BAR NAGOMI -真心-

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 四月第一周目の土曜日。阪神エリア有数の景勝地として名高い、兵庫県六甲山地から西宮市南西部を流れる、夙川。その河川敷は夙川公園と呼ばれ、桜は約千六百本も植えられている。この時期、ソメイヨシノを中心にヤマザクラやオオシマザクラが、淡いピンクの花で咲き誇る。河川敷には屋台が立ち並び、花見で老若男女大勢の人で賑わう。幸いにも今日は快晴の天気で、風も穏やかだ。
「うわっ、人多っ! 和水さん、これ座る場所ないよ?」
「わたしたち二人だけだし、大きくブルーシート敷かなくてもいいんじゃないかしら? ほら、あそこにしましょ。川に近いし、景色も良さそう」
「あ、本当だ! さすが和水さん、目が鋭いですな~」
 大阪市北浜でオーセンティックバーを営む山川和水(ヤマカワナゴミ)と、大阪市日本橋のアイドルバーに勤めている剣持姫香(ケンモチヒメカ)は二人で花見に来ていた。和水は派手過ぎない程度に鳥の羽が付いたつば広の白い帽子と、白のワンピースを着ている。姫香はテレビに出ている有名アイドルグループが着ているような、女子高生の制服を派手目にアレンジしたファッションをしている。
「じゃーん! 前から言っていた通り、シャンパン持ってきましたー! 今日はこれでパッーといきましょう!」
「たまにはカクテル以外のお酒もいいわね」
 姫香の肩に掛けられているコンパクトなクーラーボックスの中に、シャンパンボトルが入っているようだった。
 和水があたりをつけた場所に向かって歩いていると、正面からまだ二十歳になりたてくらいの青年がフラフラした足取りで向かってくる。二人は怪訝そうな顔で避けようとするが、彼の肩が姫香の肩にぶつかってくる。
「ちょっと! あんた、ちゃんと真っ直ぐ歩きなさいよ!」
 沸騰しやすい性格の姫香は、直ちに怒声を飛ばす。和水は「ちょっと、姫香」と、彼女の腕に触れて彼に視線を向ける。
 青年はこの快晴とは真逆に、まるで土砂降りの雨の中を歩いているかのような、げっそりした顔でのっそりと振り返る。
「ああ……、すいません……」
 一見した感じだと、祭りだというのに連れはいなさそうだ。
 和水はもう一声追い討ちしようとする姫香の前に出て、穏やかな顔で尋ねる。
「あの、もしかして具合が悪いのですか?」
「いえ……、体は別に大丈夫です。風邪も引いていないです」
 体は、というところに和水は引っかかった。身体が悪かったり、酒に酔って真っ直ぐ歩けないのは分かる。ただ、彼女が接客で色んなお客様を見てきた経験上、それ以外の理由で真っ直ぐ歩けないのは黄色信号だ。不調なのが体でなければ、考えられるのは心。和水は柔らかい笑顔を見せる。
「突然ですが、よかったらわたしたちと一杯どうですか?」
「え、ちょっ、和水さん何をいきなり!」
「え……、ぼ……、僕がお姉さんたちとですか?」
 想定外の発言に、姫香と青年は目を丸くして困惑した顔をする。
「ええ、人は多い方が賑やかですもの」
「見ず知らずの赤の他人にいきなりそんな……」
 姫香は溜息をつくように小声を洩らす。
 青年は困ったような顔のままだったが、丸くなっていた背中が真っ直ぐになる。和水と姫香の顔をちらちらと見ている。
「ね? いいでしょ?」
 和水は姫香が持ってきたクーラーボックスからシャンパンを取り出し、ボトルを見せつけて微笑む。
「ちょっ、それあたしのボトーー」
「あ……、あの、それでしたら折角なので」
「うん、じゃああそこで開けよっか」
 和水は最初にあたりをつけていた場所を指差し、まるで天真爛漫な少女のように早歩きで向かう。
「は、はい!」
「え、何、この展開」
 またお節介が始まったと姫香は確信して、深い溜息をつく。

