祭りも毎日繰り返せば日常になるんだよね、と彼女は言った

 戦いの中に身を置くのは好きだ。全身の血が湧き上がるような、原始的な祭りの中にいるような高揚感は、麻薬のようにリサの生命をむしばむ。分かっていても止められないところが、まさしく麻薬的なのだと思っている。
 中央省庁区。貴族街とは光王庁を挟んで反対側にある商業地区は様々な階級と人種の人々が入り交じる混沌とした場所だった。特に『壁』の向こう側――光王庁と光王親衛隊の支配の及ばない無法地帯のマーケットは、安全基準もへったくれもない雑多な建築物がびっしりと建ち並んでいて、神経質なほど整理された光王庁内部とはまるで別世界だ。インフラが行き届いていないからと違法に燃やされた木材の煙で、うっすらと霧がかかったように建物の輪郭が霞んでいる。
 その別世界の中の十五階建てのビルの屋上の縁に、リサは立っていた。すぐ側の空中には、水で出来た乙女の姿が浮かび上がっている。リサがコミュニケーションを取りやすいように、わざわざ本来は存在しない姿形を幻として投影してくれているリサの守護神――フィーネの姿だ。うす曇りに星屑をぶちまけたような眼下の明かりを見下ろしながら、彼女は唇の端を歪めた。
「どうよフィーネ、見える?」
『本物の星空』さえかすませてしまう程の光の隙間に目を凝らしながら、軽い口調で問いかける。
「三時の方向に六体。連携している模様です」
 言われてビルの右下へ視線をやった。ビルの正面は世界中の繁華街から集めてきたような、雑多で色も言語も様々なネオンが悪夢のようにひしめき合う狭苦しい路地だ。肩をぶつけながら通りを行き交う人の群れにも、国籍不明のネオンの看板と同じくらい統一感はない。ただ一つ共通点があるとしたら、それは全員が堅気ではないということくらいだろう。
 そんな賑やかでけばけばしい通りから一つ脇道に入ると、そこには街が建築された頃から居座っているような拭いがたい闇がわだかまっている。その闇の中に、探している気配があった。
「知性はあるけど魔力は大したことない。楽勝ですよねー」
 剣を抜きつつ軽く肩を回すリサの耳に、聞こえよがしなため息が飛び込んでくる。
「油断は禁物です、マスター」
「カイ君みたいなこと言っちゃって~」
 ここにはいない生真面目な幼馴染を茶化す軽口をたたきながらも、リサは慎重に結界を張るための魔術式を組み立てていく。人払いと魔力感知妨害、天魔の封じ込め――複雑な魔術だけれど、基礎は聖騎士団が完成させてくれていたし今は頼れる相棒がリサの適当な魔術式をきちんと解釈してくれる。だからまあ多少適当でも何とかなりはするのだが、それでもできる限り正確に構築しておいた方が精度もスピードも上がるのは間違いない。
「準備よーし!」
 剣を構えながら小さくそう言うと、フィーネもすうっと薄い水の膜を張るように戦意をまとった。
「さぁーて、お祭りの始まり始まり、ってね」
 冗談めかした口調で軽く呟くと同時に、リサは手すりのないビルの縁から予備動作もなく飛び降りる。重力の中心へ吸い込まれていく加速の高揚感に淡い笑みを浮かべながら、先ほど構築していた結界魔術を発動させる。地上から立ち上ってきていた怒声や車の排気音で構成された雑音がふっと消え、代わりに無数のモニターが明かり一つない路地に浮かび上がる。拾い上げるのは違法放送に乗って送り出される地下アイドルのライブ風景。陽気な四拍子の爆音が響き渡るけれど、すぐ隣の通りを歩く人の群れは誰もこちらを見ない。彼らには聞こえていないのだ。

   ねえダーリン あたしのこと
   君はつかまえてくれないのかしら?

 歌詞の意味などまるで理解していないような明るい調子で、地下アイドルは歌い上げる。リサは重力制御の魔術で落下の勢いを止め、ふわりと路地裏に着地した。どぶくさい暗がりには、錆びた空き缶や何に使うのかもはや見当もつかない謎の部品やぼろ布やその他雑多な廃品が散らばっている。その風霊戦争直後の滅亡を思わせる風景を、モニターに映ったライブ会場の眩い明かりがくっきりと照らし出す。
 光にあぶり出されるように、闇の中に身を潜めていた異形の化物たちが首をもたげた。
「こうなっちゃったらもう逃げも隠れも出来ませんよ~。覚悟は良いかな諸君!」
 結界の中に封じ込められた天魔たちに、その言葉が通じるわけなどもちろんない。未だこちらに気付いていない間抜けも含めて全部一度に一掃してやろうという傲慢な宣言に過ぎない。
 そしてリサは宣言通りに殲滅を開始した。
 魔術で歪められた世界律が、空気中の水を、酸素と水素を集めて水の刃に変える。それは音速を超えるスピードで天魔に襲いかかり、四肢を切断し胴体すら両断する。そして吹き出した体液に含まれる水分を新たな武器に変えて次の獲物に襲いかかっていく。
 えげつない、とかつての同僚に言われたことすらある魔術。生体魔力の制御下を離れれば――つまり体液の主から離れてしまえば、それはもう魔術で操れる通常の水と同じになる。H2Oである必要すらない。液体でさえあれば良い。
 世界がありようを変えても、リサが操る魔術は変わらない。何も変わらない。薄い笑みを唇の端に浮かべながら剣と魔術を操るリサの動きを、モニターから漏れ出すライブの照明が明滅しながら照らし出す。

