手紙/電気信号/朝型
なかなか寝つけなかったあなたは、ラジオをつけ、パソコンで書き物をしていた。時報がポーン、と鳴る午前三時。もともと朝型であるうえに、最近とみに目が覚めやすいあなたは、この時間に始まる番組のオープニングとも耳なじみになっていた。イヤホンに静かなピアノがポロポロと響き、番組名が告げられる。
「《モーニング・レター》」
その声に抑揚はない。
「この番組は、わたくし、AIのDJ・ジュークが、皆様からのお手紙を、言葉ではなくメロディに変換してお届けする、新感覚プログラムです。今日は、どんなメッセージが、どんなメロディを奏でるでしょうか。お手紙、メールの宛先は、ホームページをご覧ください」……
そっけない石のように話すDJ・ジュークは、これっきり、番組の終わる午前五時ごろまで出てこない。その間、インストゥルメンタルやクラシック音楽を中心としたさまざまな音楽が、なんの紹介もなく、ただただ流れてゆく。どんな手紙がどこの誰から寄せられて、そこから何がどう選曲されたのかという説明は一切ない。
ヘンな番組だな、とあなたはいつも思う。これでは自分の出した手紙が採用されたのかどうか、リスナーには分からない。何も説明する気がないならAIを使わなくてもいいし、手紙を募る必要もない。
今日はオルゴールの音色で始まった。
『ニュー・シネマ・パラダイス』のテーマ曲だと、あなたは気づいた。
その次は一転、力強いオーケストラが流れる。『威風堂々』。
そして突然の昭和歌謡がなまめかしくあなたの耳に張りついたかと思えば、カラッとした洋楽に変わり、そのあとを雅楽器ののびやかな音が響きわたる。
どこの誰がどんな手紙を出したのか。
DJ・ジュークの選曲は適切なのか。
そもそもそれらは全て建前で、実際はスタッフがランダムに曲を流しているだけではないのか。
あなたには分からない。
一週間前、あなたはこの番組あてに手紙を出した。それが果たして採用されたのかどうか。
さっぱり分からない。
時折CMが入るほかは、まるでめまぐるしく変転する夢の中にいるようである。いやむしろ、あなたの耳にはCMのほうが浮いていた。元気いっぱいのパーソナリティーが告げる昼の番組情報、未来の安心を守るという生命保険の資料請求先、半年も先にあるコンサートのチケット先行販売のお知らせ……それらはつるつるとしてなじまずに、手をのばしてもスベスベと遠ざかる明るい現実世界だ。この番組が醸し出す、ブラックホール的な混沌とは相いれないものがある。
あなたは何かの曲がイヤホンから流れるままに、パソコンに文字を打っては消し、打っては消していた。ちゃんと手で書いたほうがいいとあなたは分かっていたが、あまりに生々しくて、あなたには耐えられない。キーを押すのはまだましだったけれど、それでも遅々として進まなかった。
あなたは机の引き出しの奥にしまっていた、過去十数年のスケジュール帳をのろのろと取り出した。社会人になってから毎年一冊、適当に買い求めていたスケジュール帳だったが、どの年も、書き込みまでもが適当である。はりきって詳細を書き入れた月もあれば、何も書いていない月もある。気分次第でその日の感想を記した箇所もあれば、「やりたいことリスト」が余白に並んでいるページもあった。
〈美容院に行く/銀行/ストレッチがんばる/部屋片づけ←カーテン洗う。/西に黄色い何かを置く〉
風水だな、とあなたは苦笑する。別の年のものを手に取った。
〈アパート掃除当番/年末の保育申請する/お年玉/なんか安いコート←短めの。〉
この時買ったコート、まだ着てるよ……あなたはそのリストに話しかけるように指をあてた。安物で、格別おしゃれでもない。ただあなたは、「ママ、だっこして」とあなたの娘にせがまれても楽に応じられる、動きやすさが気に入っている。
あなたはイヤホンのコードを伸ばし、隣の寝室を隔てているふすまを少しだけ開けて、娘と夫がちゃんと寝ているかを確認した。あなたの娘は小さくガッツポーズしたような姿勢で、キャラクター柄の肌掛け布団にすっぽりと入り、すうすうと寝息をたてている。時折、あなたの夫が短い鼾をかくと、ガッツポーズが乱れ、小さな足は布団から飛び出す。「うるさい」と言いたいのか「パパ」と呼ぼうとしてるのか。あなたはイヤホンを外し、娘の布団を掛けなおしてしばらくその寝顔を見つめたあと、自室に戻り、ふすまを閉めた。
あなたの耳に音楽が戻る。
軽快なピアノとサックスが躍るようにからみ合う、明るいジャズナンバーだ。採用された手紙の内容もきっと明るいものなのだろう、とあなたは推測する。あなたの目の前のモニタはとうにスリープモードになり、まっ暗である。もし自分の手紙が採用されたら……と、あなたはその暗がりに答えを探すようにモニタを見つめた。ベートーベンの『運命』か、ムソグルスキーの『禿山の一夜』。あなたにはそれくらいしか思いつかない。
