄”と引き換えが条件だ。
 しかし、今回“主”は“贄”を選ばなかったわけではない。引き取りを十四年延期しただけだ。その証拠に、今朝も港はあんなに賑わっていたではないか。この男の言が正しければ、今頃大津波に襲われて全滅していてもよさそうなものだが。

「まったく、女みてえなツラしやがって……おめえ、ほんとに男か? アレはちゃんとついてんのか?」

 男はいきなり子供の腕をつかんで、強引に自分のほうへと引き寄せた。子供は嫌がって身をねじらせたが、ただでさえ線の細い子供だ。大人の、それもいかつい男にかなうわけがない。男は下卑た笑いに顔を歪めながら、子供の裾の間に大きな手を伸ばした。
 それが限界だった。
 彼は大木から飛び降り、その勢いで男の首を刀で横薙ぎにした。
 ゴキと鈍い音がして、男が吹っ飛ぶ。血で子供を汚したくなかったから鞘は取らなかったのだが、たぶん、今ので首の骨は折れた。まあ、死んだら死んだで魚の餌にでもするからいい。どうせこの男はこの村の鼻つまみ者だった。
 数十メートル先の芝生の上で転がっている男――おそらく死体――のことはきれいに無視して、彼は縁側で目を丸くしている子供を見下ろした。
 近くで見ると、なるほど、子供は女の子のように見えた。ことに今は白装束だから、余計にそう見える。でも、今いちばん目につくのは、乱れている裾のほうで……

「直せ、それ」

 いくら何でも自分が直してやるわけにもいかず、彼はぶっきらぼうに子供の裾を顎で指した。
 だが、子供は黒い目をぱちくりさせると、彼がまったく予想もしていなかったことを口にした。

「それ、本物?」

 それが、彼が初めて聞いた子供の声だった。
 甲高いが、明らかに少年の声。

「へ?」

 意表を突かれて子供を見ると、子供の目は彼の手の中にあるものにまっすぐ向けられていた。

「それ、本物の刀?」
「え、あ、まあ……そうだ」

 そう答えながらも彼は思う。
 ――普通、そんなことより、俺が何者か訊かねえか、こういう場合。

「へええ。俺、本物の刀って初めて見た! でも、それってジュートーホーイハンじゃないの?」

 目をきらきらさせて、そんなことを言ってくる。つい先ほどまで、こいつはテイソウノキキにさらされていたはずなのだが。

「あー……こういうことは、あまり言いたくねえんだが……」

 彼はそっぽを向いたまま、がりがりと頭を掻いた。

「一応助けてやったんだから、礼の一つも言ってもらえねえか? 俺はそういうの、気になる質でよ」

 子供は何を言われたかわからないような顔をして彼を見上げていた。
 大人げないと自分でも思ったが、どうしても子供の口から『ありがとう』という言葉を聞きたかったのだ。そうじゃなきゃ、助けた甲斐がないじゃないか。

「うん、忘れてた。ごめんなさい。ありがとう!」

 子供はにぱっと笑ってから、これでいい? とでもいうように小首を傾げてみせた。
 ――いや、確かに言えと強要したのは自分だが……こいつ、計算してやってないか?

「……どういたしまして。ところでおまえ、その裾……」
「ねえ、その刀見せてよ。俺、そういうの好きなんだ!」

 我ながら変だとは思うが、目のやり場に困っている彼にいっさいかまわず、子供は彼の持っている刀に小さな手を伸ばしてきた。

「危ねえから駄目だ。真剣だからな」

 彼が冷たく一蹴すると、子供は露骨にがっかりしていたが、彼の言いたいことはわかってくれたようだ。

「わかった。真剣だからな」
「そういうことだ。ところで、隣座っていいか?」
「うん、いいよ」

 子供の許可が出たので、彼は子供の隣に腰を下ろした。
 触ってはいけないと言われたものの、やはり刀に興味はあるようで、子供は横からしげしげと彼の刀を眺めている。

「おまえさ……」
「んー?」
「名前、何てんだ?」
小川俊生おがわとしお

 彼は子供の顔を見てから、しみじみと呟いた。

「似合わねえ名前だな……」

 何かこう、もうちょっと変わった、もうちょっと綺麗な名前を彼は期待していた。
 誰がつけたかは知らないが――たぶん、子供の両親だろうが――その誰かを少し恨みたくなった。