   手を伸ばせば一瞬
   はじけるのよときめき この世界は

 ご機嫌なリズムとメロディは、戦場の風景に似合うはずもないのに戦いのテンポを煽っていく。
 自分が人間であろうとなかろうと、戦える限りは戦い続けるだけだ。それは物心ついたときからリサが自然と受け入れていた自分の生き方で、今さら変えられない自らの本質だった。戦うためだけに生きている。戦えなくなったときが死ぬときだ。

 ただ明るくノリが良いだけのアイドルソングが一曲終わる頃に、天魔の小さな群れは駆逐された。リサは剣に付着した天魔の体液を魔術で払い、ふっと息をついてから携帯端末を胸元から取り出す。依頼を受けていた天魔の群れの構成は、今リサが排除したもので全てだ。それを確認してから、戦場を囲んでいた結界を解除する。歌い終わった歌手を紹介するアナウンサーの声がぶつりと途切れて、闇が戻ってきた路地裏には血なまぐさい沈黙が充ち満ちた。
 まとわりつく死臭は気にも止めず、リサは携帯端末を胸元にしまおうとして、ふと動きを止めた。画面に表示されている平面画像は、なぜかときどき見たくなってしまうので呼び出すのが面倒になって待ち受けに設定したものだ。
 リサが生きる戦場にはまるで似つかわしくないもの。ごく普通の少女がウェディングドレスをまとい、夫になる予定の聖騎士団団長ともども聖騎士の面々に囲まれている写真。聖騎士たちが集まって写真を撮ったことなんてあのとき一度きりだった。緊張した面持ちの少女を中心に、楽しげだったり不満げだったり仏頂面だったり、それぞれがそれぞれらしい表情を浮かべて立っている。かつて聖騎士だったリサもその写真の中にいるのだけれど、なんだかまるで赤の他人を見ているようだ。
 眺めるたびに、リサはいつもどこか不思議な気分になる。その気分につける名前をリサは知らないので思考はそこで停止してしまうのだが、それでもなんとなく習慣のように眺めてしまう。
(カイ君もいれば良かったのに)
 微笑を浮かべながら、ここにはいない相手をからかうようにそう考える。その場にいなかったメンバーの顔写真はしっかり左上の丸窓に合成されているけれど、それでもとても残念だ。その次の機会には、今度はリサもカイもいなかったから。
 リサと同じく『その次の機会』に居合わせなかったカイが、今何を思いどこで何をしているのか、リサは知らない。いや、本当はリサだけはその風景を遠くから見ていた。団長を務めていたジュリアンはもしかしたら気付いていたかもしれないけれど。
 遠くから見る絵画のように幸せな風景に満足して、リサは挨拶もせずにその場を去った。幸せで満たされる感覚。それがまったくわからないわけではない。ないとは思う。
 思いはするけれど、でも結局わかっていないのかもしれない。どう考えたって、そもそもまるで現実感がないのだ。平凡で平穏な生活。そんなものはリサの現実には存在しない。
「リサ」
 最近やっと呼び捨てにしてくれるようになったフィーネが低く呟く。
「新手です」
「うっそ、まだいたの?」
 これで終わりだと思ったのに、とリサは不満を漏らすけれど、もちろん本気ではない。天魔に関する情報の不確かさは聖騎士団時代から痛感していた。
「フランシスの馬鹿ッタレにクレーム入れとかなきゃ」
 リサも所属している賞金稼ぎギルドにこっそり情報を流している聖騎士団のトップの顔を思い浮かべて、リサは人の悪い笑みを浮かべた。
 技術による聖騎士団のネットワークも、人同士のつながりによって構築されている賞金稼ぎギルドの情報網も、どちらも同じくらい完璧ではない。それでも最近は、聖騎士団からの情報がかなりスムーズに賞金稼ぎギルドにも流れてきている方だ。存在自体が違法な賞金稼ぎたちを抱えるギルドと協力体制を敷くことは、ジュリアンにすら難しかったのだが、現団長であるフランシスはどうもそちらの方面への才能が前任者よりあるらしい。どうやって顔を繋いで光王庁のお偉方を説得したのやら、リサにはさっぱり想像もつかない。
「では後ほど私の方から伝えておきます」
「よろしくぅ」
 おそらく冗談だろうフィーネの言葉に冗談めかして半分本気の言葉を返し、リサはもう一度『お祭り』に向けて気分を切り替える。
 リサの『お祭り』は終わることがない。たとえこの夜を越えたとしても。
 それだってある意味、変わらない日常ではあるのかもしれない。
 その思いつきに微笑しながら、リサは天魔を迎え撃つために再び魔術の構築を始めた。


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サークル名:雨の庭(URL
執筆者名:深海いわし

一言アピール
今回テキレボで一巻が頒布されているはずの両片思いSF恋愛ファンタジー「真昼の月の物語」に登場するリサという脇役のお話です。ただアイドルソングに乗せた戦闘シーンが書きたかっただけとも言う……。本編はもっとほのぼのしているはずですので、よかったらぜひ手に取ってみてください!

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