あなたは古いスケジュール帳をぱらぱらと眺めては閉じ、眺めては閉じた。手帳カバーの内ポケットにごちゃごちゃと挟んである古いメモ用紙やクーポン券などを、あなたは取り出してみる。
その中に、あるミュージアムの半券を見つけた。
ああ、ここ、とあなたはそれを手に取る。妊娠中に夫と出かけた、石のミュージアムだ。そのころ開館したばかりで、県内で採掘される石や鉱石の展示をメインにしつつ、採石や研磨の体験教室もできるという鳴り物入りで完成したミュージアムだったが、そのわりに空いていた。
半券に写る白い建物を見つめていたあなたは、その内側にある中庭を思い出していた。展示コースから外れた、芝生しかない小さな中庭。その隅でかすかな音をたてていた、あれは――。
水琴窟。
あなたは一人、その音色に聴き入っていた。
コン、キン。
カン。
そよ風にすらさらわれそうな、か細い反響音が地面の下から響いてくる。
帰ろうと言う夫を追いやり、ホースの水がなみなみと注がれた石の蹲の前でしばらくしゃがみこんでいたことも、あなたは思い出した。そしてその年のスケジュール帳の大半を埋めていた出産準備に関するメモの余白に、あなたはこんな書きつけを残している。
〈水琴窟のある家に住む?〉
そのとき、陽気なボサノヴァがフェイドアウトし、しん、としたあなたのイヤホンの奥から、何かが、沸き上がるように聞こえてきた。
静かな夜が下りて、現れた星々の瞬きをとじこめたような音色。
そっと生まれては消えていく、命のあぶくが弾ける音。
そんな水琴窟の響きが、イヤホンを通してあなたの耳に広がった。
コン、カン。
キン。
もしかして、と、この偶然にあなたは思う。
リン。
コン、キン。
私の手紙かな――。
ロン。
ラン、リン。
シャン。
カン、コン。
星から星へのスキップ。神様のひそひそ話。夜の空中を電気信号が駆けぬけてゆく、その足音。
それらがあなたの中で反響して幾重にも広がり、あなたの体は軽やかに浮きあがる。
キン、コン。
ララン。
シャリン。
「《モーニング・レター》」
音色の波間から、DJ・ジュークの無機質な声がぼうっと、現れた。時計の針は五時少し前を指している。番組のエンディングだ。
「メロディで綴るあなたのお手紙、今朝のお届けは終了です。また、明日のこの時間にお会いしましょう」
DJ・ジュークの挨拶からCMに切り替わるまでの少しの間、水琴窟の音色はそのままバックで流れ続けている。あなたはその音色が消えないうちに、今年のスケジュール帳をすばやく取り出し、今月のページを開いた。一週間前の日付の欄には「生体検査の結果出る」と走り書きしてあり、今日の欄には「A病院、外科B先生診察へ。ダンナと、抗がん剤&手術について聞く」と書いてある。
あなたはページの余白に、いや余白よりも大きく、日付の欄へはみ出すくらいに大きく、はっきりとボールペンで書いた。
〈水琴窟のある家に住む!〉
〈みんなで元気に暮らす!〉
〈いつまでも一緒に!〉
マウスにあなたの手が当たり、モニタがパッと戻った。メモ画面に入力された「遺言」の文字の隣で、カーソルが忍耐強くチカチカと待機している。あなたはバックスペースキーで文字を消した。メモ画面を閉じた瞬間、にぎやかなCMが一気にあなたの耳になだれこんできた。レストランのリニューアルオープン、引っ越し業者のお得なパック、弁護士事務所の電話番号が慌ただしく紹介されると、一拍の間を置き、時報が鳴った。
「おはようございます。《朝どれ一番!コケコッコー》の時間です」……
あなたはミュージアムの半券を見ながら、ネットで検索を始めた。治療スケジュールが確定したら、娘を連れて三人であそこを訪れよう、とあなたは考えていた。オープンのあの時でさえ空いていたのだから、下手をするともう閉館してるかも……あなたの指先はキーボードの上を走り始めた。
カーテンの向こうはまだ暗いが、もう少し待てば朝日が昇る。
検索ページの天気予報は、晴れだ。
サークル情報
サークル名:草幻社
執筆者名:梓野みかん
URL(Twitter):@gahnablack
一言アピール
お目通しいただき、ありがとうございます。テキレボEX2新刊は、ランダムな単語3つから着想した短編小説集の予定です。上記アンソロ提出作も収録します。既刊もすべて短編小説。【現代】が多いですが【ローファンタジー】や【SF】も好きなので、そのへんも新刊には入ると思います。Webカタログにてぜひ気にかけてください(^^)/。