真つ暗闇といふのは此の事だ。山陰に日が落ちて森はべとりと暗い。慣れぬ夜道に東京育ちの私は這々の体で漸く宿に辿り着く。此の辺りにはまだ電灯が普及しておらず、これぞ民俗學者たる我が希求する原始の日本なのやも知れぬと得意になつてみるが、抑も里に人のおらぬでは調査も研究もしようもない。やつとの思いで駆け込んだ宿すら女中の姿は無く、目付きの悪い猫背の老主人が只一人、顎で部屋を指し示すやうなそんな有様で、通された部屋に敷かれた布団も大層黴臭く、触れればじつとりと湿つてゐた。敷き布団をめくってみれば、腐りかけた畳との間には新聞紙が敷いてあつて、一面には陛下の御真影のあつたから実にけしからん事である。
その晩は文机を縁側に向けてノートを広げ、幾ばくかの月明かりを頼りに原稿を書き進めた。万年筆のインキが切れた処で顔を上げると、微かながら鉦を叩くやうな音が秋風に乗って聞こえてくる。
この辺りは神隠しが多い――否、神隠しとされる事が多いといふべきであらう。子供がいなくなると、其の親は満月の晩を選んで、鉦を叩きながら念仏を唱えて山へと入る。
此の日は、子を探す親の叩く鉦の音が一晩中鳴り止む事は無かつた。