言葉無き文

「姫様、姫様! 今日も、あの文使いが来ておりますよ」
 乳母めのとが嬉しそうな声をかけてくる。その様子に、斐子あやこは「あら」と言って立ち上がった。
菖蒲あやめの君から?」
 乳母に冷やかされるのが気恥ずかしくて、斐子は文の送り主の名を控えめに呟いた。
 顔も知らぬ貴公子から、日を置かず文が届くようになったのは、夏の頃だった。
 最初の文に、色鮮やかな菖蒲が添えられていた事から、菖蒲の君と呼ぶようになったのだが、斐子に似た名の菖蒲を贈ってくるとは気が利いている、と乳母が喜んでいたのを今でも覚えている。
 文字も文章も美しく、文をしたためた紙も、質も品も良い物を使っている。焚きしめられた香も、ほどよく心をほぐしてくれる。
 少なくとも、文を見る限りでは相手として申し分の無い人物であると思われた。そのためか、乳母も他の家人達も、菖蒲の君の文使いがやってくると、途端に浮き足立つ。
「ほら、姫様。早く文を受け取ってあげてくださいまし」
 そう言って、自ら文を受け取るように促してくるのももう何度目の事か。むやみやたらに顔を見せるものではないと己に教えたのは彼女らであるのに……と思うと、釈然としないものがある。
 だが、だからといっていつまでも文使いを待たせておくわけにもいくまい。家人達が既に屋敷の敷地内に入れてしまっているのだ。それに、文使いとて己の役割を果たさなければ、帰る事ができないだろう。
 仕方なしに腰を上げ、扇で顔を隠しながら簀子縁すのこえんへと足を運ぶ。階の下に、いつも菖蒲の君からの文を運んでくる文使いがかしこまっているのが見えた。
「お待たせしました。今日もまた、文を届けてくれたそうですね?」
 控えめに、声をかけてみる。すると、十五歳ほどの文使いは素早く顔を上げ、そしてハッとして慌ててまた下を見た。もう何十回となくこの屋敷に通っていて、斐子が顔を見たところで怒るような性分ではないと知っているはずなのに面を下げるとは、律儀な事だ。
「それで……今日はどのような草花を持ってきてくれたのですか、葉壱はのいち
 問うと、文使い――葉壱はおずおずと視線を上げ、両手で恭しく、文と一輪の花を差し出した。
 花は小ぶりで、細かい花弁がたくさん連なっている。色はどちらかと言えば地味だし形もやや歪に見えるが、葉や花弁には力が宿っているように見える。まるで、小さな童子が自分を大きく見せようと頑張っているようで、愛らしい。
 庭の隅や、外出の折には道ばたなどでよく見掛ける花だが、そう言えば名前を知らない。このような路傍の花でも、名はあるのだろうか……と、斐子はしばし花を見詰めた。
 菖蒲の君からの文には、いつもこのような控えめな草花が添えられている。名がわかったのは、最初の菖蒲だけ。それ以外はいずれも、この花のように小さく、珍しくもなく、それでいて愛らしい草花だった。
 花を見詰めてから、葉壱に背を向け、その場で文を開く。いつものように流麗な文字で、愛しく思っている旨、一度で良いから会いたいという想い、夜に訪う事を受け入れてほしいという願いがしたためられていた。
 数度目を通し、手紙をたたむ。その様子を見守っていた葉壱が、恐る恐る口を開いた。
「あの、お返事は……」
 斐子は、緩やかに首を振る。これまでも、一度たりとて菖蒲の君に返事の文を書いた事は無い。
 だが、葉壱は「かしこまりました」と頷くと、それ以上返事を求める事も無く、帰ろうとする素振りを見せる。
 まただ、と斐子は思った。葉壱は、これまでも幾度となく返事を断られているというのに、食い下がった事が無い。これほどまでに通い続けているのだから、「せめて一度はお返事を」と縋ってきてもおかしくは無いと思うのだが。
「それでは、これにて失礼いたします」
 そう言うと、少しだけ表情を和らげて、本当に帰ってしまう。
「姫様! またあのような……。何故いつも、菖蒲の君にお返事すら差し上げないのですか? 常に空手で帰る葉壱も哀れではございませんか」
 乳母が、まなじりをつり上げて声を張る。だが、斐子は乳母の問いには答えず、「そんな事よりも」と言った。
「誰かに、葉壱の後をつけさせて頂戴」
 その指示に、乳母は寸の間、いぶかしげに首を傾げる。だが、斐子に「早く」と急かされ、渋々ながらも急いで人を呼ぶ声を放った。

