ニンジンサラダを和えれば
仕事の時よりも少しだけ遅く起き、洗濯物を洗濯機へ投げ込んだ後、一人で朝食を食べる。平日休みの智と違い、土日祝日休みの同居人は朝が早いので、智だけ休みの時は朝食を食べずに家を出るためだ。
テレビを眺めながら食べ終えると、ちょうどよく洗濯機の呼び出し音が鳴る。まだ眠たいのか、智は時折目をこすりながらベランダに出る。持って来た洗濯カゴから適当に干し始めるが、ふと、同居人と暮らし始めた頃に干し方でもめたことを思い出し、くしゃくしゃのまま干していたタオルを再度伸ばしてから干した。
「どーでもいいことには細かい奴なんだよな……」
誰に言うでもなくひとりごちながら全て干し終え、部屋に戻る。今度はこれまた適当な、悪く言えば雑な手つきで掃除機をかけはじめた。
(ま、どうせきっとあいつが週末に綺麗にやってくれるし……)
智は炊事以外の家事はあまり得意ではない。他人に料理が好きだと話すと、見た目が中性的であるのも相まって家事全般が得意だと思われるのだが、興味があるのは衣・食・住の「食」だけだ。洗濯・掃除・片付けは、極力最低限、自分が本当に困らない程度でしかやりたくない。
しかし、同居人は智とは逆で、衣と住には少しだけこだわりがあるらしかった。平日でも気づいた時には、ガタイのいい体を縮めて小さな粘着式クリーナーでカーペットを掃除し、一日の終わりには洗面台を必ず掃除する。服の干し方やしまい方、インテリアにも気を配る。
その代わり、同居人は料理をすることは苦手のようだった。当然、生活を共にしているので、彼が料理を担当することもあるのだが、智から見れば正直な所、段取りも悪く、その癖やたら凝った料理を作りたがるので、無駄に食材を買ってくることもある。その結果、相手のプライドを傷つけないように手伝ったり、残った食材を、料理本とネットのレシピ検索を駆使して使い切ったりと、見えない努力を智はすることになる。
先週の週末も「本格的な麻婆豆腐を作る!」と息巻いて調味料を買ってきたはいいが、
(あー、その前に、桃とモッツァレラのサラダの時に買った白ワインビネガーをどうにかしないと……)
そんなことを考えているうちに、智は掃除機を持つ手がだるくなってきた、というなんとも怠惰な理由で掃除機をかけるのを終わらせた。そして、いそいそとエプロンを着こんでキッチンに立つと、今まで眠たげだった目に活力が宿った。
「ビビンバ丼作った時に残った卵白を、フィナンシェにしちゃおう」
数日前、卵黄だけビビンバ丼に使い、卵白だけ残ってしまったのだった。こういう時に残ってしまった卵白は、お菓子にしてしまうのが材料にも人間にも幸せだと智は思っている。
キッチンの戸棚から薄力粉・アーモンドプードル・グラニュー糖を出す。冷蔵庫からとっておきの発酵バターと保存容器に入った卵白を出した。
今度は、別の棚からボウルと泡だて器、計り、フィナンシェのシリコン型を出し、道具を一式そろえた。
スマートフォンをスタンドに立て、お気に入りのネットラジオアプリを起動させる。軽快な音楽が流れだすと、智は鼻歌を歌いながら材料を計量し始めた。計量を終え、その中からバターを手に取ると、小鍋に入れる。
(フィナンシェのいい所は、この焦がしバターだよなあ)
火にかけると、バターはとろりと溶けはじめ、発酵バター特有のほんのりとした酸味を感じる香りが立ち込める。智は香りを十分堪能しながらも、火加減とバターの様子には気を配るのを忘れない。
そのうちに、たんぱく質が焦げはじめ、茶色の沈殿物が出来始める。この焦げた沈殿物が、フィナンシェの旨味を決める要素だ。
火からおろし、木べらでかき混ぜる。頃合いを見計らい、水を張ったボウルで鍋底を冷やした。
(良いフィナンシェが出来そうだ)
焦がしバターの出来に満足した智は、材料をボウルに順番に入れ、フィナンシェ生地を作り始めた。
「白ワインビネガー サラダ、検索……っと」
