宝石と野花

 布張りの小さな箱の中には、親指の先ほどの大きさの石が鎮座している。透き通る水の色の中に紫の筋が走り、窓から差し込む陽光を受けてその色彩は様々に移り変わった。黎明の空のような色にも、森の奥深くの泉のようにも見える輝きは、たとえ女神の肌を飾ることになっても褪せて見えることはないだろう。
「水晶の町の、南方の霊山で採掘されたものです」
 簡素に、しかしどこか歌うような声で男が述べた。その説明を聴いた女の唇が緩やかに三日月を描く。
「あの町の石は質がいいので有名ね……でも、とっくの昔に枯れたのではなかった?」
「そこはまぁ、色々な伝手を使いまして。宝石の魔女がお客様となれば私も多少の無理はしますよ、エイダ様」
 エイダと呼ばれた女は、男の口上にますます笑みを深めた。宝石の魔女、という異名はその美貌を讃えてつけられたものである。纏め上げた銀の髪は星のごとく、白皙のかんばせに映える瞳はサファイア、珊瑚の唇。千年後にも残る宝石の美を固めた魔女。それがエイダだった。無論魔法使いとしての実力は国中でも指折りで、それゆえにエイダの名は知れ渡っている。今更多少の誉め言葉では動じないくらいには――だが、彼にそう言われて悪い気はしない。
「嬉しいわ。とても『美味しそう』ね」
 石に伸ばす指先を、男は止めようとしなかった。冷たく、つるりとした感触が皮膚に伝わる。宝石の魔女は己の欲望を止めようとはしなかった。
「どうぞ、召し上がれ」
 男に促されるままに、エイダは宝石を口に含んだ。喉を通る硬い質感は瞬く間にに消え失せ、代わりに濃厚な蜜を舐めたような熱が広がる。視界が微かに明滅するのは己の身体が光を発しているからだ。美しい石と、それが内包していた力が溶けて染み込んでいく温もりは、えもいわれぬ充実感をエイダにもたらした。
「……流石はイェルカの魔法石店。貴方が探し当ててくる魔力の源に、間違いはないわね」
「お褒めに預かり光栄です」
 エイダの言葉に男――この店の主たるイェルカは恭しく頭を垂れた。
 魔力の源を扱う店は少なくはないが、その中でもイェルカの魔法石店はとび抜けて有名だった。規模自体はそれほど大きくなく、鄙びた町の一角にひっそりと店を構えている。外観も内装も非常に控えめで、エイダが接待を受けている部屋も低いテーブルとそれを挟む一人掛けのソファのみが置かれている。もう少し洒落た物を置けばいいのに、と昔馴染みの特権でエイダが言えば、来訪者も少ないのでこれで充分なのだとイェルカは返した。店も、彼自身も決して目立とうとはしないのである。
 ではなぜ有名なのかといえば、取り扱う宝石の質の良さゆえである。魔法使いがその力を維持するためには、定期的に魔力の宿った媒体を身体に取り込まなければいけない。特定の場所で採れる植物や水、時に動物の生き血など形は様々だが、とりわけ好まれるのが宝石である。見た目の美しさもさることながら、長い年月をかけて育まれた魔力はたいそう美味で、砂粒ほどの大きさでも十分な力が蓄えられるのだ。もちろん希少な石ほど効果は高い。そんな風に魔力に満ちた宝石だけを取り扱っているのが、イェルカの魔法石店なのである。
「文句のつけどころがないわね。強いて言うなら、やっぱりもう少し洒落っ気を出したほうがいいと思うの」
「改装するような余裕はありませんよ。もう少しお客様が増えたら、それも考えましょう」
 白々しく肩を竦めるイェルカに、エイダは失笑した。彼に客を増やす気など毛頭ないのは、店に関わった者なら誰でも知っている。店に辿り着くまでの道には目くらましがかけられていて、一定以上の力のある魔法使いでなければ見つけることも出来ない。イェルカ自身、エイダと比肩するかそれ以上の実力を持つ魔法使いであり、彼のお眼鏡に適ったものでなければ商品を売ってもらうことは出来ないのだ。それがまた、イェルカの魔法石店が魔法使いの憧れとなる一因ともなっている。
「謙虚なのは結構だけど、あなたはもう少し贅沢をしたら? 宝石だって、苦労して探してきたのに自分の口には入れないんでしょう」
「私はいいんですよ。他に食事がありますから」