 三人は満開の桜に囲まれ、穏やかに流れる夙川を眺めながら、シャンパンを開けて透明のアクリルグラスで乾杯する。
 青年の名前は、松下宏(マツシタヒロシ)。西関学院大学の三年生。聞けば、憂鬱な悩み事をしながら歩いていたから、ふらふらしているように見えたらしい。その悩みというのが、恋愛についてだ。仲良くしている同級生の女の子に恋心を寄せているが、その子が大会社の社長令嬢だということをつい最近知ったのだとか。宏は母子家庭育ちで、大学に通っているものの奨学金を満額借りている状態だ。彼女は苦楽園にある百平米の高級マンションに住んでいるくらい財力があるので、その格差に戦慄してアタックできずにいるというのが現状とのことだ。
「は? あんたバカじゃないの? そんなの関係ない! 好きなら好きってちゃんと面と向かって告白しなさいよ!」
「姫ちゃん、ちょっと落ち着いて……。周りの視線も気になるから」
 シャンパンのアルコールが姫香のヒートをさらにアップさせる。彼女も裕福とはいえない田舎から都会に出てきた身なので、尚更だろう。ただ、その勢いにも動じないくらい、宏の顔は重たげだ。
「でも、どうしても踏み切れなくて……。どうしよう。実は、今夜ここで会う約束しているのに、こんな顔見せたくない」
「は? は? 今、何て? 今日会うって? 静寂な夜桜の下で男女が過ごすなんて、最高のシチュエーションじゃないの! 今夜が絶好のチャンス!」
「姫ちゃん、お願いだからちょっとトーンダウンして……」
 先程とは打って変わり、和水が一番困惑した表情を浮かべ、周囲の目をちらちら気にかける。
「俺みたいな凡人が、高嶺の花に告白する資格があるのかなって。俺、成績もずば抜けて良くなければ、スポーツもそんなにできないし、これといった特技もない。お金については家の問題だけど、何て言うのかな、人格的にも劣っている気がして……」
 酒と怒りで顔を真っ赤にした姫香が口を開いた瞬間、和水がそれを平手で塞ぐ。姫香とは対照的に、和水は優しい笑みを浮かべて尋ねる。
「宏さんはその子のこと、本当に好きですか?」
 青年は藪から突かれたように、一驚した顔をする。ただ、すぐに双眸に情熱が宿る。
「はい。何と言うか、その子と過ごす時間がすごい自然に感じられるというか。最初はたまたま履修した授業で一緒になることが多いなと思っていただけなんですけど、会話するようになってからいつも席は隣同士で、お昼も一緒に食べるようになったり。後、学校が休みのときは映画館に出かけたりもするようにもなりました」
 姫香が和水の手を払いのける。
「それもう付き合ってるも同然じゃないの!」
「しっ! 姫ちゃん、ちょっと黙って!」
「は、はい……」
 女神のような面立ちの和水が滅多に見せない、魔王のような威圧的な目つきで、姫香の酔いが醒める。
 宏は真っ直ぐな顔つきで、言葉を続ける。
「僕はやっぱり彼女のことが好きです。大学生活は残り二年。でも、このご時世これから就職活動が始まったら、お互い関西にいるとも限りません。だから……」
 恥ずかしそうに宏は俯く。和水はすぐに瞳を魔王から女神に戻し、鞄の中から紙パックのオレンジジュースを見せつけるように取り出す。
「その真心があれば、結果がどうであれ、後悔することはないはずよ。後、お酒もう一杯いかがですか?」
「あ、はい……、では頂きます」
 和水は彼から空のフルート型のアクリルグラスを受け取ると、オレンジジュースを開封して、60ml程度注ぐ。彼女は紙パックを置き、姫香が持ってきたボトルに持ち替える。黄金色に輝くシャンパンを同量、ゆっくり注ぎビルドしながら泡で自然に混ぜ合わせる。
「これはわたしからのサービスです。『ミモザ』という名前のカクテルです」
「ミモザ、ですか」
 アクリルグラスの中で、和水の作ったカクテルが鮮やかな黄色に光り、泡がその輝きを掻き立てている。
「はい。南フランスに咲くミモザという、黄色の花が名前の由来とされています。ちなみに花言葉のように、実はカクテルにもカクテル言葉というものがあるんですよ」
「カクテル言葉?」
「ええ。ちなみにこのカクテルの言葉は『真心』。宏さん、お相手の方を思うその真心があれば、想いを伝える資格は十分ではないでしょうか。後は、一歩の勇気です。ここで満開に咲いている桜もいいですが、気持ちには黄色いミモザの花でアクセントを加えてみませんか。真心を込めて」
「真心……」
 和水からグラスを渡され、宏はその中で輝くミモザをじっと見つめる。和水と目が合うと、彼女は召し上がれと言うように、ウインクする。
 グラスの縁に口をつけ、ミモザが宏の口と喉を潤した瞬間、甘い清涼感が拡散する。そのままのシャンパンもゴージャスな味だが、ミモザの香りは高貴で優雅な気持ちにさせてくれるものだった。宏の中で、想いを伝えたい彼女との距離が少し縮まったように思える。
「美味しいです! 正直、最初はオレンジジュースにシャンパンを混ぜるなんて勿体ないと思っていたんですが、これがカクテル……! でも、不思議です。居酒屋で出てくるカクテルと、全然味が違いますね」
 笑顔を取り戻した宏に、和水と姫香はアイコンタクトをとってから応える。
「だって、わたしたち、バーテンダーですから」

 ミモザを飲み干した宏は和水に「真心をごちそうさまでした。いつか二人でお店にお邪魔します」と御礼して、一旦自宅へ帰って行った。和水と姫香も、二人でシャンパンボトルを空にする。
「宏さん、上手くいくといいわね」
「いやー、和水お姉さまにプッシュしてもらわないと告白もできないなんて、本当最近の男子って草食系なんだから」
「いいじゃないの。真心なしに手当たり次第恋人を作ろうとする人よりも、不器用でも誠実な人の方がいいわ」
「ま、チャラ男よりはマシかー。あ、そうそう、和水さん。折角だし、あたしにも『ミモザ』作ってよ!」
「え、今シャンパン空になったところじゃない」
「近くでもう一本買ってきますよぉ。あたしも桜を楽しみながら、あえて違う花を思い浮かべて、美味しいカクテルを堪能したいですなぁ」
 すり寄ってくる姫香を引き離す和水。
「もー、姫ちゃん、酔ったらオッさんみたいになるんだから。でも、いいわ。作ってあげる。何だか桜の楽しみ方を間違ってる気がするけどね」
「そんなの気にしなーい。外で酒を愉しむことに意義がある!」
「はは……、花より美酒ってことね」


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サークル名:教授会(URL
執筆者名:紗那教授

一言アピール
こんにちは、教授会の紗那教授でございます。今回も最近テキレボアンソロとして定番化してきた、「BAR NAGOMI」シリーズのお話です。お花見の季節に、美味しいカクテルを一杯いかがでしょうか。

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