流星猫と狩人

 両手で構えた猟銃の重みが、肩と腕を圧迫する。防寒着の隙間から入り込む夜風が、滲み出る汗を冷やした。
 頭上には満天の星空が広がり、暗闇ばかりの地上にわずかばかりの光を注いでいる。
 冬の平原。少年は仲間たちと共に、ここで狩りをするためにやって来た。仲間たちは散開して各々の場所に息を潜め、時を待っている。少年は未熟であるために、教官役の先輩と二人一組での行動だった。
 風が叢を撫でる音がする度、少年の肩は緊張に小さく跳ねた。見かねた教官役が、自分も闇の向こうに猟銃を構えたまま小声で語りかけてくる。
「あんまり力むと、いざってときに引き金を引けなくなるぞ。ゲームだと思って、気楽にやりゃあいいさ」
「は、はい」
 そう言われても、簡単に気楽になれはしない。ここへ来るまでに幾度となく訓練を積んできたはずなのに、本番ではまったく気分が違った。
「獲物は逃げるだけで、襲ってきたりはしない。大丈夫、嫌でもわんさと出るから、適当に撃ってたって当たるさ。あ、仲間には当てるなよ」
 そのほうがよっぽど怖い、と相手は笑う。銃は、命を奪うためにあるのだ。
 叢に息を潜めるあいだにも、気温は下がっているようだった。引き金を引く手の感覚が麻痺しないように、時折引き金から指を外して動くきを確かめる。そのあいだだけ、気が逸れて緊張も少し紛れた。
「おい、来るぞ」
 教官役の声に、少年はすぐに引き金に手をかけ直し、呼吸を止めた。
 暗闇一色だった平原のなかに、突如、青白い光が灯るのが遠くに見えた。「ニャーン」とか細い声が聞こえた気がした。
 そして次の瞬間、ドンという銃声が静寂を切り裂いて木霊する。緊張に高鳴った鼓動さえ黙らせるような、大きな音だった。
 狩りが始まった。
 銃声を合図にしたように、青白い光は平原を満たすようにあちらこちらで現れた。それらすべてが縦横無尽に素早く駆けまわり、青白の軌跡が闇のなかを走る。それは、見惚れてしまうほうどに美しい光景だった。
 少年がぼんやりと目の前の光景に見入っていると、不意に真横で銃声が破裂した。教官役が引き金を引いたのだ。少年の視線の先で、青白い光が叢の影へ落ちて消える。
「ぼさっとすんな、新入り」
 先ほどの気楽な声とは打って変わって、厳しい声が少年の頬を叩いた。はっとした少年は慌てて狙いを定めようとするが、標的の動きはひたすら早く、狙いをつけるどころか目で追うことさえ難しい。しかも、青白い光は闇のなかに無数にあって、どれを狙えばいいのか、判断を迷わせた。
「落ち付け。空気に流されすぎだ」
 教官役の言葉に、はい、と返事をしようとするが、緊張に渇いた喉からは、上手く声が出て来なかった。傍らで、ひっそりと溜め息が鳴る。
「……わかった。しばらく周りをよく見てろ。もうすぐだ」
 もうすぐ、と教官役が言うか言わないか、そんなときだった。
 飛び交う銃声と駆けめぐる青白い光のあいだから、突如、光が空へ向かって飛んだ。藍色の星空に、闇を切り取ったように真っ黒で小柄な影が浮き上がり、重力に引かれてまた落下を始める。黒い影のなかで、双眸だけがきらりと星のように輝いた。
 ドンと音を響かせて放たれた銃声が、宙に浮いて無防備になったそれを狙ったのは間違いなかった。地を駆けるのと違って、落ちる速度は重力に支配されて一定で緩慢。狙うには遥かに容易い的になる。
 宙に浮いた影は、中空でぴくりと身体を強張らせて、直後、青白の尾を引いて地上へと落下した。比喩ではなく、青白い光はその小さな生き物の、長く伸びた尾の先に灯っていた。
「まだまだ」
 次は視界の端で、光が跳ねた。少年はすぐさま光の方向へ顔を巡らす。
「あ」
 その光は、さっきの影よりももっとずっと高く跳び上がった。否、跳んだのではない。跳んだら、落ちる。けれど、それは落ちなかった。
 宙へ浮いた影は高いところへ向かってぐんぐん速度を増していく。その尾先の光が、さながら一本の矢のように、真上へと直線の軌跡を描いた。
 夜空へ向かって小さくなる光は、ついに満天の星と区別がつかなくなる頃に、夜空を横切って流れていった。流星だった。
「猫が飛ぶぞ!」
 仲間の誰かが叫んだ。
 光の尾を持つ小さな生き物たちは、最初の流星をかわきりに、ぴょんと飛び上がる動作を繰り返し始める。
「今だ……! 空へ飛び上がるときが一番狙いやすい。跳んで、また地上へ落ちてくるところを狙えば、おまえでも当てられる」
 教官役の声は興奮して、早口だった。少年へ説明するのも億劫とばかりに、自分も猟銃を構えるや否や、獲物を撃つことに集中してしまう。銃声は、平原中の静寂を塗り替えるように轟き続けた。
 猟銃の鳴る音と「ニャア」という断末魔がひっきりなしに聞こえる。そして、それらで埋め尽くされた地上から、幾筋かの光がそれでも力強く空へと登っていく。大量に失われる命と、その隙間から生まれる奇跡が、少年の前で同時に繰り広げられていた。