  ◆

 それから、数日後。またも、葉壱が菖蒲の君の文を携えてやってきた。文には、いつものように名も知らぬ小さな花が添えられている。
 それを受け取り、斐子はまた花を眺める。だが、今回はいつまで経っても文を開こうとしない。
「あの……?」
 流石に困惑して、葉壱が声を発した、その時だ。
「葉壱、今日からあなたは、この屋敷に仕えなさい」
 斐子の突然の言葉に、葉壱が目を見開いた。その表情に、斐子はくすりと笑う。
「驚かせてしまいましたね。……実は、先日文を届けてくれた際に、家人に葉壱の帰りをつけさせたのですよ」
 その言葉に、葉壱の顔がざっと青くなる。敢えてその事には触れず、斐子は話を続けた。
「つけた者が言うには、葉壱が帰り着いた屋敷は廃屋も同然で、とても貴人が住んでいるようには見えなかった、との事です。その報告を聞いて、父に相談してみたところ、父が人を遣って、更に詳しく調べてくださいました」
 そこで一旦言葉を切り、斐子は大きく息を吸った。
「葉壱が仕えていた方は、詐欺や押し込みで生計を立てていたのですね。長く私に文をくださっていたのは、夜に屋敷を訪い、容易く財物を手に入れるため。もしくは、私と婚姻を結ぶ事で、この家を手に入れようとした。……違いますか?」
 葉壱が、小刻みに震え始めた。どうやら、推測は当たっているらしい。
「……何故、気付かれたのですか……?」
 震えながらも、葉壱は絞り出すようにして声を発した。すると、斐子は微笑んで、「あなたのお陰ですよ」と言った。
「菖蒲の君は頻繁に文をくださいました。ですが、どれだけ文字や文章が美しくても、良い紙を使い香を焚きしめてあっても、あの文には心を惹かれなかった。……あなたが、文に草花を添えてくれたからです」
「草花を……?」
 不思議そうな顔をする葉壱に、斐子は頷いた。
「まず不審に思ったのは、私に似た名を持つ菖蒲を贈ってきた事。気が利きすぎています。そもそも、公表してもいない私の名を最初から知っているのは何故ですか? 今となっては、何かの企みのために家の事を調べたとしか思えません。偶然知ったにしても、いきなり相手の真名に触れてくるのはいかがなものでしょう?」
 葉壱が、「あっ」と小さく叫んだ。更に、斐子は言う。
「そして、二度目以降の草花は、葉壱、あなたがここへ来る道すがら、摘んで添えてくれた物ですね? 最初の菖蒲と、それ以外の草花。あまりにも印象が変わりすぎています」
 斐子の言葉に、葉壱は項垂れた。どうやら、この推測も当たっているらしい。
「自ら花を選ばず、文使いの童子に花を選び摘ませるなんて、不誠実な方なのでは……と、長らく疑っておりました。それが確信に変わったのは、先日の事……」
「……あの時、私は何かしたでしょうか……?」
 恐る恐る問う葉壱に、斐子は首を振った。
「何も。ただ、私が返事を出さず、空手で帰る事になったというのに、あなたはいつも落胆せずに帰っていました。それどころか、どこか安堵しているようにも見えたように思います。先日は、その様子が特に色濃く出ていました」
 そう言うと、斐子は目を細めて葉壱を見た。
「あなたは、あなたの主君を私が受け入れ、毒牙にかかる事を案じてくれていたのですね。だから、文の返事を持ち帰る事ができないにも関わらず、あのように帰る事ができた」
 言いながら、斐子は階を降り、しゃがみ込んで葉壱と視線を合わせる。