「うん、よく言われる」

 あっさりと子供――俊生はうなずいた。彼の感覚は人並みだったらしい。

「“俊生としお”より、“俊也としや”とかのほうがよかったって……」

 俊生には悪いが、本当にそのとおりだと思ったので、彼は噴き出してしまった。
 さすがに俊生も気を悪くしたのか、ふくれっ面をして彼を睨んだ。

「そんなに笑うな!」
「はははは、ワリィな、ははははは!」
「笑うなって言ってるだろー!」

 俊生はむきになって彼の脛を蹴ったが、素足のせいもあって、まるで威力はなかった。

「ああ、悪かった悪かった。人の名前を笑っちゃあいけねえよな」
「さんざん笑ってから言うな!」
「悪かった悪かった」

 おざなりにそう答えながら、こんなに笑ったのはずいぶん久しぶりだなと彼は思っていた。
 最後に声を出して笑ったのは、いったいいつのことだっただろう。

「そんなに俺の名前笑うんだったら、兄ちゃんの名前、何て言うんだよ?」

 彼に名前を笑い倒されたのがよほど気に食わなかったのか、俊生は真っ赤になってそう叫んだ。こんな顔をしていると、俊生は子供らしく見える。

「俺か? 俺は――」

 さて、どうしたものか。
 しばし、彼は悩んだ。
 一応、“主”に勝手につけられた名前があるにはあるが、それだけにこいつにだけは教えたくない気もするし、教えなければこいつは納得しないだろうし……
 しかし、俊生は意外にも、彼の顔をちらりと見上げてから、言いたくなければ言わなくていいよ、と言った。

「おいおい、ずいぶん寛大だな」

 絶対食い下がられると思っていたので、彼は拍子抜けして笑った。
 だが、俊生はにこりともしないで、自分の足元を見つめていた。

「だって、兄ちゃん、人間じゃないだろ?」

 声が、出なかった。

「だから、そう簡単に名前は教えられないんだろ? ……前に助けてくれた化け物が、そう言ってた」

   ―3―

 彼は俊生を甘く見すぎていたようだ。
 あの“主”に十四年待つと言わせたほどの子供なのだ。只者であるはずがなかった。

「何でわかった?」

 そう問う彼の声は、自分でも恥ずかしくなるくらい硬かった。

「何となく」

 しかし、俊生は簡単にそう答えた。

「誰にも言ったことないけど、俺、人間に見えるけどそうじゃないのって、何となくわかるんだ。でも、怖いって思ったことないよ。だって、兄ちゃんもそうだけど、俺が危ないとき助けてくれるのは、いっつも化け物なんだ。俺に嫌なことしようとするのは、いっつも人間なんだ」

 俊生は思いつめたような目をして、芝生の一角を見つめていた。
 この歳で、なかなかハードな経験を重ねているらしい。口ぶりからすると、先ほどのような目に遭ったのも、一度や二度ではないのだろう。

「いや、でも、化け物だからみんないい奴とは限らないぜ? 俺がおまえ助けたのも、仕事……みたいなもんだからな」

 確か、彼が“主”に言い渡されたのは、子供に悪い虫がつかないようにすること、だったような気がする。あの酔っ払い親父は、充分害虫の範疇に入るだろう。
 だが、俊生は何を思ったか、声を立てて笑った。やはり、真剣な顔より、こんな笑顔のほうがよく似合う。

「そんなこと言うんだから、兄ちゃん、やっぱりいい奴だよ」

 笑いながら俊生は言う。
 自分はおかしくなってしまったんだろうか? たった七歳の、それも男の子供の顔が眩しくてまともに見られないなんて。

「俺だって、化け物はみんないい奴だって思ってるわけじゃないよ。俺を助けてくれるなら、人間だっていい奴だって思う。でも、俺を助けてくれるのは、みんな化け物なんだもん」

