真っ赤なハートがふさわしい

 昇降口の軒下に吹き込む落ち葉が外灯に照らし出されると同時に、ドアが音を立てて揺れてすきま風が入り込んでくる。ようやく部活の汗が引いてきたところの私は、足下から這い上がる冷気に小さく悲鳴を上げた。
 そろそろコートが必要な時期かもしれない。考えながら開いた下駄箱の中にまず見えたのは、履き慣れたローファーではなく、真白の封筒だった。
「お、また来てんの。さすが我らがエース」
「そういうのいいから」
 横から覗き込んでくる友だちをたしなめて、その視線から逃れるように背を向けてから差出人を確認する。記名はなし。代わりに大きなハートのシールで封がしてある。
 一目見てわかる典型的なラブレター。思わず苦笑してしまうのは、手紙の主に見当がついているからだ。
 封筒を鞄のサイドポケットにしまい、脱いだ上履きを取るために腰を折る。その身じろぎで、着替えのときに使ったデオドラントがセーラー服の襟元から香ってきた。先日新調したもので、香りの種類はなんとかシトラス、だったはずだ。
 受け取ったばかりの手紙とその香りが頭の中でリンクする。思い出すのは買い物のときの楽しい感情。それから、隣に並んだ「あの子」の笑顔。
 友だちも家族も知らない、私たちだけの秘密。本当は秘密にする方がおかしいのかもしれないけれど、他人に明かすにはまだ色々な覚悟が足りていない、けれどなにより大切な関係。
 私には、一つ年下の彼女がいる。

 ○

 帰宅して早々、自室に向かう階段を早足で上る。下から聞こえるお母さんのお小言をシャットアウトするためにドアをきっちり閉めて、そのままなだれ込むようにベッドに腰掛けた。
 鞄を下ろし、先程の封筒を取りだす。まっさきに目に飛び込んでくるのは、やはり露骨なハートのシールだ。私はまた苦笑しながら、それでもまんざらでもない気持ちで丁寧に封を開けた。
 友だちがファンレターやラブレターの類だと勘違いしているのは、私と彼女――マチとの文通の手紙だ。文通といっても郵便でやりとりしているわけではない。手紙の体裁は取っているが、内容だけ見ればいわゆる交換日記のようなものだ。始めたときはすぐに飽きると思っていたけれど、意外と長続きするもので、このやりとりはかれこれ半年ほど続いている。
 封筒の中から現れたのは、パステル調の花柄の便せんだった。お、この前買ってたやつ。そう思うのは、先週末のデートで一緒にレターセットを選んだからだ。
 私はそのときシンプルな小鳥の柄のものを買った。それはまだお店の包装のまま、机の引き出しの中に大切にしまってある。残っている便せんを使い切ってからと思っていたけれど、せっかくだから今回の返事は新しいものを使うことにしよう。
 私はマチとのやりとり以外で手紙なんて滅多に書かない。あのレターセットはマチのために買ったようなもので、だから半端な使い方をしてももったいないなんて気持ちにはならないのだ。

 私たちが文通を始めたのは、確か付き合いだしてひと月記念日。コンビニアイスで乾杯したそのあとに、マチが突然言い出したのがきっかけだった。
「だって先輩、部活が忙しくて学校じゃなかなか会えないじゃないですか。おまけに登下校もばらばらだし。わたし、もっと先輩と話したいです」
「それならわざわざ文通なんかにしないで、メールとかLINEとかの方がいいんじゃないの」
 返事もすぐにできるでしょ。私の言葉にマチはぎゅっと眉を寄せて「わかってないなぁ」とつぶやいた。そして垂れてきたアイスを慌てて舐めてから、ビッと人さし指をつきだしてきた。
「手紙のが絶対いいです! 返事は遅い方が、ていうか、手間がかかった方が絶対いい!」
「はあ」
 なんだそれは。情緒があるとかないとかそういう話だろうか。
 いやに得意げなマチの顔を見て、私はちょっとめんどくさいなと思った。
「前に『贈り物を選んでいる時間は、そのまま相手のことを考えている時間だ』ってどこかで見たんです。手紙も同じだと思いません? 手紙を書いている間、先輩はずっとわたしのことを考えてくれるでしょう。わたしは、わたしのための先輩の時間がほしいんです」
 このときマチは、甘えた上目遣いで私を見上げてきていた。バレー部でエースなんて冷やかされる程度には、私は身長が高い。だからその角度は、なんというか、ずるかった。今思い出しても、マチはこの頃からちょっと小悪魔だった。
「い、いや、でもさあ、私も家帰ってから色々やることあるし」
「そんな頻繁じゃなくていいんです。週一回とか、なんなら月に一回でも。――メールとかLINEって、むしろだらだら相手の時間を拘束しちゃう気がしません? それなら、時間に余裕のある日に手紙でやりとりする方が、迷惑かけなくてすむかなって」
 そこでしおらしい顔をされて、私は負けた。

