第5回 差別用語

 第五回目は、「差別用語」についてです。これは、非常にデリケートな話です。

「差別用語」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。……そうです、恐らく今パッと浮かんだ単語群。それらは多分にして差別用語と言われるものでしょう。

定義としては、『特定の人・団体・性などを不当に低く扱ったり、見下したりする意味を含む言葉』(デジタル大辞泉)になります。

こちらの判断基準は何か、というとそれは「言われた人が不快感を覚えるかどうか」です。

たとえ自分にそんなつもりがなくとも、その人にとっては不快感を覚え、屈辱的な気持ちを味わわせてしまう言葉。それが、差別用語に当たります。
差別とは何か、という問いに踏み込むと帰ってこれない話題になりますので今回そこは論じません。
ここで言いたいのは、上記の言葉に分類される文言に対して如何に事前に警報を鳴らせるか、ということに尽きます。

著作物は、著作者のものです。その文言を一方的に否定することはどんな文脈、言葉遣いであっても出来ません。なので、校正者が出来るのは

「この表現は差別要素・侮蔑要素があると人によっては受け取られるかもしれませんが、よろしいでしょうか?」

という意の注意出しをすることです。校正者ではなくとも、著者として表現に気を遣うとしたらば、同じ観点が必要になってくるかと思います。

例えば、時代ものの小説。今は差別用語に当たるものであっても、その時代にはその言葉に代替するものがなくむしろ下手に言い換えると不自然なため仕方なしに分かった上で使う、などは表現の範疇に当たります。ダメかダメじゃないかではなく、あくまで表現であり現代に生きる人に対して否定的な意味合いで使っているのではない、と一言注釈を欄外または巻末に入れるという配慮があれば問題にならない場合もあります。

受け取り手にとって差別用語と受け取られてしまう言葉。
それでも文脈上、物語上、時代上、どうしても使いたい言葉。
そんなつもりでなくとも使ってしまった言葉。
そこに対して表現者が、表現を確認する人が、どう振る舞うか。この言葉は使ってはいけない、の先。いいえ、その前にある、ありとあらゆる読者への出来る範囲での配慮。それこそが大切だと思われます。

最後に。把握しきれないためここでは具体例を羅列することはしませんでしたが、気になる方は是非ネットでいいので「差別用語」で調べてみて下さい。「えっ、これもなの?」という言葉が良くも悪くも出てきます。考えるという意味では目を通すだけでも有意義かと思われます。

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