あなたに花を
修道院長(マザー)、お元気ですか? ブラウン神父(ファザーブラウン)との悪魔祓いの旅も三個目の街に着きました。今度の街は小さいけれど、住人は優しく、とても親切です。マザーの好きなダファディルの花を売っている花屋さんを見つけました。
今日はその花屋さんの子供のお話をしたいと思います。
***
汽車から降りると、私はストールを肩にかけ直した。もうすぐ春とはいえ、ここの気候はまだ寒い。トランクを抱え、悠々と先を歩くブラウン神父の後を追う。
「ファザー、この街ではどういう依頼を受けているんですか?」
聞くと、少し眠そうな顔で振り返ったファザーが小さく首を傾げた。
「今回は別に依頼があったわけじゃないよ。ここに寄ったのは箸休めというか。メグちゃんも羽を伸ばすつもりで休んでいいよ」
僕も宿で少し寝たいし、と大きな欠伸をする。
「じゃあ、宿に荷物を置いたら街を見て回ってもいいですか?」
「どうぞ」
宿で宿泊手続きを取り、自分の部屋にトランクを置くと小さい荷物だけ持って廊下へ出る。ファザーの部屋の前を通った時に物音ひとつしなかったので、本当に寝てしまったのかもしれない。ここのところ忙しそうにしていたので、私は敢えて声を掛けずに宿を出た。
街を歩いていると、商店が並ぶ通りに到着した。活気あふれる様子に私もうきうきしてきて店を見て回る。
美味しそうな焼き菓子を購入して、立ち止まってそれを頬張っていると、つんつんとスカートを引っ張られる。ん? と視線を下に下ろすと、そこには五歳くらいの少女が立っていた。
「こんにちは」
「こんにちは、シスター!」
笑顔で挨拶をすると、その十倍くらい元気な挨拶が返ってくる。
「どこの子かな?」
指をさす方向を見ると、たくさんの花が並んだ店が目に入る。
優しそうな女の人が私にぺこりと会釈をするので、こちらも頭を下げる。少女の手を引いて、花屋の前に移動した。
「こんにちは」
「見かけないシスターですね」
「旅の者です」
「おひとりで?」
なんて会話が弾んだ頃に少女が突然声を上げた。
「ねえ、シスター。わたし、実はこのお花屋さんの子どもじゃないの」
「え?」
少女の母親を見ると、うんざりするような顔で頭を抱えていた。
とりあえず、姿勢を低くして少女の目線まで落としてから、私は首を捻った。
「じゃあ、どこの子なの?」
「わたしは本当は王女さまなの! お城で暮らしているはずなのよ」
「……」
私が反応に困っていると、母親が苦笑いしながら少女を引き寄せる。
「すみません、この子、こんな嘘ばっかり吐くんです。どうしてかしら……」
「わたしはお母さんの子どもじゃないの! 本当はね、」
「ミセバヤ!」
「ミセバヤ?」
聞きなれない言葉に私は母親を見た。
「わたしの名前。変な名前でしょう?」
代わりに少女が恥ずかしそうに答える。確かに意味を想像することもできない、聞いたことのない名前だった。
「シスター、パン屋さんに行かない? わたし、あのパン屋さんの子どもなのよ!」
「ミセバヤ!」
早口で言ったミセバヤちゃんに引っ張られ、花屋から離れる。後ろから母親の咎める声が聞こえたが、少女は何も言わずに私の腕を引くだけだった。
***
「……ということがあったんです」
「へえ」
興味があるのかないのか、ファザーは言いながら本のページをめくった。宿に帰ってくると、共用スペースで調べ物をしているファザーの姿を発見し、先ほどのミセバヤちゃんのことを一通り話した。
「お母さんに聞いた話では、自分は本当は花屋の子じゃないんだっていつも嘘を吐くんですって」
「そんなの子供によくあることだよ。構ってほしくて嘘を吐く」
「それはそうですけど……」
ファザーが徐に分厚い本を閉じた。
「じゃあ、軽く祓っとく? 悪魔」
意地が悪そうに微笑むので、私は乗り出していた身体を軽く引いた。
「悪魔憑きだって言うんですか?」
「そんな大層なものでもないけど。ミセバヤ、って名前も面白い」
「はあ……?」
じゃあ、行こうか。そう言ってファザーは本の山を片付け始めた。
***
店の裏の通りでひとりで遊ぶミセバヤちゃんを見つけて、私は「ミセバヤちゃん」と声をかける。顔を上げた少女はにっこり微笑んだ後、ファザーに視線を移し、不思議そうな顔をした。
「こんにちは?」
「こんにちは。ミセバヤちゃん?」
ファザーが腰を屈めると、ミセバヤちゃんは口を尖らせた。
「……その名前好きじゃない」
「へえ。珍しい名前だもんね。ねえ、綴りはどう書くの? 神父様に教えてよ」
