モルグ海の殺人

列車に乗りはじめてからしばらく経ったころ。オレがにわかにそわそわするのを見て、
「お兄ちゃんなら、担当している事件が山場をむかえているらしく、しばらく寝泊まりしていますから、こっちにはやって来ないですよ。」
 と、ボックス席の正面に座る少女が言った。
「いいや、あの人のことだから、いつどこで監視しているか分かったものじゃあない――って、なんでオレがお前の兄さんのことを考えていたって分かったんだ?」
 目をしばたたかせながら、オレは天ヶ瀬結を見た。
 電車に乗ってから、オレは一言も彼女の兄の話題は出していない。それどころか他の話に花を咲かせるわけでもなく、車窓を流れる景色を眺めていた。なのに天ヶ瀬はオレの思考を読み取った。
 何故?
「簡単です。」口許に手を添え、彼女はくすくすと笑う。「順を追って説明します。」
 記憶を遡るように大きな瞳を閉ざし、天ヶ瀬はゆっくりと語る。
「まず、乗車して荷物を網棚に乗せようとした時に、別の乗車客がぶつかってきたのにお詫びの言葉がなかったことに腹を立てた乃木口くんは、電車が動き出しても不貞腐れたまま窓の外を眺めていました。しばらく走っていると車窓の風景は長閑な田園風景へと変わり、その景色を見ていると、不意に口許に笑みが浮かぶのが確認できました。乃木口くんの性格からして、のんびりとした風景を眺めて心安らかになるなんて思えませんから、これはきっとミステリ関連のことを考えているんだなあ、と推測して、では何を考えているかと想像すると、ホームズの『ぶな屋敷』ではないかと考えました。ホームズ曰く、「ロンドンの裏町以上に平和そうな田園は一種の恐怖」というくだりです。田園風景を眺めながら、ホームズを思い返して上機嫌になった乃木口くんは頬を緩めていたはずですが、続く「司法機関はいたるところ手近に備わっているのだから、一言それと訴えさえすれば、たちまち出動する」という内容を思い出し、警察官の兄のことを連想しました。だから、今回の旅行に兄がついてきていないかとそわそわしはじめた、と推理したんです。」
 言い返すことがなかった。まるで頭をかち割られて脳味噌を覗き込まれたかのように、その通りだった。
 高校の同級生の天ヶ瀬結は大の推理小説好きで、その趣味でオレたちは意気投合した。ただ、彼女は推理小説が好きなだけでなく、あこがれの名探偵たちのような推理力を有している。
 入学してからこの夏休みまで、いくつか奇怪な事件に遭遇することもあったが、天ヶ瀬はそれらをその頭脳で解決してきたし、彼女を溺愛する刑事の兄は、事件解決の相談を持ち掛けたり、するとかしないとか。
 それに対し、オレ――乃木口正は残念ながらただの推理小説好きの凡庸な人間だ。でも、いつもいつも聞き手のワトスンでいるのは癪に障る。絶対にどこかでひと泡吹かせてやりたい。
 天ヶ瀬はにこにこと自身の推理を誇るように微笑んでいる。ああ、ぎゃふんと言わせたい。推理で屈服させたい。何かいい方法はないだろうか。
「あっ、」ふと思いつくものがあった。「『モルグ海の殺人』。」
「モルグ街?」
「いいや、『モルグ海』だ。」
 それはオレがここ数日考えている推理小説のタイトルだ。
 アイデアをまとめ、プロットも立てあるので、即興で物語に作り替えることは特段問題ないはずだ。オレは頭の中をフル回転し、集めていた材料でひとつの建築物を脳内で作り上げる。
「時間もまだあるし、ちょっとした推理ゲームでもしないか?」
「推理ゲーム?」
「ああ。構想中の推理小説があるから、それを推理してみてくれ。」
「それが、『モルグ海の殺人』?」
「ああ。」鷹揚に頷き、オレは向かいに座る天ヶ瀬を挑発するように睥睨する。「まあ、解き明かせるとは思ないけれども、」
「ワトスンが書く小説は、ホームズの活躍譚だけですよ。」
 面白い。このやり取りが『オレンジの種五つ』にならないように、ぜひ頑張ってもらおうか。
    ※
 それは、文化や時代の異なる、異国の地――
 大陸の端に位置するその土地は人口百人程度の集落で、独特の文化をはぐくんでいた。特に、その集落で執り行われる死者の弔いは特異で、集落の中心から住人たちが『海』と呼ぶ海水の流れに遺体を送る。穏やかな水の流れのはずなのに、遺体はたゆたうわけではなく、静かに陸から遠ざかり、やがて消える。
 死体を流すことからその『海』は『モルグ海』と呼ばれていた。
 消失した亡骸は、『モルグ海』の中心にある島に辿り着くと言われているが、『海』を渡ることは住人たちにはできず、その真実を確かめるすべはない。幸いなことに、ここ数年集落で命を落とす人間もなく、物理的にも調べることはできない。
 しかし、平穏に包まれていたはずの集落は、唐突に悲劇に見舞われる。
 集落の宗教を統治する司祭が亡くなったのだ。
浜から『モルグ海』を隔てた島の波打ち際に、司祭の亡骸が打ち捨てられていた。遺体の首は鋭利な刃物で捌かれ、胸元には短刀が深々と突き刺さっていた。一瞥しただけで、殺害されたことは分かった。
 集落に住まう人間の動向を調べると、容疑者は三人に絞られた。
 一人は集落の長である、酋長。
 二人目は、二年前に集落に流れ着き、そのまま居座り続けている旅人。
