灯の海に、幕が下りる

 日が暮れれば村には夜空の幕が下りるのだが、その日は違った。
 目抜き通りには多くの屋台がところせましと軒を連ね、何人かが通りすがりに立ち止まる。熱気に押され何人かは食べ物や雑貨を購入していた。そして人々は思い思いに着飾っていた。煌びやかをそのまま身につけたような女性や、いつもより清廉な服を選んだ男性。そんな大人たちの合間を走り抜ける子たちは親に着せてもらった民族衣装を纏っている。
 村は色鮮やかに飾り立てられていたのだ。
 そんな色鮮やかな群衆の中、当惑している一人の青年がいた。彼の気慣れた素っ気ない服装は群衆の中で少しくすんで見えるが、誰も彼も目もくれず通りすぎていく。青年もただ一人で瞳を曇らせていた。その姿はどう見ても迷い子のようだ。
 と、不安げな瞳が誰かをとらえた。
 青年からかなり離れた場所にいる高齢の男性。彼も群衆に溶け込めていないらしい。綻びを直された軍服姿は着飾っているのではなく畏まった印象を受ける。
 青年が声をかけようとした瞬間、誰かに背中を叩かれた。
 振り向くとそこには一人の男性がいた。服と呼べないほど着古した服、その上に羽織っているのは清潔さが守られた白衣だ。真逆をそのまま着ているような彼もまた、群衆からは浮いていた。
「博士!」
 相手の顔を認識したとたん青年は破顔する。
「アルミス、ここにいたんだね」
 博士と呼ばれた男性も相手の名を呼んだ。
 アルミスはしばらく無言だった。何も言えなかったのだ。ようやく出会えた顔見知りに感極まったのか、目に涙を浮かべる寸前で固まっていた。
 博士も何も言わないまま目を細める。
 やがてそのまま二人、顔を見合わせて笑いだした。それはさながら久方ぶりに出会えた旧友のようで。
 そんな彼らを気にすることなく、群衆の波はひたすら打ち寄せていた。
 しばらくして笑い終えたアルミスは改めて周囲を見渡した。走る子どもや立ち止まる二人組、二人組に機嫌よく対応する屋台の主……それら一つ一つを物珍しそうに観察する。
「これは何の集まりですか?」
 青年の問いに博士はくすりと笑った。
「今日は祭りなんだ。『祭り』、教えただろう?」
「お祭り!」
 アルミスの顔がまた綻ぶ。
「覚えています! この村では年に一回お祭りがあると。これがそうなんですか……」
 どうやらアルミスにとっては初めての祭りらしい。理解したとたんその両目は点滅するように瞬きだした。
「あれ、でも……」
「そう」
 アルミスが気づくと博士も顎を引く。
「世界が戦争を始めてから祭りはしなかった。できなかったと言ったほうが正しいかな」
 アルミスが続けて言おうとする前に、周囲が突然暗くなった。屋台や通りの外灯、舞台も照明を落としたのだ。夜の幕は急速に祭り会場を覆う。群衆は皆足を止めた。暗さに戸惑ったわけではなく、三三五五会話を交わし、やがてどこからか小さい光が灯った。
 光を灯したのは一人の少女だった。彼女の手には可愛らしい紙の灯篭。お手製らしきその灯篭は、赤い魚の絵を闇夜に浮かび上がらせている。
 幼くも優しい灯を眺めながら、博士はアルミスに質問した。
「この祭りの由来は覚えているかい?」
「はい、村には『年に一回、死んだ者たちが空に登る』という伝承があり、その日に村人は灯篭を灯すのだと……」
 ハキハキと答えるアルミスの声は学び舎の生徒のようであり、静かな祭りの中ではいささか目立ってしまいそうだ。それでも博士はただ優しく笑うだけだった。
 そんな二人の周りで次々に光が灯りだす。皆が灯篭を取りだし始めたのだ。大きさや色、形はさまざまだが手製だけは共通の灯篭が次々と現れる。
「さすが、私がいなくても記憶回路は壊れていないね」
「はい!」
 元気よく返事をしたアルミスの顔に線が浮かんだ。音もなく入ったそれは左目の下から頬を伝い、刹那泣いたのかと錯覚しそうだ。しかしよくよく見ればそれは一筋のヒビだった。
「冷却装置は壊れたままですが」
 ヒビの真上にある左目。薄膜が一枚剥がれた瞳には彼の内部を浮かばせている。誰かが覗き込めば隙間なく嵌め込まれたゼンマイがありありと見て取れるだろう。
 機械仕掛けの青年相手に博士は何事もなく笑う。もちろん博士は気づいているが、それを恐怖する気も悲観する気もない。
「あ、将軍も!」
 博士がなぜ笑っているのか気づかないままアルミスが指さした。
 指さした先では戸惑う将軍がいた。何やら恥ずかしがっているらしくしばらくもじもじと身動ぎしていたが、やがて懐から何かを取り出しはじめた。
「彼はもう将軍じゃないよ。戦争は終わったんだ」
 将軍の様子を眺めながら博士は言う。アルミスに、というより自分のために呟いたように聞こえた。
「戦争は終わった」
 青年が言葉を繰り返す。
「今日は戦争で亡くなった人を弔う意味合いが強い。今日の祭りは、再開と新しい理由がついた、いわば記念日なんだ」
「記念日……」
 二人が祭りの新しい意味を確認している間、将軍は懐からそれを取り出し一気に広げる。少し不恰好さが残る、手作りとわかる灯籠だ。
「博士の灯籠ですね」
 何の疑いもなく言い切るアルミスの隣で博士は笑みを止めた。「彼は優しいから……」そんな言い訳めいた言葉とともに両目を瞬かせている。将軍が灯籠を用意した、それが彼にとってどれほどの困惑であり僥倖か。
 博士の代わりにアルミスが笑い声を上げた。
 将軍はもう一度懐を探っている。周りでは人々が光を灯し始めていた。きっと将軍も火種を探しているのだろう。
「……なぜ僕は、また博士と話しているのでしょう」
 将軍を見守っていた青年はふと疑問を唱える。
「『魂は迷信めいた存在』と記憶しているのに」
「迷信だからこそ、かな」
 聞こえた声に反応して青年は博士の顔を見た。
「存在が不十分なものは、信じられることで存在できるのかもしれない」
「よくわかりません」
 たちまち博士は笑顔をくしゃりと潰した。それは「しょうがないなあ」と言っているようで。
 首を傾げたアルミスに博士は「ほら」と指し示した。
 示した先には懐を探り終えた将軍がいる。予想通り火種を取り出していたが、一緒にもう一つを手に持っていた。博士の灯籠より一回り小さい、しかしよく似ているこれまた手作りの灯籠。
「弔ってくれる人がいるから、私と君は出会えたのさ」
 アルミスは何も言わなかった。彼はただ将軍を、正確には将軍が持つもう一つの灯籠を見つめていた。左頬のヒビが音も上げずに大きく広がる。それを気にせずアルミスは感情を表そうとしていたのだ。それは笑おうとしているのか悲しんでいるのか。
「僕はただの機械です」
 ようやくそれだけ呟く。表情はなかった。将軍が二つの灯篭を地面に置きおそるおそる灯りをつけるのを、ただ眺めるだけだ。
 それを見つめる博士の顔もまた固かった。
「敵国の人間を殺すためだけに作られた、ただの兵器だと」
「違う」
 機械仕掛けの青年の言葉はさらに強い言葉によって遮られた。
「少なくとも君は私の息子であり……彼の友人だ」
 言った博士の顔に光が重なる。見れば会場はすでに明るくなっていた。固定された外灯とは違う、小さな灯りたちが所狭しと広がっている。初めは少女一つだけだったのが今や誰も彼も灯を瞬かせていたのだ。
「……海みたい」
 いつか見た大海原を連想し、アルミスはついつい声を上げる。
 そんな彼に、博士がゆっくりと手を差し伸べた。
「ほら、時間だよ」
 言われてアルミスは博士の顔と差し伸ばされた手を交互に見やる。どうしたのかと博士は一瞬憂うが、ようやく上がった顔にふっと声を漏らした。
 そこにはわかりやすい戸惑いが浮かんでいたからだ。
「僕もいいのですか?」
「彼が見送ってくれるんだ、それに私もいる……さあ」
 とたんにアルミスの顔が明るくなる。ゼンマイが透ける瞳から液が一筋流れ、ヒビを乗り越えて顎まで伝う。それはただの冷却水かそれとも……もうどちらでもいいことだった。
 差し出された手をアルミスは笑顔で掴む。確認した博士も一度破顔するとやがて歩き出した。
 歩き出した二人はだんだんと群衆から離れ、やがて闇夜に溶けていった。