彼女は渋々といった具合に木の枝で地面にがりがりと「Misebaya」と書いた。それを見たファザーは、ふうんと小さく言って、近くに落ちていた木の枝でよくわからない落書きをしながら話を続ける。
「ミセバヤちゃんはお花屋さんの子じゃないんだって?」
「お花屋さんの子だけど本当は魚屋さんの子なの」
「魚屋さん、」
「ううん、果物屋さんだわ」
ファザーはへえ、と相槌を打つと、ちらりと花屋の方を見た。
「そうしたら、お花屋さんは将来誰のお店になるんだろうね」
一緒に意味のない落書きをしていたミセバヤちゃんの手が止まった。彼女は下を向いたまま、すぐに落書きを再開させる。
「お母さん、困るんじゃない? ミセバヤちゃんがお花屋さんになってくれないと」
「困らないよ」
「誰か、やってくれる人がいるの?」
木の枝の先端がパキリと折れた。それでもミセバヤちゃんは地面をなぞる。
ファザーがもう一度店の方を見た。そして、二階に向かってひらひらと手を振る。つられてそちらを見たミセバヤちゃんは唇を軽く噛んだ。
「お姉ちゃん? 妹?」
二階の窓から幼い少女がこちらを見ていた。茶色がかった髪の色はミセバヤちゃんそっくりで、姉妹だと思うのが自然だった。
「おねえちゃん」
「へえ? じゃあ、お姉ちゃんがお花屋さんになるのかなあ?」
「知らない! わたしはちがう家の子だもん」
「でもね、」
ファザーが彼女の細い腕に手を置き、ゆっくりと話す。
「パン屋さんも、果物屋さんも、きっと君のことはいらないよ」
その言葉を聞いた途端、ミセバヤちゃんの顔に朱がさす。ぱちんと小さな掌がファザーの頬を叩いた。怒っている、というより今にも泣きそうな顔をしていた。
「じゃあ、わたしはどこにいけばいいの」
「今はまだお花屋さんに居ればいい。お姉ちゃんは君の居場所を奪ったわけじゃない。ここに居ればいいよ」
「わたしはいらない子だもん、おねえちゃんが可愛いから、おかあさんはわたしがいらないもん」
とうとう両の目から涙が流れ落ちる。その涙を拭いてやりながら、ファザーは彼には似合わない優しい声を出した。
「そんなことないよ、お母さんは君のことも大好きさ」
「うそ、」
地面に書かれた「Misebaya」の文字をファザーがなぞる。
「ミセバヤってね、花の名前なんだ。知ってた?」
ミセバヤちゃんがきょとんとして、今度は自分で涙を拭った。ふるふると首を振る。ここらへんじゃ見かけない花だけど、と付け足して、ファザーがまた地面に線を引く。
「ミセバヤって和名なんだけどね。この名前聞いた時には変な名前だなあって思ったけど」
「おかあさんがつけてくれたの、変じゃないもん」
「うん、そうだった。変じゃなかったよ。お母さんが君を思って付けたんだ」
ミセバヤちゃんがファザーを見る。ファザーも彼女を優しく見返して、彼女の頭をぽんと叩いた。
「花言葉は、『大切なあなた』。こんな素敵な名前、いらない子には付けないよね」
「たいせつな、あなた、」
「君は宝物だって。そうお母さんは言ってるんだよ。お姉ちゃんも君もお花屋さんに居てもいいんだよ」
止まりかけた涙がまたぼろぼろとミセバヤちゃんの瞳から流れ落ちる。うわあああんと声を上げて泣き出したので、ファザーは彼女をそっと抱きしめて、背中を優しく擦ってやる。
「大丈夫、他の家の子にならなくていいんだ。この家が君の居場所なんだよ」
***
食堂で夕飯のスープを口に運びながら、私は「あの、」とファザーに声をかけた。パンをちぎっていたファザーは「ん?」と返事をする。
「もう、ミセバヤちゃんは嘘を吐かないんでしょうか?」
「じゃない? 彼女は自分の居場所を探してたんだ。自分を必要としてくれる場所。それは自分の家だと知らずにね」
はあ、と私が息を吐くと、ファザーは笑ってパンを口に放り込んだ。
「メグちゃんもちゃんとここに居場所があるからね、大丈夫大丈夫」
「え、」
「君の名前の花言葉は僕の君に対する気持ちだから」
私の名前、マーガレット。花言葉なんて気にしたことがなかった。
首を傾げると、食事を終えたファザーが立ち上がるついでに私の頭をぽんぽんと叩いた。
「マーガレットの花言葉は、『信頼』だよ。有能な助手さん」
こっちに向かって手を振りながら、ファザーは悠然と部屋に帰って行ってしまった。
思いがけない言葉に赤くなった私はひとり食堂に取り残され、両手で顔を覆ったまましばらく動けなかった。
マザー、ブラウン神父はそんなことを言いましたが、『信頼』は寧ろ私からファザーへの気持ちだって知ってるんでしょうか?
サークル名:ばらいろ*すみれいろ(URL)
執筆者名:かやの一言アピール
現代ものを中心にジャンルごったで色々なものを書いています。よろしくお願いします。