かもしびと

 ツノある者が笑いかけてきた。
 霜月もあと十日で終わるという日曜のことだ。それはとても晴れた日で、セーターの上にチェスターコートの出で立ちでは、汗ばむほどだった。
 普段は乗らない方面の黄色い電車に揺られ、駅から十五分ほど歩く。道すがら、にこにこと頬を染めて帰途につく一行とすれ違う。すでに早い時間から楽しんでいたのだろう。
 郊外の住宅地に現れた会場は、人で溢れていた。
 年に一度、酒蔵が敷地内で催す祭りである。
 しぼりたての新酒が振る舞われ、広くは出回らない限定酒の試し飲みに呑兵衛が列をなす。
 近所の飲食店が機器を持ち込んで、様々な肴を提供している。削り落される生ハムのこん棒やラクレットチーズ、湯気を立てるのは煮詰まったもつ煮やふかしたての芋、牛串や燻製がよい匂いの煙を漂わせる。
 段高く組まれたステージでは、インディーズバンドが客を巻き込んだパフォーマンスで盛り上がっている。聞いたことのない曲にも手拍子や掛け声が威勢よく入った。
 それ以外の屋外スペースは、テーブルとイスが所狭しと置かれているが、数は全く足りていない。交代で手に入れた焼そばと巻きピザをシェアするカップル、持ち寄ったタッパーを並べるグループ、老いも若きも相席を気にせずに詰めて座り、さらに溢れて壁に沿い、コップを置く場所もなく立ち飲みをする。アイスクリームを危うげに持つ童が、親を探して足元をすり抜けていった。
 蔵の紋を染め抜いた法被の男に促されるまま軒下に並び、小さなクリアカップに生酒を注いでもらった。
 建屋のわずかな隙間に身を寄せ、少しずつ口に含んだ。太陽の下、喧噪の中の酒は、独りの晩酌とは違った趣がある。遠方から来たという老夫婦と世間話をし、ソーセージや漬物をつまみに、銘柄の違う四種の聞き酒を楽しんだ。酔い覚ましの仕込み水はタンクから自分で汲み、いくらでも飲めるようになっている。
 手洗いを済ませて、土産に何を持ち帰ろうかと直販テントを目指していた時だ。
 枡を持った男とすれ違った。
 紺の前掛け姿で、いかにも祭りに駆り出された蔵人然としているが、何か違和感があった。その枡が木ではなく透明であり、陽の光に煌めいたので気になったのかもしれない。
 後を追うと、すぐに男が振り返った。
「なにかございましたか」
 きょとんとした丸い目と日焼けした鼻先、まだ二十歳ほどか。
「あ、いや、その枡、ここで買えるのかなと」
「ああ、これは残念ながら売り物ではないのです」
 ご覧になるだけならと、手渡されたそれは、形こそ四角い枡だが、わずかに黄色がかった樹脂でできており、透かし彫りのような刻印は、この蔵の銘柄ではなかった。
「新酒は召し上がりましたか」
「いくつか。難しいことはわかりませんが、すっと入ってくるのに後から甘みもしっかりして、好きな味です」
 枡を返しても、なんとなく別れにくかった理由は、すぐに悟られてしまった。
「見えますか」
「はい」
 焦げ茶髪の頭を指さすので、是と答えた。額から後ろへと伸びた黒い二本のツノのことであれば、見える。
「まだ飲めますかな」
「もう少しだけなら」
 蔵人の青年は、微笑んで手招きをした。