生地を休ませる間、今度は白ワインビネガーを使う料理を作る事にした。スマートフォンでいつも見ているレシピサイトのページを開き、とりあえず検索バーに単語を打ち込んだ。
白ワインビネガーは名前の通り、ワインを使って作られるフルーティな味の酢のことだ。初夏に桃とモッツァレラチーズのサラダを作った時に買ったのだが、いつものサラダの時はドレッシングを使ってしまうし、普段の料理にはもともと常備してある穀物酢を使うので、どうしても使う機会が少なかったのだ。
野菜室を見ると、半端に残っていたニンジンが目についた。
「絞り込み検索、にんじん……」
すると、検索候補に「にんじん和えサラダ」というものが出てきた。ちょうど今夜はポトフにするつもりだった智は、副菜が欲しいと思っていた。レシピページを開き、そのままスタンドへ戻す。ざっと作り方と分量を読んだあと、千切りスライサーとボウルを出した。
皮をむいたにんじんを、千切りスライサーでひたすらスライスする。
(なかなかどうして、気持ちが無になる作業だな)
まるまる一本と、半端に残っていた端っこを全てスライスしたあと、塩、コショウを振りかけ、オリーブオイルと白ワインビネガーを分量通りに入れて、菜箸で和えた。
試しに少しだけつまんで味見をしてみる。作りたてだからまだしっかりと味はしみていないが、さっぱりとした酸味と、生のにんじんの歯ごたえが良く、いくらでも食べられそうな味だった。
(いつもこういう和え物って、適当に調味料入れるから失敗するんだな。今度からちゃんと分量通りにやろう……)
料理ができる自覚はあるが、決していつもきちんと美味しいものが作れる訳でもない。智が作れるのはあくまで、家庭料理の域を出ないものばかりだ。菓子作りは、若いころに専門学校に通い、かつてほんの短い期間ではあるが、洋菓子店にパティシエとして勤務した経験もあるからそれなりのものができる。調理に関しては学生時代でも「さわり」しかやらなかった。
出来上がったサラダを保存容器に詰め、冷蔵庫へ入れる。レシピによれば、きちんと保存すれば一週間は持つらしい。しばらく副菜に悩むことはなさそうだ、と智は思った。
後片付けをして、フィナンシェの焼成のためにオーブンを予熱し、簡単に昼食を済ませた後。
フィナンシェ生地をシリコン型に入れて焼き上げる。その間にポトフを用意(といっても、コンソメ顆粒とベーコン、ソーセージ、適当な野菜を入れただけの、ものすごく簡単なものである)し、火にかけたあたりでちょうどフィナンシェが焼きあがった。
熱いうちに型から取りだし、網に乗せて粗熱を取る。香ばしく焼きあがったフィナンシェからは、甘く濃厚な焦がしバターの香りが漂ってくる。だからといって、今食べてもあまり美味しくは感じないだろう。焼き菓子は、時間が経った方が味のなじみが良く、美味しくなるのだ。食べごろは早くても明日のおやつ時だ。
軽く後片付けをした後、焼きあがった大量のフィナンシェを眺めながら、智は考えを巡らせた。
(……
最近激務が続いている、甘いものには目のない同居人の事を思い出しながら、智は一つ一つを丁寧にラップで包む。
(これで少しでも、あいつの疲れがとれますように……なんてな)
フィナンシェの甘い香り、ポトフの優しい匂い、にんじん和えサラダの爽やかさ。
どれもこれも、世界で一番いとおしい同居人と日々を豊かにするために必要なものだった。
そんな気持ちと共に、智は今日も休日をキッチンで過ごしている。
サークル名:またまたご冗談を!(URL)
執筆者名:服部匠一言アピール
主に90年代風特撮・変身系ヒロイン・戦闘少女ジュブナイル・食べ物をモチーフにした話が多い創作小説サークルです。料理をする優男や昼行燈なオッサン、何かを守るために戦う女の子をよく書きます。今回の話はお菓子と料理をテーマにしたブロマンズ・BL新刊の料理系優男×単純BLカップル話の番外編です。
とてもよいホモでした。ほんわかおいしかったです。ごちそうさまでした。