ぺんぎんは時をかける
―あなたは誰かからもらった手紙を読んで思わず涙したことはありますか。
今時どこででもインターネットが使えるわけですから、わざわざペンを持つことなんて重要な書類くらいです。手間をかけて書く必要はもうないのかもしれません。
つまらない前置きをしてしまいましたね。そう言っておきながら十五年前まで文通をしていました。未だに当時のことを鮮明に思い出せるのはきっと、手紙が手元に残っているからです。当時より少し色あせて黄ばんだ数枚の便箋に、世界のすべてが詰まっています。
どうか聞いてはくれませんか。
高校受験を間近に控えた初夏。うだるような暑さに反比例して、空は澄み渡ったサイダーの青さだった。中学三年生は夏休みも模試や講習で忙しい。この長期休みにある意味絶対的な差が生まれる。わたしは青春よりも受験勉強を、選んだ。
周りの人たちはあまりそういうタイプではなかったからゲーセンに行こうとかカラオケに行こうとか、それらを申し訳なく断っているうちに誰も誘ってこなくなった。がり勉だとかいい子ぶってるとかクラスを牛耳っている女子グループに陰口を言われているみたい、と唯一話している友人に言われた。そんな友人もわたしといるとからかわれるらしく、いつの間にか別のグループでお弁当を食べて笑っていた。
塾と自宅を行き来する生活が始まった。正直この生活サイクルは気楽だ。もともと学校が好き、ではなかったし知らぬところで自分の悪口を言われていると口伝えで聞くのもしんどかったから。受験が近づくほどこの中学校に通う日数も減っていくのだ。だから、だからあともう少し。あともう少し頑張れば。
土曜日は塾の夏期講習が午前中で終わる。平日は朝から夕方まで勉強付けになるから、土曜は少し気分がいい。塾は自宅から自転車で三十分ほどの距離。同じ中学の人が多く通う近くの塾をわざわざ避けて両親に頼みこんだ。夜とは全く違って建物が鮮やかで、住宅街をしばらく走って大通りに出る。その角には小さな郵便局。普段はただ通り過ぎるだけのその建物のチラシに目を奪われた。
「夏の思い出に、あなたの言葉を遠くへ届けませんか」
遠くへ―
わたしはその言葉を呪文のように反芻した。
気が付くとわたしはからん、と扉を開けて中に入っていた。窓口は二つあるだけの小さな郵便局で、一つの窓口には局員のおばあさんが眠そうに座っていた。
わたしは中を一通り見まわすと外に貼ってあったチラシを見つけた。しばらく眺めていると、窓口のおばあさんが声をかけてきた。
「そのサービスはうちの郵便局がこっそりやっているのよ、説明しましょうか?」
「あっ…えっと、お願いします!」
局員のおばあさんは棚から書類の詰まったフォルダを持ってきてわたしは静かに窓口へ座る。
「ここには遠くの見知らぬ人へ手紙を届ける文通サービスに登録した方の名簿なの」
説明を聞くにこの文通サービスを利用するにあたってペンネームを登録する必要があるらしい。登録した人は名簿から手紙を送りたい人を選び、その人宛てに書く。そうして匿名のまま手紙のやり取りができるサービスだった。本名と住所は郵便局が管理しているのできちんと届く。わたしはすぐさま登録した。
ペンネームを決めて送りたい人を名簿から探す。とはいっても直感で選ぶしかない。家に帰り勉強を置いてルーズリーフにペンを走らせる。
『はじめまして。わたしはぺんぎんといいます。あなたの名前もぺんぎんだったので何となく送ろうと思いました』
ここまで書いてみてわざわざ名乗ることは変じゃないかとか、何となくは失礼かもと消しゴムで消した。ペンネームが同じだったからという理由を話す必要はないのかもしれない。わたしは動物の中で一番ぺんぎんが好きで決めたけれど、この人もそうであるとは限らない。手紙を書くのはこんなに難しかっただろうか。すぐ書いてしまうつもりが結局一時間ほど悩んでしまった。
『はじめまして、わたしはぺんぎんといいます。動物の中でペンギンが一番好きで選んだのですがあなたはどうでしょうか。あなたも動物が好きだったりするのでしょうか。はじめはこのくらいで終わります。お返事お待ちしています』
手紙を郵便局に渡した後、一週間ほど待った。勉強に打ち込んでいるとあっという間だった。家のポストに自分宛の手紙が入っているのを見て、思わず口角が上がった。
『ぺんぎんさん初めまして。同じ名前で少し微笑んでしまいました。私も実は動物の中でペンギンが一番好きなのです。小さい頃は水族館の小さなプールを悠々と泳ぐ姿に魅せられました。あんな風に泳ぎたいな、と小さいながらに思ったものです。もう四半世紀前のことです、自分でも今驚いています。人生はあっという間に過ぎるものですね。お返事お待ちしていますね』
四半世紀ということはこの人はわたしよりもうんと長く生きている。歳が近くないと知ると、少し緊張してしまった。でもそれはなぜだか心地よかった。