 イェルカが微笑しながら答えたその時だった。狭く、しかし静穏だった部屋のドアが、ノックもなく騒々しく開かれた。転がり込んできたのは十をいくつか過ぎた年頃の少女である。着古したスカートに、精一杯の盛装なのであろう淡い色のストールを羽織っている。
「イェルカさんこんにちは! 今日の分の花を……あっ」
 飛び込んできた勢いのままイェルカに話しかけようとした少女は、その段階でようやくエイダの存在に気付いたようだった。
「すみません、お客様がいるのに私ったら……! あの、出直してきます!」
「いや、構わないよプリシラ。花を持ってきてくれたんだろう」
 踵を返しかけて少女を引き留めたのはイェルカだった。思わず彼の顔を凝視する。プリシラという名であるらしい少女は、どう見てもこの店の客になりえる人種とは思えなかった。だがここに足を踏み入れたということはイェルカに許されているということだ。それもそこそこの上客であると自覚しているエイダより対応を優先するほどに気に入られている。いったい、彼女は何者だというのだろう。
「はい、えっと、すみません! これをお渡ししたらすぐに帰りますので!」
 エイダの機嫌を損ねたと悟ったのか、プリシラは小動物を思わせる動きで何度も頭を下げた。その手には小さな桃色の花をまとめた花束が握られている。イェルカはそれを受け取ると、プリシラの髪をそっと撫でた。
「ありがとう。助かるよ」
「私に出来るお礼なんてこれくらいしかないですから……また来ます!」
「ああ、また明日」
 耳まで赤く染めた少女は、来た時と変わらぬ騒々しさで店を去っていった。残されたエイダとイェルカの間に、奇妙な静寂が漂う。
「可愛いでしょう。半年ほど前に路上で倒れていたのを世話してやったのを恩に思っているようで」
 そう言って、イェルカは桃色の花を食んだ。咀嚼もせずに飲み込まれた花びらは、きっと彼の身体の中で小さな熱を発して溶けたことだろう。
「……それが、食事?」
「ええ。町の外れに花畑があるでしょう? ちょうど霊脈の上にあるのですが、それを言ったらわざわざ毎日摘みにいってくれているんですよ」
 エイダの質問に淀みなく答えながら、イェルカはあっという間に花を平らげてしまった。大した魔力にならないだろうに、彼はいやに満足げだった。エイダの胸に濁った感情が湧きあがる。
「あなたほどの人がそんなに粗食だなんて」
「私はこれでいいんですよ。煌びやかな宝石より野花の方が性に合う。それに、気持ちのこもった食事というのはそれだけで美味なものでしょう?」
 イェルカの言葉に溜息をつくと、エイダはソファから立ち上がった。これ以上の会話は無意味だ。彼がエイダの思いに応えることはないと、とうの昔に知っている。イェルカは昔から人と深く関わることを避けていた。面倒な女と拒まれるよりはと今の距離感を選んだのは自分である。
 ――だというのに、あんなみすぼらしい子供に。
「おや、お帰りですか?」
 声を掛けられて、エイダは我に返った。彼の静かな目に胸中を見透かされた気がして、密かに拳を握る。
「ええ。次はまた季節が変わる頃に」
「かしこまりました。お気をつけて」
 客人に対しての礼を取るイェルカに見送られて、エイダは店を後にした。彼が自分にはまた明日、とは言ってくれることはない。既に諦めはついたものだと思っていたが、恋心とはままならないものである。
 苛立ちを静めるべく、エイダは自分が出来るささやかな復讐を思い描いた。次に訪れる時には、店が埋もれるくらいの花を持って行ってやろう。彼が受け取る野花が紛れて分からなくなってしまうように。心のこもったものが好みというなら、たっぷりと気持ちを込めて贈ってやろう――嫉妬という名の、花束を。


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サークル名:猫が見た夢(URL
執筆者名:イツキ

一言アピール
もっぱらハイファンタジーなサークルです。痛かったり優しかったりする話を書いています。テキレボは初参加!
こちらは今回のアンソロ用に新しく書き下ろした掌編です。

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