 部外者が立ち入れない扉を二つ抜けると、駐車場のような開けた所に出て、ざわめきは遠くのものとなった。赤く色づいたいろは紅葉、その木の下に箱椅子が二つ。促されてその一つに腰掛けた。
「私はここの人間ではないのですよ、ご厄介になって勉強させていただいてる身で」
 手品のように取り出された濃緑の瓶が傾き、枡を満たした。
「郷の酒です。どうぞ」
 香りを嗅ぐ。舐めるように舌に乗せる。二口目はもう少し多く口内に広がるように飲む。
「いい味ですね」
「こちらの蔵とはまた違うでしょう」
 庵を想起した。山あいに静かにたたずむ草庵、開け放たれた先の庭には野の花が風に揺れている。畳の上の文机には書きかけの和紙と筆の置かれた硯。そんな情景の広がる酒。
 先刻、新酒の味について人並なことを言おうとしてみたが、正直なところ自分は酒について、こういう的外れな感想しか言えんのですと白状した。通ぶりたいわけではない。奇妙だと笑われることを恐れ、普段は「美味い」「合わない」のみで評することにしている。だが、このツノある青年になら、かまわないような気がしたのだ。
「庵を感じましたか、なるほど」
 馬鹿にするどころか、嬉しそうな顔をするので、照れくさくなって話題を変えた。
「どちらの生まれですか」
「A県です」
 交通の便悪く、野生の残る山里の様子を聞きながら、頭のツノを見るともなしに見た。枝分かれなく先に行くほど細く尖るそれは、鬼の証なのだろうと思った。
「あ、チャコ、チャコや」
 通りすがりの三毛猫は、青年に呼ばれると一鳴きしてこちらにやってきた。甘い声を出してズボンに体を擦り付けると、前掛けの膝に上り、足を畳んだ。
「初対面の方にこんな話をすべきではないのですが」
「ご相伴にあずかりましたし、聞きましょう」
 少し常温に置いた枡酒はまた味が変わった。

 それは鬼に友人ができた話だった。
 酒造りを学ぶために、上京してしばらくした頃、ひょんなきっかけでヨウという女と知り合った。同い年のせいか共通の話題には事欠かず、買い物に付き合ってみれば、服や身につける小物の趣味が似ていた。帽子屋に入った時など、手に取る帽子、手に取る帽子すべてが示し合わせたように一緒だったので、愉快になって揃いで買ったほどだ。(たまにあなたのように見える方がいるので街中で被るのですよと片目をつぶる)
 ヨウは鬼のするどんな話にも感心し、否定することはなく、率直に褒めてくれた。田舎育ちで知らないことが多いのだと、様々なことを知りたがった。話していると気持ちがよくなって、あれもこれももっと教えてやりたいという気持ちにさせられた。聞き上手だが、自分は喋らないというわけでもなく、会話は弾んだ。
 ヨウは昔受けたひどい言葉をよく覚えていた。「変わっている」「頭がおかしい」「気が狂っている」それに類することを、十代の頃から同級生や大人達に幾度も言われたのだという。人からすれば異形とされる鬼にも覚えのある経験ではあったが、ヨウの周囲の方がきつく感じたのは、鬼が恵まれていたこともあるし、ヨウ自身がそういう人を呼び寄せてしまう性質なのかもしれないと思った。
 似ている君と一緒にいると、とても楽に息が吸える。八重歯を見せてヨウは笑った。傷つきながら大人になった彼女のおでこにも二本のツノが生えていた。

「恋ではないのです。ですが、なんとも温かい気持ちになって」
 猫を撫でる動きは、そこにないものまで愛しむように優しかった。
「嬉しいことは誰かに話したくなるものです」
「お引き留めしてしまいました」
 飲み干して、暇を告げようとしたとき、
「こんなところにいた。カモさん、電報だよ」
 ジャンパーを羽織った小太りの男が、鬼に紙を渡しに来た。
「すいません、すぐ手伝いに戻りますので」
 忙しそうに立ち去った小太りに頭を下げ、文面に目を走らせた鬼の顔色がさっと陰った。一瞬だったが、恨みや悲しみが凝縮されたどす暗さで、先程までとの変貌にどきりとした。
 同時にチャコと呼ばれた三毛猫は素早く飛び退き、駆け去っていった。
「里に戻ることになりました」
 押し殺すような声と、こめかみに浮かび始めた汗が、電報の重さを物語っていた。その汗の色が青いことなど指摘する雰囲気ではない。
「まさかこんなに早く……殺すのか」
「なにを殺すって」
「鬼です」
 ヨウも鬼ですから、いずれ私が手を下すことになるでしょう。変えられぬ予言を青年は告げる。
「鬼はあなたでは」
「私はカモシカ、鬼殺しの酒を醸す者です」
 ツノある醸しびとは決意の表情で、盛況が最高潮を迎えた祭りに戻って行った。


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サークル名:三日月パンと星降るふくろう(URL
執筆者名:雲形ひじき

一言アピール
サークル合同誌ではおいしいご飯と奇妙な出来事を、
個人誌では日本酒を舐めて浮かんだストーリーを書き記し、頒布しています。

この話は愛知のお酒「醸し人九平次」をペロリして思いついたものです。

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