『わたしも水族館がすきでペンギンの泳ぐ姿を見てこの生き物になりたいなと思っていました。鳥なのに空じゃなく海で生きるのがとってもおかしくて。なんというか自分で生きる道を選んだのかなってちょっとうらやましく思います。鳥は飛ぶものなのに、です。まだわたしは中学三年生ですが、自分の道は自分で歩きたいなとか思えちゃいます。あ、長くなってすみません。お返事おまちしています』
『あら、あなたは中学生だったのですね。そんな歳から自分の道を考えるだなんて本当に偉いね。私はどうだったかしら。小さな時のことはもう思い出せないわね…ふふ。受験は大変でしょう?辛いことがあれば何でも言ってね。ではこれにて』
夏休みも半分が過ぎた。勉強に打ち込んでいたらあっという間に過ぎた気がした。それとも文通のおかげなのか。毎朝ポストを覗くことから始まって次に来る返事を想定する。そしてその返事をどうしようか頭の中で考える。それが私の中での当たり前になっていた。
『実はあまり学校に馴染めていなくて…勉強していると周りを見なくて済むので楽です。その、ぺんぎんさんは中学の頃クラスに馴染めていましたか?この夏休みは勉強に打ち込んでいます。でもそれがあまりよく思われていなくて。受験の悩みではなくてごめんなさい。あと少し乗り越えるためのアドバイスをもらえたら嬉しいです』
仲のいい友人にも両親にも言えない。でもこの人ならわたしを分かってくれる気がする。もしかしたら愛想をつかされるかもしれない。ポストに投函した後しばらく心臓の音がうるさかった。悩みを打ち明けるのは勇気のいることだ、いくら仲のいい友人にだって距離を置かれてしまうことがあるのだから。
ポストを覗いて手紙を確認する。今日もわたし宛のものは入っていなかった。
いつもなら送ってから一週間ほどで返事が来る。でも今日で二週間だ。
夏休みはいつの間にか終わってしまって学校が始まった。久しぶりのクラスは賑やかだった。家族と旅行に行ったとか友人と近所の花火大会を見に行って楽しかったねとか。みんなきらきらした思い出をぶら下げてやってきていた。
「ちーちゃん久しぶり」前まで仲良くしていたクラスメイトが私のそばに来た。
「あのねこれ、同じクラスのさきちゃんとめいちゃんと街に行ってきてね、ちーちゃんのおみやげに買ってきたんだけど…」クラスメイトはキーホルダーを見せた。
わたしは顔が真っ赤になった。
「そんなのいらない」
「え…でもちーちゃんこのぷんたくんのキーホルダーほしいって言って―」
「わたしが陰口言われてた時助けてくれなかったくせに、お弁当も一緒に食べてくれなかったのに、わたしなんていなくても楽しんでるじゃん」
わたしははっとして友人の顔を見た。友人はわたしを見て肩を震わせた。キーホルダーをわたしの机に置くと泣きながらさきちゃんとめいちゃんの元へ戻った。
あんまりだ。みんな何も悪くないのに。わたしがいなくても友人は楽しいんだって。そしてわたしは誘われなかった。誘われていたら行ったのに。いや、あんまりなのはわたしの性格だ。お土産を買ってきてくれた友人にどれだけ酷いことを言ってしまったのだろう。最悪だ、わたしは最悪な人間だ。
気が付くと部屋から出られなくなっていた。幸い勉強は自分でもできるし塾に行けばなんとかなる。ぷんたのキーホルダーは机の引き出しに眠ったまま。
三週間ほどたって手紙が来た。いつもよりうんと厚みがあって、それだけでたくさんかいてあるんだなと分かった。
『遅くなってしまいました。もう夏休みは終わってしまったでしょうか。あなたにどうお返事をしたらいいのか悩んでいるうちに時間がたってしまって。一つだけあなたにアドバイスです。私も中学の頃は一人でした。唯一仲良くしていた友達がいて、夏休み明けにお土産をくれたのだけど私はそれを要らないと言ってしまって。それから学校へ行けなくなって。結局私はそのまま高校にも行けずに社会人にもなれずに、ずっと病院にいます。あの時ちゃんと友達に本当のことを言えばよかったと、ほんとうは嬉しかったし今度は私も一緒に行きたいとその一言を言えなかったの。ずっとずっと呪いのように私を苦しめている。もう一人のぺんぎんさんには後悔してほしくない。だから何でもいいから仲直りしてほしい。私からあなたへの最後のお返事です』
わたしは涙が止まらなかった。夜通し手紙を握りしめて泣いた。
そしてこれ以来もう一人のぺんぎんさんと文通をすることはなかった。
あれから私は友人と仲直りをした。友人はやさしく微笑んで抱きしめてくれた。そして社会人になった今も時々会って食事をする。時々もう一人のぺんぎんさんを思い出す。あの手紙がなければきっとわたしは学校に行けないままだったと思う。
私を救ってくれたあの人は今どうしているのだろうか。それを知る手立てはもう、ない。
サークル情報
サークル名:葉づつみ文庫
執筆者名:滝みゅぅ
URL(Twitter):@__myu_t
一言アピール
不条理な世界に生きる人たちの不思議でディストピアなお話を書いています。
テキレボは初参加なのでどきどきです。
新刊「りんごは木から落ちない」の小説、イラスト集、写真集など幅広く作っています。
実はペンギンよりフクロウがすきです。

