小春日和のころ

「猫、見なかったか?」
 三十がらみの男が、訊きながら店内を見回す。
 三叉路にあるコーヒースタンドは、三角の店と呼ばれている。間口は狭く、奥は広くなっている。五人並べば満員のカウンターには客がいない。小暗い店内にはサイフォン以外あたたかいものはない。床も壁もコーヒーで磨かれたような艶を帯び、匂いがしみついている。
 カウンターの中では、そう若くもないブルネットの女性が本を読んでいた。
「猫って?」
「オスの、まだこどもで、黒白の金目」
「准将のところにはメスしかいないと思った」
 彼女はずり下がった眼鏡を押し上げて、彼に向き直る。
 准将もつられたように、黒いハーフリムの眼鏡のつるに触れる。なで肩でやせぎすの体に身をつけるのはいつも暗い色で、髪も鴉の濡れ羽のようだ。
「准将、いた?」
 彼の背後から、息を弾ませる少女の声が聞こえた。
「ニナ、猫探してるんだって?」
 ブルネットが声をかけた。
 准将を押しのけて店に一歩足を踏み入れたのは、赤毛の少女だ。細かい巻き毛を二つに分けて、耳の上でくくっている。もうじき十一歳になるらしい。白いコートにメランジのマフラーをぐるぐる巻きにして、頬を赤くしている。
「あら、可愛い髪型。そんな感じのワンコがいるわよねえ」
 ブルネットはにやにやとからかう。
「もう! みんな同じこと言う!」
 ニナは憤慨して拳を握りしめる。
「だって可愛いんだもの。ワンコも可愛い。ニナも可愛い」
「わたしのことはいいの! 猫なの。ここにも何度か連れてきたことあるけど」
「知ってるけど、いつもバスケットに入れっぱなしでちゃんと見たことない。どうして逃げたの?」
 ニナはうっと言葉を詰まらせた。
「主人を怪我させたから、叱ったら飛び出した」
 准将がため息まじりに答えた。
「怪我って、その目の下の?」
 ブルネットが自分の頬を指す。
「目立つ? 目立たないよね?」
 ニナは傷に触れて、おろおろと訊ねる。
「目を引っかかれなくてよかったね。朝晩オイルを塗ってれば、傷痕は目立たなくなるよ」
「ありがと……やってみる」
 ニナはうなだれて礼を言う。
「猫を見つけたら、帰るように言えばいいのね?」
 ブルネットは確認する。
「そうしてくれるとありがたい……それと」
 准将は奥歯にものが挟まったように切りだす。
「男の子どもも……探しているんだが……」
「どんな子?」
「まだ、若い……そうだな」
 ブルネットの質問に、准将は答えに窮している。
 代わりにニナが説明する。
「年はわたしと同じくらいで、背も同じくらい。髪は黒くてまっすぐで……目はヘーゼルにも見える金!」
「どんな服装?」
 ニナは准将をちらっと見上げる。
「……裸だ、多分」
「あら、大変。見つけたら、どうすればいい?」
「……帰るように言ってくれ」
「裸で?」
 准将はコートの内ポケットから几帳面に折り畳まれた紙を出す。片足だけ店に入れて手を伸ばせば、カウンターの彼女に届いてしまう。
「一枚だけ?」
 ブルネットは紙を開く。簡素な手描きの魔方陣だ。魔法使いでなくても扱えるように改良されたものだが、そうそう手に入るものではない。
「口止め料も」
 ブルネットは手を出して、早く寄越せと合図する。
「オス猫だの裸の男の子だのを准将が血眼で探してたこと、面白おかしくお客に話しちゃうかも」
「わたしのあげる」
 ニナはポシェットから小さく畳んだ魔方陣を出す。
 ブルネットはカウンターから身を乗り出して受け取った。
「ついでにコーヒー飲んでく?」
 二人は即座に誘いを断った。
「いや、いい」
「早く探さないと」
 ニナが荒っぽくドアを閉めた。カウンターの壁の棚に並べたカップが、かたかた鳴る。
「乱暴だなあ……ねえ?」
 ブルネットは足元を見た。
 カウンターのなかには、黒髪で金目の男の子がうずくまっていた。体を覆ったブランケットの隙間から、細い肩や鎖骨が見える。
「ニナの怪我、やっぱり目立つ?」
「こんな薄暗くて見えるはずないじゃない。ブランケットがないと膝が寒いから、もう帰って」
 ブルネットは手で追い払うような仕草をする。
「裸で?」
「いつも裸じゃない」
「猫のときはそうだけどさ」
 男の子は身震いしながらブランケットの前をかき合せる。
「人間の時は、服着ないとニナがびっくりするから」
「誰だってびっくりするわ」
 ブルネットが換気のためにドアを開けると、黒い猫が疾風のように入ってきた。振り返ったときには、カウンタ―の中に飛びこんでいた。のぞきこんだ彼女が見たものは、全裸の男の子だった。あたたかいものを飲ませて事情を一通り聞いたところで、ニナたちが来たのだ。
「自分でもどのタイミングで人間になるかわからないから、困ってるんだ」
「今回のは、ニナを困らせた罰だわね」
「だってさ!」
 男の子は声を上げた。
「だって、ニナの髪の毛のくるくるがふわふわ揺れてたから、気になっちゃって!」
「おもちゃみたいに触ろうとしたのか」
 彼は膝に顔をうずめる。
 ブルネットはカウンターの引き出しから小瓶を出す。
「火傷したときに使ってるオイル、ニナにあげるから帰りなさい」
「許してくれるかな……?」
 男の子は大きな金色の目を潤ませている。
「知らない。服貸してあげるから、帰ってちょうだい」
「准将にまた怒られるんだろうな」
「その前に私が怒るけどね。曲がりなりにも飲食店なの。バスケットに入ってない猫を置いておけない」
 男の子は小首をかしげた。
「今は猫じゃないよ」

 十分後、男の子は魔方陣に放りこまれた。
 戻ってきた彼を、准将は叱らなかった。
 男の子は、妙齢の女性が着るような派手な幾何学模様のワンピースと、手編みのショールを着せられていた。フューシャピンクの室内履きにはポンポンがついていた。うなだれる彼を「可愛いよ」とほめたのは、ニナだけだった。
 三ヶ月も経つとニナの傷はきれいに消えた。彼女が塗るのを忘れるとハチワレの猫が鳴くので、一日も欠かすことはなかった。
 小さな魔女と使い魔の猫は、ささやかな事件を起こしながらも、小春日和のような日々を過ごしていたのだ。      


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みつたま(URL)委託-21(Webカタログ
執筆者名:平坂慈雨

一言アピール
児童文学寄りのFT短篇集を無料配布。アンソロジー投稿作品の後日談を所収。猫が主役で、ニナは出てきません。王朝ものをこじらせた和風FTも併収予定。
みつたまは平坂慈雨の個人サークル。pixivやpictBLandでは二次創作メイン、オフもオリジナルも初参戦です。よろしくお願いします。

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