 ああ、そうだろうとも。
 無邪気に笑う俊生を横目で見ながら――そうしていないと、先ほどのあの男と同じことをしでかしてしまいそうだ――呻くように彼は思った。
 おそらく、こいつには生まれつき、人外のものを強烈に引き寄せる何かがあるのだ。
 それはたぶん、人間にも効果はあるのだろうが、人間だと違う方向へ向かってしまうのだろう。俊生を傷つけ、嫌な思いをさせる方向へ。
 なるほど――だからか。
 唐突に、彼はあの“主”が、この子供に手をつけずに帰した理由を理解した。
 “主”は――あの無慈悲で変態の“主”は――俊生を自分の思いどおりにすることよりも、俊生に嫌われないことのほうを選んだのだ。
 “嫌われたくない”
 あの“主”にそんな可愛らしい感情があったとはお笑いだが、今こうして俊生を目の前にすると、それもわかるような気がする。
 この顔で。この声で。自分の存在を否定されたら。

「俺は、“ナギ”だ」

 気づいたときには、そう名乗っていた。
 俊生は不思議そうに彼の顔を見つめてから、ナギ? と問い返してきた。

「そう。凪だ。で、こいつが“夕凪ユウナギ”」

 彼は刀を軽く持ち上げて、俊生に見せた。

「ふうん」

 俊生は何度かうなずくと、改めて彼の手の中にある刀を見つめた。

「それ、ユウナギっていうんだ?」
「……ああ。そうだけど?」

 その前に、自分も名乗ったはずなのだが。

「へえ、かっこいい名前だね」

 そう言いながら、またまじまじと刀を眺める。
 それがどうにも面白くなくて、彼は刀を俊生からは見えない自分の陰に置いた。
 実を言えば、“凪”というのはこの刀からとった思いつきだが、そこまで無視することはないだろう。せっかくある決意をこめて名乗ってやったのに。

「あー、何で隠しちゃうんだよー!」

 俊生が赤い唇をとがらせて文句を言う。
 ――やばい。憎たらしいと思う前に、可愛いなんて思っちまう。そろそろ退散したほうがよさそうだ。

「なあ、俊生。おまえに名乗った化け物は、俺が初めてか?」

 俊生は少し考えるような間をおいてから、うんと答えた。
 その様子から見ると、二体以上はいそうだったが、あえて深く考えないことにした。

「そうか。俺が初めてか」

 何にしろ“初めて”というのは気持ちがいい。
 彼はにやりと笑うと、刀を持って立ち上がり、俊生の前に跪いた。
 あの“主”の前でするように。

「化け物がどうしておまえに名前を名乗らなかったかわかるか? ――俺たちにとって、人間に名前を名乗るってのはな、その人間と契約するってのと同じことなんだ。……契約。わかるか?」

 俊生は驚いたような顔をしていたが、彼の言っていることはわかったようで、黙って深くうなずいた。

「よし。じゃあ、契約だ。俺“凪”と、この“夕凪”は、今この瞬間から、己が名と誇りにかけて、おまえを守る。なぜかは訊くな。俺がそうしたいからそうするんだ」

 最後のほうは恥ずかしくて小さくなった。
 俊生はやはりきょとんとしていた。無理もない。いくら人間と化け物の区別がつくとはいっても、彼自身はまだ七歳の子供なのだ。

「何だかよくわかんないけど」

 案の定、俊生は小首を傾げてそう言った。

「兄ちゃんの名前は“凪”で、これから俺を守ってくれるんだね?」
「あ、ああ……まあ、そういうことだ」

 照れくさくなって、彼は刀の柄で自分の頭を掻いた。

「じゃあ、俺は何をすればいいの?」

 手が滑って、額に柄がぶつかった。
 額をさすりながら見上げると、俊生は当然のことを訊いたのに、なぜそんな顔をするのかと、かえって怪訝そうだった。

「何をって……」
「だって、ただで助けたりしないだろ?」
「いや、まあ、そりゃそうだが……」

 まさか、そんなふうに切り返されるとは。

「じゃあ、何をすればいいのか言ってよ。俺、お金持ってないから、お金じゃ払えない」
「何ってなあ……」

 ――そりゃ、ないわけでもないが……この歳じゃ犯罪だろ。
 彼は頭を掻きながら、勢いをつけて立ち上がった。このままここに跪いているのも間抜けな気がしたので。
 彼の動きを追って、俊生が顔を上げた。律儀に彼の答えを待っているのだ。