 残ったのは色鮮やかな祭り会場。
 各々連れ立っている中で将軍は一人ぼっちでいた。正しくはもう将軍ではないのだが、昔から「将軍」と呼ばれていたために今も皆から「将軍」と呼ばれている。
 彼は一人で夜空を見上げていた。ようやく下ろし終わった夜の幕には星空が広がっている。しかし今日の主役は星ではない。
 もはや星が霞むほど、地上は多くの灯りで溢れていた。
「なんで……」
 どこからか音楽が聞こえだす。それはやけに物寂しく無音と呼ぶにはあまりにも贅沢な、魂を送る祭囃子だ。
「……なんで、私だけ」
 たゆたう音楽の中で灯たちが一層瞬く。音に呼応して人々の灯籠があちらこちらへと揺れていた。
 それは将軍が持つ二つの灯籠も例外ではなく。
 揺れる二つの灯りを見つめながら将軍は思い出していた。長く続いた戦争。自国の力を示すように作り続けた武器は次第に際限がなくなり、やがて人型の兵器を生み出す結果となる――最後に思い出すのは一人の友人と彼が生み出した子、彼らの最期。片や戦犯と罵られ処刑され、片や「史上最悪の殺人人形」と謳われ壊された。思い出すごとに将軍は歯痒さを噛みしめる。
「指示した私だけが、大量の名誉のおかげで生き長らえてしまった……」
 祭り会場では不釣り合いな軍服。それはところどころに日焼けした丸い跡が残っていた。祭りらしい格好がどうにも思いつかず、せめてもと付けていた全てを取り外したのだ。それが却って己の念を増長させる結果になっていた。
「……ただ、悔しい……」
 取り残された老兵のひとり言など露知らず、夜の幕が下りた祭り会場では多くの灯りが見送っていた。


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サークル名:夜半すぎの郵便屋(URL
執筆者名:能西都

一言アピール
いつもはオリジナルの短編集などを細々と出しています。どんよりとした話を書くのが好き。
今回はオリジナルの掌編です。群像劇に見えて実は……な感じを目指してみました。

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