【ミルナ】(第六十七夜)

 梅雨の夜道、成海は俯きながら歩いていた。
じっとりと粘りつくような空気は、彼のうなじに珠のような汗が浮き上がらせるものの、足許を覗き込むその顔に血の気や熱は一切感じられず、蒼白だ。
 その理由はさきほど友人から聞いた、怪談の結び――「良いか、この話を聞いた帰り道、『それ』がいても気が付かぬ振りをしろ。もしも、『それ』と目が合ったら……、」
「なら、帰り際にそんな話をするな。」不満を漏らしながら成海が帰路を歩いていると、ふたつ先の街灯の下に、影がひとつ目に付いた。まさか、という思いとは裏腹に、背筋には悪寒と不安が走る。
 引き返すという考えが浮かんだ時には、ひとつ目の街灯の許を過ぎ、目の前にその影が迫っていた。影は動く気配を見せず、彼が近付いてくるのを待っている。兎に角、成海は俯いて『それ』と目を合わせないことだけを注意して歩んだ。
 一歩、一歩、歩を進めるたびに、ひとつ目の街灯の灯りが遠ざかり,徐々に新しい光が足許を射す。夕立で湿度が上がっているのに、気が付けば空気は冷え冷えとしている。
 歯の根が合わないのを懸命に堪えながら、漸う成海はその影の脇を抜けていく。
「良かった、」胸を撫で下ろし、彼が顔を上げようとした瞬間、
 ぴちゃっ。
 水溜りを踏み締めた。
 揺れる波紋。歪んでいた水面の世界がゆっくりと秩序を取り戻す。鏡写しになった彼の細い顔に、短い髪、そして耳の横に張り付いたように佇む『それ』――
「見たな、」