匣と匠と匣の部屋-wir-


ひとりとひとりが暮らしても、どうせ、寂しいままでしょうけれど――」

白い方形の石が埋める開かれた部屋
その隙間を補填するように存在するひとりの子ども

冬と秋とを繰り返し
「彼ら」が暮らす丘の家

『匣と匠と匣の部屋-wir-』

この部屋に、冬がまた来る。

 ※(サイトより著者の許可を得て転用しています)

 不思議な余韻だ。ラスト、それまでゆるやかなトーンで沈みゆこうとしていた物語が力を振り絞って飛ぶところで終わるのに、ホワイトアウトした視界と音の消えた世界が広がってふっと静寂へ戻り、意識が現実へ戻ってくる。短めの無声映画を見たような気分だ。

 白い部屋、石、埋もれるように暮らす匣という子供、匣を世話する青年・匠。単調な日々は「動かさぬことが最も偉大なこと」という言葉をふと思い出す静穏さに満ちていて、本を読み、食事をとり、淡々とした会話が続いていく前半、それは確かに世間の規整枠からははみ出しているのに不思議とぬくい居心地の良さがある。匠の作るにんじんとチーズの入ったシチューがおいしそうだからかもしれない。

 匣と匠の関係性は明示されていないが、少なくとも近い血縁ではないらしい。しかしそれは些細なことであるとするり、通り過ぎていく。その淡色の光景に時々混じり込む、世間の常識の具現。
 それは確かに正しく、また好意と善意に満ちているのに特に前半、匣の抱く違和感に我々は容易く同調してしまう。常識も規範も善意でさえも、社会という雑多でとめどない網にこそ必要な要素であって、閉じて完結している箱の中では必要がないのだと感じてしまうのだ。

 どこかで時間が止まっている匣の頑なで硬質な空気を窓の外の「あの子(”きみ”)」が多少騒々しく押しつけるように壊そうとするものの、たわみもせず拒否し、けれど「あの子(”きみ”)」のことを拒絶しているわけでもない匣の友情と言うには淡い絡まり。物語途中、世界から剥落していく匠と匣の間にある空気の層。二人は孤独と仲が良い。後半行き違う二人の間の感情も、爆発するのではなくて波立ちぶつかり合いながらも根底の絆がゆらがないのは孤独で均衡を取っているからだと思う。

 物語の全体像は淡くぼやけて焦点を結びそうで結ばない。
 けれどまぁ、それもいいじゃないか。

 ここにあるのはきっと、融和の中の孤独なのだから。


発行:rg
判型:文庫 122P 
頒布価格:500円
サイト:高村暦々帖

レビュワー:小泉哉女

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