後輩書記とセンパイ会計、宙吊の妊婦に挑む

 開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が進めば怪奇伝承を語り継ぐ文化人にだってなるかもしれない。ふみちゃんは小学生時代、古典芸能の鬼婆を調べて『日本鬼婆ふるさとマップ』を作るほどの上級者だったらしい。一方、隣で準備運動をする一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの鬼婆知らずで、数学が得意な理屈屋で、長時間走ってもズレないスポーツ用眼鏡を新調したばかりだった。
 二月二十三日、校内マラソン大会の日だが、「妊婦さんの日」でもあるらしい。「にん(二)ぷ(二)さん(三)」の語呂合わせだとか。それはともかく今日のふみちゃんは髪をてっぺんで結び、あんこうの提灯みたいに立てていた。
「数井センパイ、違います。これは提灯じゃありません」
 なぜ言う前から通じたかというと、実は僕たちはすごいものを目の当たりにしていた。表彰用の台で巨大な魚が宙吊りにされているのだ。福島沖で獲れたあんこうだと言う。説明しているのは生徒会長の屋城世界さんだ。世界さんはすごい名前だが、一年中日焼けした健康優良男児だ。世界さんはゲストとして街の和食屋の板長・黒塚さんを紹介した。生まれは福島の猟師町だと言う。
 今年は世界さんの発案で福島のあんこう汁が配られることになった。実は職員室でも賛否両論あったらしい。なぜなら放射能汚染の水が流された海だからだ。
 生徒達も動揺の声を漏らしたが、世界さんは演説する。
「みんなの心配はわかる。だけど、それじゃあ、何十年後か後に福島の猟師はみな病に冒されているだろうか?」
 これは世界さんが先生達にも問うたことだ。
「俺たちと、福島の猟師は、災害地にたまたまいたかそうでなかったかの違いしかない。生きてる者は、生きてる物を大切に食べよう。卵も美味いぞ!」
 生徒達は納得したように黙り、宙吊りのあんこうを見る。卵のある雌らしい。黒塚さんは光輝く出刃包丁を持ち、吊るし切りを始めた。手際よく裁いていく。この後切り身を大鍋で煮込み、走り終えた人に配られるのだ。
 そろそろ一年生の出発時間だった。ふみちゃんの出番だ。僕は元気づけようとすると、ふみちゃんは不意に奇妙なことをつぶやいた。
「吊るし切りを、恐い顔のお婆さんが手伝ってますね」
 だが、壇上は黒塚さんと男性の板前の二人だけ。世界さんも台から下りている。恐い顔のお婆さんなど——どこにもいない。
 寒風のせい以上に背筋が寒くなるが、実は前にもこういう現象はあった。前触れなく起きるのだ。文系の女の子に見えて理系の僕には見えない何かがあるのか。あるとすれば探るしかない。
「ふみちゃん……ど、どんなお婆さんがいるの?」
「妊婦を吊るして生き肝を獲ったお婆さんです」
 そこから溢れ出す状況説明は驚異だった。昔、自分の娘が病に冒され、妊婦の胎内の胎児の生き胆が病気に効くという易者の言葉を信じ旅に出て、やがて福島の安達ヶ原に辿り着き、妊婦を捕えて宙吊りにし、包丁で腹を割き胎児の生き胆を抜き取った老婆がいた、と。しかし、殺した妊婦は自分を探して追ってきた娘だと気付き、発狂し、それ以来旅人を襲って胆を啜る鬼婆になり果てた——と。
 僕は絶句した。声すら出なかった。恐ろしい伝承を語るふみちゃんの瞳が潤んでいるようにも見えた。それが恐れなのか憐みなのか、僕にはわからない。
「……その後どうなったの?」
「鬼はともかく、人ならばいつか死にます。娘さんが祀られた寺を訪れた文人は、『涼しさや聞けば昔は鬼の家』と詠んだと言います」
 僕はふみちゃんの震える肩を撫でた。
 この伝承から得る教えは何か、見当もつかなかった。

 老婆の姿は吊るし切りの終了とともに消えたらしく、マラソンも終わり、僕とふみちゃんは朱塗りの盆で配られたあんこう汁を神妙な顔で啜った。
 卵に肝の味がしみている。みんな笑顔だったが、そんなふうには笑うことができなかった。