 最後が、二回りも若い司祭の妻である。
 三人にはそれぞれ動機があった。
酋長は集落の人間の信頼が自身ではなく司祭へと向けられていることに常々不平を漏らしていた。
旅人は信仰の違いから集落の寄り合いに参加することも拒まれ、改宗を願っても、秘跡を授けてもらえず、憎んでいた。
そして、妻には若い間男がおり、事件の数日前にその事実が露見し、司祭から言葉と拳で叱責を受けていた。
 三名とも、司祭がいなくなることを心の内で願っていた。そして、それが現実となった。
 三人には不在証明がなく、司祭を殺害することは誰にでもできた。だが、事件のある一点から、容疑は一人に絞られた。
 果たして、司祭を殺害した人物は誰か――?
    ※
「以上が問題編だ。」
 頭にあったプロットを語り終え、オレは窓際に置いたお茶で喉を湿らせる。
「何か質問?」
「まず、確認しておきたいのですが、この集落には人まねをする霊長類の動物などはいないですよね?」
 天ヶ瀬の素敵な質問に、オレの口角はつい緩んでしまう。
「残念ながら、集落にはオランウータンも黒猫も、大鴉も生息していない。犯人は三人の中にいる。」
「なるほど、」
天ヶ瀬はひとつ頷くと、唇をもごもごと動かして一人何かを呟きはじめる。その様子に、オレは内心冷や汗を垂らす。
彼女が推理を進めていく時、必ず口の中で言葉を反芻して、論理の建築物を構築していく。今もまさに、彼女の頭の中では堅牢な建物が一段一段積み重なっていっていることだろう。
「最後に、酋長と司祭の奥さんは生まれも育ちも集落ですか?」
 その問いは、すでに謎を解き明かしていることを証明しているにも等しい問いだった。
「ああ。旅人以外は集落の出身だ。」
 力なく、オレは頷く。そして、天ヶ瀬結の明るい声が上がる。
「謎は解けました。」
    ※
「犯人は、旅人です。」
 迷いなく発せられた犯人の名前は、オレにとっては何ら以外でもない名前だった
「正解だ。」
項垂れながら、オレは解答の正否を告げる。
でも、なんでそんな簡単に分かったんだろうか。もともとある程度の長さにする予定の小説のアイデアなのだから、さきほど語った内容では推理をするための情報が少ない。むろん、推理が成り立たないようなミスはしていないつもりだが、それにしても、やや意地悪な個所も残る。それなのに、天ヶ瀬は楽々と解き明かした。
 いや、本当に彼女は正解したのだろうか?
 偶然の当て推量かもしれない。勘で答えても、三分の一の確率で犯人は当たるのだから。
「ちなみに、なんで旅人が犯人だと思ったんだ?」
「いくつかありますけれども、死体が島の波打ち際で発見されたからです。乃木口くんの語りでは、『海』に流した遺体は何処かへ消えるということでした。でも、司祭の遺体は島に辿り着き、集落から見つけることが出来た。そう考えると、死体は流されたのではなく、島に運ばれたと考えるのが妥当です。しかも、亡骸の様子が語られていることから、描写はなかったですが、遺体は島から集落へと運び直されたはずです。しかし、集落の人間には『海』を渡ることが出来ません。」
「ああ、死体を担いで海を渡るなんて、よほど体力がなければできない。」
 あえて意地の悪い相槌を打つ。しかし、天ヶ瀬はゆるゆると首を振る。
「違います。『海』を渡れないのは体力などの問題ではないはずです。乃木口くんは死体の行方を調べられないことについて、『ここ数年集落で命を落とす人間もなく、物理的にも調べることはできない。』と言いました。つまり、人が亡くなれば、物理的には調べることはできるということです。そうすると、集落の人々が『モルグ海』に入ることが出来ないのは、精神的な理由――宗教的な戒めからではないかと考えました。そして、遺体を『海』に流せば消失するという不思議な現象があるのに、犯人はわざわざ島に運んだ。この点から、犯人はこの集落で執り行われる弔いを見たことがない人物だと分かります。」
 天ヶ瀬はそこまで語ると一度言葉を止め、乾いた唇をひと舐めする。
「旅人が集落にやってきたのは二年前。しかし、数年の間人死にがなかったことから、旅人は葬儀を見たことがなかったはずです。そして、改宗を拒まれ続けた旅人に宗教的な戒めはありません。したがって、司祭殺しの犯人は旅人です。」
 ぐうの音も出ない、見事な推理だった。
「なんで、こんな意地の悪い問題がすぐに答えられるんだよ、」
 つい恨み節が口を衝いてしまう。
「『海』だからじゃあないですかね。」
「どういうことだ?」
 笑みを浮かべながら天ヶ瀬は細い指でオレを指し示し、その後自分の口許へと運ぶと、「シー。」と発音した。


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サークル名:妄人社(URL
執筆者名:乃木口正

一言アピール
自作『天ヶ瀬結シリーズ』の書下ろし掌編。
時系列としては、『天ヶ瀬結の回想』に収められている『仮面荘の殺人』の直前となりますので、楽しんでいただけたのなら、本編も是非お手に取っていただければ幸いです。

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