第2回 単純誤植

こんにちは。第二回目ということでここからは具体的な校正における注意点を話していければと思います。
早速ですが、今回のテーマは「単純誤植」です。ありきたりでいて且つ現代書物における最大の敵です。
電子機器によるフォローによって漢字は書くものから読めればいいものになりました。しかし、そのせいでとあるミスをする可能性が増えました。「同音異義語におけるミス」です。よくあるパターンをいくつか挙げます。

・原因となるのは「元」、誰かの所に行くのは「下or許」。
・例を挙げるのは「例える」、なぞらえるのであれば「喩える」、仮定の意の場合は「仮令」。
・姿かたちや動作がきちんとしているのは「端正」、顔立ちが美しく整っているのは「端整」。
・追い求めるのは「追求」、責任や欠点を問いただすことは「追及」。
・なめしていないのは「皮」、なめしたものは「革」。
・後方へ曲げるのは「反らす」、ベクトル変化は「逸らす」。
・物事の終わりは「最後」、死に際は「最期」。
・目に見える形や光源の反対側に出来るものは「影」、物に遮られて日光や風雨の当たらない所は「陰」。
・からだの構えや姿勢は「体勢」、ある物事や情勢に対してとる構えは「態勢」。
・関係していないのは「関わらず」、何々であるのにという意味では「拘らず」。

なんてことのないミスですが、見落とす可能性は否定できません。勢いで打ってしまった。変換候補にてキーを押し過ぎた。なんとなくそうしてしまった。自分で打ったものは間違って打つつもりがないから大丈夫だろうとの自身による見直しの曖昧さ。避け難い部分です。

また、同音異義語以外での単純誤植に「打ち過ぎ」もしくは「打ち損じ」があります。
これは、「その時彼はは席を立った」のように一字多い場合や、「空を見上げてみれば、雨が降ってきそだった」のような一字足りない場合です。見れば分かるのですが、思った以上に紛れてしまいがちです。間違えるという意味での打ち損じでは、「いくつか」と打とうとして「いつくか」と打ってしまうのもあり得ます。

あと、頭に疑問符が浮かぶような「誤変換」による単純誤植もあります。「心の支えに放ってやるべきだ(正しくは『心の支えにはなってやるべきだ』)」や、「掃出しながら(正しくは『吐き出しながら』)」というような。

もうないだろう、と思ってあるのがこの単純誤植です。
見つけるコツは、「同音異義語があるような言葉にぶつかったら一度立ち止まる」。「ひらがな部分で違和感を覚えたら間違いなく過不足があるので丁寧に読むというか文節ごとに見る」。「一見意味の分かりづらい文章があれば何となく読み飛ばすのではなく疑ってみるor前後の文脈から類推する」。これらを意識して見直すことです。難しいことはありません。しかし、こればかり注意しているワケにもいきませんし、語句を正しいと思って使っていたのならばそもそもミスとして引っかかりもしません。
 どこまで対策をしても十全とはいきませんが、それでも見直す際はこれらを念頭に入れて頂ければ幸いです。

次の記事

第3回 誤変換