幻の花 ~絶界の魔王城《ザタナシュロス》外伝

 絶界に花は咲かない。

 ラウミィ・キュアンスウィリーがその土地を訪れたのは、物心ついて間もなくだった。
 大陸の西端。首都から幾日馬車に揺られて来たことか。退屈はたびたび限度を超え、お気に入りのクッションはすっかりくたびれ、慣れぬ土地の水にあたり、それでも兄についてきたことを後悔はしていない。魔術師養成学校の「ともだち」といさせられるよりも、歳の離れた兄のそばにいたかった。「ラウミィの甘えっ子ぶりは一本筋が通ってるなぁ」と、兄は苦笑しながらも頭をなでてくれる。
 魔術師長である叔父の研究に、数人が付き添う形での今回の長旅だった。明らかに足手まといになる、と兄が予想したほどにはラウミィの存在は邪険にされることもなく、むしろ宿場町や出店で名物を買い込んだ魔術師たちが代わる代わるそれを与えに来る有様だった。なかなか兄の陰から出ることはなかったが、それがまた彼らの餌付け心をくすぐるらしい。
 馬車を置いて馬に乗り換え、緑の匂いの濃い森を二時間ほど進んだだろうか。不意に、前方から赤い光が差した。
「着いたか」
 魔術師長が、軽く馬の腹を蹴って前に出る。
 人間の目にはそれとわからぬ巨大な封印が、土地全体に施されているという。なるほど確かに壁は見えない。だが、鬱蒼とした森が不自然なほど突然に途切れ、その先に広がる赤茶けた大地を見れば、誰であれ悟るであろう。結界による封印の存在、そしてこの先が「絶界」と呼ばれる土地であることを。
「魔王と戦った勇者の仲間に、封印の民がいてね。その人が、まるごと絶界を封印したんだって。…どれ、見えるかな?」
 兄に抱き上げられ、ラウミィは危なげながらも鞍の上に立って、木々の向こうの景色に目を凝らす。
 遥か遠く、血のように赤い空に、連なる山が黒く鋭く影を切り込ませている。人が登れるとは到底思えぬあの山々のどこかに、かつて魔王が住んだという城、ザタナシュロスがあるという。―――昔々のおとぎ話だ。おとぎ話だが、この景色を見れば、かつてこの地で壮絶な戦いがおこなわれたことに思いを馳せずにはいられまい。
「不毛の地、か…」
「左様。草一本たりとも生えることはないと言われている」
 兄の呟きを、魔術師長が拾う。ラウミィは首をかしげた。
「お花も?」
「そうだ」
「お花のみつ、すえないね」
 聞くなり、兄が声を上げて笑った。
「そっかー、ラウミィはお花の蜜大好きだもんねー」
「ばらさないの!」
「自分でバラしてんじゃん」
「ばらしてなーいー!」
 己を支える兄の手をぱしぱしと叩く。「そうか…花の蜜か…」と餌付け隊の筆頭が独りごちた。
「全員に告ぐ。一旦拠点に戻るが、ガーゴイルらに見つからぬ様、引き続き慎重に行動せよ」
「はっ」
 魔術師長への返事は良いが、森の中、全員が馬首を返すまでにはしばらく時間がかかった。魔術師には馬に乗り慣れていない者も多い。その間、兄に片手で抱えられたラウミィは、枝葉の隙間から覗く絶界の景色を、大きな瞳で見つめていた。
「お花がないと、さびしいね」
「そう? まあ、そっか」
 兄は器用に馬を巡らせる。同時に、ラウミィはすとんと鞍上に降ろされた。ラウミィは兄に背をもたせ思案していたが、やがて首を上げて―――そうしたところで兄の顔は見えないのだが―――訴えた。
「んとね。お花のね、たねをね。たくさんたくさんうえたら、お花ばたけになるとおもうの」
「そうかなー…うん、そうかもね」
「だからね、らうみ、いっぱいお花のたねもってくるね」
「えーと、どこから?」
「おにわ」
「…またここまで来るの大変じゃない?」
「あっ…」
 再び大笑いするところだった兄は、魔術師長の注意を思い出し、慌てて右手で己の口をふさいだ。

 十数年後。
 同じ土地に、ラウミィは立っていた。封印の破られた絶界に、魔王討伐隊の一員として。
 レイ・ヴァリエンテ王子を筆頭に、選ばれし四人が今、絶界の地を踏みしめていた。
「ラウミィは、絶界を訪れたことがあるんだったね」
 王子の問いに、ラウミィはぴんと背筋を伸ばす。
「はっ、はい! あの、小さい時のことであんまり、その、覚えてないんです、けど…、あっ!」
 思い出した。ラウミィは肩にかけていた荷物を置いて探る。三人が怪訝そうに見守る中、ようやく小さな袋を取り出し、立ち上がった。
「何だそりゃあ」
「あっ、えっと…、花の種、です。カネシャの…」
「はぁ?」
「あの、…咲いたらいいな、って…」
「…バカじゃねえの?」
「クリーガ」
 王子が褐色の戦士をたしなめる。ラウミィは下唇をきゅっと噛み込み、だが顔を上げて、袋の中身を赤い空に向かってまいた。強い風が小さな種を舞わせ、すぐに視界から消す。
 金の髪を結い上げた魔剣士が、ラウミィの肩をぽんと叩いた。
「気は済んだ?」
「は、はい。ありがとうございます」
「では、」
 真紅のマントをなびかせ、王子は一人一人、順に目を合わせる。
「ここから先は引き返せない。皆、覚悟はいいか」
「あぁ」
「はい…!」
「いつでもいいよ~」
 返事を受けて、王子は宙を睨んだ。
「魔王、―――覚悟!」

 絶界に花は咲かない。
 もし咲くならば―――血の花だ。


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サークル名:空想工房(URL
執筆者名:KaL

一言アピール
様々なジャンルの創作者が集まったサークルです。関東圏の一次創作イベントを中心に参加中! テキレボ8では会誌「カケラ」Vol.04(お題:秘密/ジャンル:青春)を頒布予定。メンバーの個人誌なども有。
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