 あともう少しで空へ届くかに思われた光が、銃弾に捉えられて地上へ落ちた。その骸が、茫然としていた少年の真横にどさりと斃れる。ぜいぜいと浅く速い呼吸の音が聞こえる。恐るおそる、その黒い影に目を凝らすと、黒い毛皮で覆われた四肢の短い四足の小柄な生き物は、想像していたよりももっとずっと小さかった。三角の耳が乗った小さな頭、きらりと緑色に光る大きな目、ちょこんと高い鼻と、その下には少しだけ開いた口。
 凶暴な生き物だと習っていた。いつか絵本で見た絵は、まるで悪魔の使いのように醜くて恐ろしかったのに、実際に見てみれば、まるでぬいぐるみのように愛らしいとさえ思えた。
 地上にあっては愛くるしい獣、天上へあっては神々しい流星。それが、少年のたった今知った、本当の猫だった。
 猫は、この地上で数少ない光だ。そのため人は、猫を光を生むエネルギー源として昔から狩ってきた。
 猫を狩ることを生業とする者たちを「猫狩人」と呼ぶ。猫から生み出されるエネルギーは、人の暮らしに欠かせない。人の生命線を担う彼らは、しばしば英雄と表された。
 猟銃を巧みに操って猫を狩る英雄に憧れて、少年は「猫狩人」になった。大切な人たちを守る者になれたことが誇らしかった。
 けれど、現実はそんなに輝かしい英雄譚ではない。これは、命を懸けて人々を守る英雄の行いなどではなく、己の利のために弱者の命を奪っているに過ぎない。こんな悪魔的な所業の上に、自分たちの生命は成り立っているのだ。
 猫は夏に地上に生まれ、空気が冴えて星空の近くなる冬に、星になるため空へ向かって飛び立つ。冬のこの時期は、猫がもっとも光を蓄えて活発になる。狩りには一番適した季節だ。
 今や少年は、手にした猟銃を持て余していた。これを撃たなければ、狩人ではいられない。人々を救う英雄にはなれない。けれど、これを撃つことは、英雄になるよりももっと怖い結果をもたらすような気がした。引き金にかかった指が強張って、ほんの少しも動かせない。
 そうやって固まっているうちに、隣で撃ち方の姿勢を取っていた教官役は満足のいく成果を上げたらしい。ふぅ、と溜め息をついて銃身に添えていた顔を上げた。その顔が、少年のほうを向く。
「……なんだおまえ、ビビッてんのか?」
 怖い声だと思った。怒っているとか不機嫌だからではなく、平然と「まだ殺してないのか」と暗に訊ねてくることが、怖い。猟銃を使って生命を奪うことになんの躊躇いもないことが、少年には不思議だった。
「でも、ぼく……」
「初めには誰でも緊張して当たり前だが、おまえはほんと怖がりなんだな。でも一回、銃で猫を仕留めると、もう楽しくて楽しくてやめられなくなるさ。こんな楽しくて、給金も貰えるうえに、英雄扱いだ。これ以上の仕事なんてないぜ」
 教官役はまるで酔っているようだった。戸惑う少年に近付き、猟銃を支える肩に手を添える。
「俺が合図してやる。……撃てよ」
 声が、上から少年を押さえ込んだ。少年は震える手で猟銃を抱え直し、正面の射程圏内へ目を凝らす。けれど、とても集中できるような心持ちではなかった。
 平原中にいたはずの猫はいつのまにか、数を大きく減らしていた。青白い光もまばらで、それすらも散発的な猟銃の音と共に叢の影へと沈んでいく。
 来ないで、と念じずにはいられなかった。けれど、そんな少年の気持ちなど露も知らず、猫は少年の射程圏内へ飛び込んで来る。
「ここは安全だと油断させろ。……ほら、跳ねた」
 猫が、その場で飛び跳ね出す。その高さは、数を重ねるごとに増していく。
「今だ!」
 叱咤ように命じられて、少年は驚きにまかせて引き金を引いた。銃身から轟音が溢れて、銃弾が真っ直ぐに猫へと飛ぶ。「ニャンッ」と短い鳴き声がした。
「やった!」
 着地に失敗した猫が、どさりと音を立てて地上に落ちる。あれだけ躊躇ったのに、命を奪うときは一瞬で、あっさりとしたものだった。
「これでおまえも正式に「猫狩人」の仲間入りだな」
 教官役は満足そうに言って、少年の傍から離れていった。取り残された少年は、茫然としたまま、寸分も動けなかった。楽しいなんて、微塵も感じない。
「撤収だ!」
 仲間の声がした。ようやく重い身体を起こすと、仲間たちが大きな袋に、猫の骸を無造作に押し込めているところだった。さっきまで生きていて、美しく空へ駆け上がろうとしていた小さな命は、今やただの資源なのだと思い知らされる。
 猫は、人にとって必要な生き物だ。けれど、こんな理不尽な形でしか必要だと言えないのだろうか。あの姿を愛らしく、また、神々しく思う心は、間違いなく人のなかに存在しているはずなのに。


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執筆者名:とや

一言アピール
ファンタジー大好きなサークルです。連続刊行中の和風FT『創月紀 ~ツクヨミ異聞~』テキレボ3にて4巻(完結)を発行します!他に、音楽CD付異世界FT『フォニとザクリ』、宝石をテーマにした和風短編集『輝石の歌』などがあります。

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