 記憶の中のマチの言葉を反芻する。「手紙を書く時間はマチのための時間」。それを言うなら、手紙を書くために買ったレターセットだって実質マチのためのものだ。じゃあきっと、このレターセットを選んでいた時間もマチのための時間に含まれる。
 そこで思い至る。これはまるきり逆のことも言える。
 マチが私のために手紙を書いてくれた時間。マチが私のためにレターセットを選んでくれた時間。それはまるまる私のための時間だ。
「そっか。手紙に接している間、マチは私だけのものなんだ」
 ぽつんとつぶやく。直後その言葉の意味を理解して、あり得ないような熱が顔に集まってきた。
 なんてことを考えたんだ。「私だけのもの」なんて、ただの幼稚な独占欲じゃないか。
 恥ずかしすぎて便せんを持つ手が震える。なにが恥ずかしいって、幼稚で稚拙とわかっていながら、その独占欲が満たされるのが嬉しくてたまらないのが、ああ、どうしようもなく恥ずかしい!
 あのとき文通をしたいと言い出したマチは、ここまでのことを考えていたのだろうか。私の中にこんな独占欲が隠れていたなんて、知っていたのだろうか。ああでも、小悪魔気質のあの子のことだ、きっと最初から想定していたに違いない。その上で、これだけ恥ずかしいと悶絶しておいて、私がなんだかんだこの文通を続けるだろうところまでわかっているのだろう。
 だって私は今、たまらないほどマチへの思いでいっぱいになっている。頭の中が誰かでいっぱいになる喜びにすっかり浸ってしまっている。マチはきっと、これを望んでいたのだ。
 むやみに胸が締めつけられた私は、ついにベッドに倒れ込んだ。手紙をぎゅっと抱きしめて、ごろごろと右に左に転がってもだえる。
 しばらくそうして暴れたあと、少し冷静になった頭は唐突に気づいた。なんと肝心の手紙をまだ一行も読んでいない。
 私はひとつ大きなため息を吐き出して、けだるい思いで寝転んだまま便せんを開いた。
 マチの字はちょっと崩れた丸文字だ。「わたし」がひらがなで、難しい漢字もあまり使いたがらない。そこが可愛いと思ってしまう私は、恋の病的に相当末期なんだろう。
「この間のデート、楽しかったですね」から始まった手紙は、やはり買ったばかりのレターセットのことにも触れていた。そこには「ケイ先輩ってタンパクなふりして結構乙女なもの好きですよね。この便せん、どうですか?」という余計な一文を添えられていて、今まさに恋に悶絶していた私はひきつったような笑い方しかできなかった。
 次の話題は、レターセットのあと買ったデオドラントについてだった。そこで昇降口でのことを思い出して、私は鞄の中を手探りした。
 取りだしたのは、買い換えたばかりのなんとかシトラス。パッケージを確認してみると、レモンのイラストの下に記された正式名称は「フレッシュシトラス」だった。
 この香りを選んでくれたのはマチだった。私はいつも通りせっけんの香りを買おうとして、すかさずマチにとめられたのだ。
「わたしもおそろいにしたいので、そんな色気のないやつやめてください」
 普段なら色気がないとはなんだと反論しそうなところだけれど、このときは「おそろい」の言葉に驚いてとっさに反応できなかった。
 マチは帰宅部で、この時期になると体育のあとくらいしかデオドラントは使わないはずだ。それでなおおそろいがいいという言葉に、私は無性にときめいてしまった。
 着替えもしないで手紙を読み始めていた私は、未だ部活のあと使ったデオドラントの香りをまとっている。ふわふわと襟元を揺らすと、甘めの柑橘系の香りの向こうに自分の汗のにおいがした。
 体育のあとのマチもこんな感じなのかな。考えたところで、私は勢いよく体を起こした。これはまずい。思考がおかしな方向に向かいそうだ。私は慌てて手紙を置き、部屋着のスエットを手に取った。

 ○

 午後十時過ぎ。お風呂上がりのほぐれた頭で、私はペンを取った。
 部活があって疲れている日は、手紙の返事を後回しにすることが多い。だから明日、下駄箱を覗いたマチはきっと驚くだろう。
 返事の内容は湯船に浸かる間になんとなく考えてある。主にはやっぱりデートのこと。それから、先程気づいたマチの思惑について。
 ペンを走らせる小鳥の柄の便せんの隣には、こっそり買っておいた真っ赤なハートのフレークシールがある。マチの手紙の真似をしていつか仕返ししてやろうと思っていたのだけれど、今は違う。
 この文通でやりとりされるのが、幼稚で稚拙な独占欲、あるいは恋する心を込めた、正真正銘のラブレターであることをようやく自覚したから。
 ちょっとこじれたラブレターには、真っ赤なハートがふさわしいのだ。

サークル情報

サークル名:marmelo yellow
執筆者名:倉田希一
URL(Twitter):@kurata_kiichi

一言アピール
一次創作:倉田希一、二次創作:倉田希子の名義で活動しております。
テキレボWebアンソロ初参加です!甘酸っぱい雰囲気のお話を書く傾向にあります。でもときどきほの暗いかも。
一次創作は百合、二次創作はFGO(百合)・鬼滅の刃(BL)がございます。

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