「そうだな……とりあえず、十四年後の今日……」

 彼は振り返ると、庭の木立の間から光って見える、凪いだ海を見やった。

「おまえが、今みたいに、おかの上からあの海を見ていられたらいい……」

 “主”との契約を覚えていない俊生は、少し経ってから、変なの! と声を上げた。

「待てよ。まだ続きがあるぞ」

 彼はにやにや笑って、刀を俊生に差し出した。

「おまえ。これ、欲しくないか?」

 現金なもので、とたんに俊生は表情を輝かせると、思いきり首を縦に振った。

「じゃあ、十四年後の今日。おまえにこれをやるから……」

 彼は少しためらったが、俊生の期待いっぱいの黒い瞳に負けた。

「かわりに、おまえは……俺のものになれ」

 俊生は瞬きを一つした。それを見て、とんでもないことを言ってしまったと焦った彼は、あわてて俊生の前から刀を引っこめた。

「いや、その、それはまあ、冗談で……」
「いいよ、俺」

 我が耳を疑って、彼はおそるおそる俊生を見た。
 俊生は相変わらず屈託なく笑っていた。

「いいよ。兄ちゃん、いい奴そうだし。十四年経ったら、俺ももう大人だから、問題ないよね!」

 ――別に、そういう意味で十四年後と言ったわけじゃないんだが。
 ちゃんと意味がわかって言っているのか問い質そうとしたとき、俊生の背後にある障子の向こうから、俊生の名を呼ぶ女の声が聞こえた。

「おっと、お袋さんか?」

 障子を見ながら、俊生は黙ってうなずいた。

「じゃあ、俺は退散しなくちゃな。悪いけど、俺のことは誰にも言わないでくれ。あの男のこともな。……魚の餌にしとくから」
「うん、わかった」

 平然と俊生は答えると、早く行ったほうがいいよと付け加えた。

「じゃあ、またな」

 彼は手を伸ばして、初めて俊生の頭を撫でた。
 見た目どおりさらさらで、触り心地のいい髪だった。

「うん。兄ちゃんこそ、ちゃんと俺を守ってね!」

 ――無論。我が偽りの命にかけて。
 答えるかわりに、彼は俊生の髪にそっと口づけて、すぐにそこから逃げ出した。
 これくらいなら犯罪にはならないだろうと、誰にともなく言い訳をしながら。

 彼らを狂わせるのは、たぶん、あの目だ。
 無防備にこちらを覗きこんでくる、あの黒い目だ。
 だが、それでも彼らは、あの目の持ち主を守ってやりたいと思ってしまうのだ。
 関われば破滅するとわかっていながら。

   ―了―


Webanthcircle
サークル名:エイリアス(URL
執筆者名:有喜多亜里

一言アピール
なんちゃってSFなBL小説(R18もあり)を主に書いています。が、この作品は現代ファンタジー(うっすらBL)です。……たぶん。

Webanthimp

この作品の感想で一番多いのはどぼん!です!
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コメント

  1. きさきさき より:

    洗練された文章で読みやすく、キャラクターもとても魅力的でした!
    特に凪が大好きです!
    最後の一行も甘さを秘めたほの暗さがあり、続編を読みたい! と思いました。

    • 有喜多亜里 より:

      コメントありがとうございます!
      実はこの話、本編未完の番外編(前日譚)なのですが、何とか本編(続編)を完成させたいと思いました!
      そのときにはよろしくお願いいたします!

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