ちゃんと笑える時まで

 お出掛けの服を選ぶのは、私にとっては大仕事だ。スカートは制服以外だとまだ少し慣れない。その代わり、買ったばかりのレースのトップスを着ることにした。ひらひらとフリルのついた女の子らしい服、しかも淡いピンク色。まだ新しいリュックサックも、さりげなく花柄のついた可愛いデザイン。スニーカーはずっと使っているものしかないけど、これも服に合わせて買えばって勧められたんだったな。
「笑実、出掛けるの?」
 足音でも聞こえたのか、居間から顔を出した母が声をかけた。
「うん。海を見に」
「海? 一人で?」
「ううん。まあちゃんと」
 私は振り返らずに答える。母がどんな顔をしているかは、見なくても分かる気がした。
「行ってきます」
 母の顔を一度も見られないまま、私は家を出た。

「わたし、海に行きたい」
 何か言い出すのはいつだってまあちゃんだった。
「海? 臨海公園とか?」
「ちがーう! そうじゃなくて、ちゃんとした波と砂浜と水平線の海!」
 ぷっと頬を膨らますまあちゃんは、出会った頃と変わらないみたい。もう中学生になったっていうのに。
 私とまあちゃんが出会ったのは、小学校の入学式。話しかけたのはもちろんまあちゃん。それから六年、私たちはずっと一緒だった。そして、同じ中学に入った。
「もう中学生だもん、わたしたちだけでお出掛けしたいの。電車に乗って遠くまで。ね、行こうよ」
「だからって、なんで海?」
「わたし海好きなんだもん。笑実は嫌い?」
 嫌いではない、と思う。でも、好きでもない。そもそも、小さい頃に行ったきりだから、あんまり覚えていない。
「一緒なら楽しいもん、笑実もきっと大好きになるよ」
 顔全部をくしゃくしゃにして笑うまあちゃんに、私は嫌だとは言えなかった。いつもそう。まあちゃんの思いつきやワガママに振り回されっぱなしの私。正直、うんざりするときもある。でもこのくしゃっとした笑顔を見ていると、何故か許せてしまうのだった。

 通学と違う電車に子どもだけで乗ったの、初めてだ。慣れないから少し怖い。ポケットに定期入れをしっかり仕舞ったのを何度も確認して、リュックサックをぎゅっと膝の上に抱える。窓の外はまだ町の中。どのくらい行けば海が見えてくるのかな。
「この電車で終点まで行けば、海岸はすぐそこの筈だけど」
 私はメモをもう一度確認した。言い出したのはまあちゃんだけど、行き方を調べたのは私。これもいつものこと。まあちゃんがスタートダッシュ、私がルート担当。付き合ってくれる相手がいないと道に迷ってどこに行っちゃうか分からないまあちゃんと、引っ張ってくれる相手がいないと動き出せない私。
 そんな私たちだからこそ、手を繋いで今までうまくやってきたんだと思う。
「笑実がいなきゃダメなんだよ、わたし」
 まあちゃんはいつもそう言って、あのくしゃっとした笑顔を見せるのだ。
 いつも見せてくれたのに。
 長閑になってきた景色が映る窓にこつんと額を押し付けて、私は隣の席を睨む。本当ならまあちゃんが座っていた筈のシートは、からっぽ。視界がじわりと滲んだ。
「まあちゃんがいなきゃダメだよ、私」

 一瞬の事故で、なんて他人事だと思っていたのに。
 あの日、私の世界の半分が消えた。通学路の真ん中、何事もない日常のワンシーンはそこでふっつりと切れて、ドラマみたいな別れの場面も最期の言葉も何もなしに、本当にあっけなく、突然に、強引に、風に吹き消されるように、波にさらわれるようにして、ただ消えてしまったのだ。
 残ったのは、左目だけで見る世界。
 まあちゃんのいない世界。
 「不幸中の幸い」だと誰かが言った。私だけでも助かって良かったと。
 確かに、右目は見える。頭をぶつけた以外は大きな怪我もなく、手足も動く。今は見えない左目だって治る見込みがないわけじゃないらしい。私は、ちゃんと生きている。でも。
 どうして、まあちゃんじゃなくて私だったんだろう。
 現実ではそんなことに理由なんかなくて、ただの偶然だって分かっている。だからなおさら納得がいかなかった。すぐ隣にいて、同じようにそこにいただけなのに、まあちゃんはいなくなって私は生きている。まあちゃんだって何も悪くないのに。運だとかツキだとかいう言葉で片付けられるには、あまりにも理不尽すぎた。
 「不幸中の幸い」だなんて。一体こんな私の何が「幸い」だというのだろう。
 そんな理不尽への怒りと悲しさと納得できない苦しさと、あと色々な感情で胸の中はごちゃごちゃ。その所為だろうか、私の目からは涙が一滴も出てこなかった。
 何より、「不幸中の幸い」と言ってくれるのは、お見舞いに来てくれるみんなが笑っているのは、私を励まそうとしているからだと分かってしまうから。元気になってと笑うみんなの前では、私も涙を引っ込めるしかなかった。

 私は、一人で砂浜に立った。
 まあちゃんが見たかった、ちゃんとした波と砂浜と水平線の海。正直、まあちゃんが目を輝かせて語ったほど綺麗じゃなかったし、鮮やかな青でもなかった。開放感というより、広すぎてすかすかしていて落ち着かない。足の下は柔らかくて、ふかふかと頼りない感じ。潮風は、爽やかというには少し塩辛すぎる。
「一緒なら楽しいもん」
 まあちゃんの言葉が正しいなら、きっと、楽しくないのは一緒じゃないからだ。
「……まあちゃんがいなきゃダメだよ」
 だって、海が見たかったのは私じゃない。まあちゃんなんだから。
「まあちゃんがいなきゃ、こんなところ来た意味もないよ」
 呟いたら、頬に何かが触った。頬から口の端へと降りてきたそれは潮風の味がして、塩辛さに顔をしかめて私はぐいっと頬を拭った。その自分の手が濡れているのを見て、私は初めて自分が泣いていることに気付いた。
「もう、泣き虫だな。笑実のくせに」
 嫌な事があったとき、悲しい事があったとき、まあちゃんは決まって私を笑い飛ばす。絶対に訳を聞いたり励ましたりしてくれない。笑え笑えって私のほっぺたを摘まんで、しつこいのは嫌だけど終いには私もつられて笑ってしまう。あのくしゃくしゃの笑顔を見ているとつい笑ってしまうのだ。
「笑って。わたしは、笑実の笑った顔好きだよ。だって「笑実」なんだから。笑わなきゃ」
 私より明るい笑顔のまあちゃん。フリルと花柄が大好きでよく似合うまあちゃん。その言葉に、どんなに励まされただろう。一緒にいたあの頃……いなくなった今でも、まあちゃんの声は私を励まし続けている。
 笑おう、まあちゃんが望むなら。今はまだ少し……いや、結構ムリしているけど。まあちゃんの分まで、まあちゃんのために笑おう。

 またいつか、ちゃんと笑える時まで。


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サークル名:緞帳と缶珈琲(URL
執筆者名:神無月愛

一言アピール
リアルとファンタジーがまじりあったお話が好きです。暗くて苦しくて切ない世界に振り回されて、その中でも明るさが見えるようなものを書きます。

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