「菖蒲の君がくださった文よりも、あなたが添えてくれた草花の……言葉無き文の方が、よっぽど私の事を想う気持ちが伝わってきましたよ。……ありがとうございます、葉壱」
「いえっ、そんな……勿体無いお言葉……」
 慌てふためく葉壱の姿に再び目を細め、斐子は立ち上がった。そして、葉壱にも立ち上がるように言う。
「今頃、菖蒲の君の邸宅には、検非違使の方々が召し捕りに踏み込んでいる事でしょう。あなたの事は、父に取りなしてありますから……先ほど伝えた通り、この屋敷に仕えなさい。……勿論、あなたが良ければ、の話ですが」
 言われた葉壱は、戸惑っている。その様子に、斐子は笑いながら「そうそう」と呟いた。
「まずは、あなたに頂いた言葉無き文への返事をしなければなりませんね。……これを」
 そう言って、斐子は後ろに控えていた乳母に視線で促した。乳母は頷くと、扇の上に何かを載せて、葉壱に向かって差し出した。
 葉壱が押し頂き見ると、それは小さな袋だった。ほのかに良い香りがする。
香囊こうぶくろ……でございますか?」
 呟きながら香囊をまじまじと見詰めていた葉壱は、やがてハッと息を呑んだ。
 囊には、細かい刺繍が施されている。よくよく見れば、それはこれまでに葉壱が贈ってきた草花の一部を模した物で。
「……」
 言葉を無くした様子の葉壱に、斐子は穏やかな声でゆっくりと言う。
「それはあなたからの文への返事。窮地を救ってくれたお礼は、また別に差し上げましょう。それに……この屋敷に仕えないのであれば、当面の生活に必要な物も用意します。あなたも一枚噛んでいるとはいえ、あなたの仕える主君を奪ってしまいましたからね」
 そう言って、斐子はにこりと笑う。その笑みと、香囊を交互に見て、葉壱は俯いた。そして、誰にも聞こえぬほど小さな声で言った。
「……こんなお返事を頂いてしまったら……この屋敷から……あなた様から、去ることができるわけないではありませんか……」
 香囊の刺繍は、一針一針が丁寧に縫われていて。その全てが、葉壱に語りかけてくるようだった。
『助けてくれて、ありがとう』
『あなたがこれからも側にいてくれたら、心強い』
 ほのかな香りに込められた言葉無き文を懐に大事に仕舞い、葉壱は斐子に向かって跪くと、明瞭な声で告げた。
「謹んで、お仕えいたします」

(了)

サークル情報

サークル名:若竹庵
執筆者名:宗谷 圭
URL(Twitter):@shao_souya

一言アピール
平安時代を舞台にした物語が好きです!
今は頒布物にありませんが、いずれ平安時代を舞台にした本も出したいと思っています!

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言葉無き文” に対して1件のコメントがあります。

  1. ぶれこみ より:

     平安時代らしさがでていて、とても面白かったです。文の遣り取りの仕方が、平安貴族的で雰囲気が良かったです。しかし、上質の和紙を廃屋に住む盗人が用意できるのかとか、平安のお姫様が名の知らぬ野花とはどんなものかとか、少し重箱の隅的疑問は抱いてしまったのは事実です。しかし、最後、葉壱が斐子に仕えるようになるところは好きですし、手紙は文面や文字の美しさではなく、心だという、テーマも僕の心に添いました。とても面白かったです。ありがとう御座いました。

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