誘疑-イザナギ-

 砂漠の国ウラウローの辺境にその町はあった。その名も無き町に滞在するのは、傭兵にしては気性の穏やかなカルザスと、その相棒であり雇い主である詩人のシーアだ。
 ある目的のために旅する奇妙な二人組だが、見た目も性格も正反対ではあるものの、互いの相性は悪くはない。

 カルザスは町での滞在費を稼ぐため、傭兵仕事の斡旋所へと向かった。宿で留守を預かるのはシーアだ。シーアは詩人であるため、夜の酒場で歌う事が仕事であり、昼間はおとなしく宿で過ごしている事が多い。
 自身の商売道具である小さなハープを調律しながら、カルザスの帰りを待っていたところ、彼は少々浮かない顔をして帰ってきた。シーアは小首を傾げる。
「なんだか神妙な顔ね。妙なお仕事でも紹介されちゃったの?」
 長い銀髪と紫眼の美麗な詩人は、ウラウローの民らしい独特の容姿を持つ褐色の肌の青年に問いかけた。
「ええ、まぁ。斡旋所の紹介ではなく、その前にいらした女性から直接お話を伺ってきたんです」
 カルザスの言葉に、シーアは嘆息混じりに口を開く。
「また? どうしてカルザスさんって、そういう得にならないお仕事ばかり引き受けちゃうの?」
「少々きな臭くはあったのですけれど、本当に困っていらしたのは事実だったと言いますか……」
 彼は昔から不思議と、ずば抜けた勘の鋭さを発揮する事がある。「何かある」と、直感的に悟るらしい。今回もおそらく直感が働き、女性の依頼を引き受けたのだろう。
「それで? その胡散臭いお仕事はどんなお仕事なの?」
「はい。どうやら僕たちがこの町に訪れる少し前から、夜な夜な切り裂き魔が出没するらしいんです。それも裕福な女性ばかりを狙った」
「あ、嫌な予感がする」
 カルザスの言葉尻を捉え、シーアが苦虫を噛み潰したような表情になる。
「それで、その……できればシーアさんにお手伝いいただければ、とてもありがたいなぁ、と……」
「やっぱり! イ・ヤ・よ! 私に傭兵の真似事をしろっていうの? あなた私の護衛じゃなかった? 私はあなたを雇ってるのよ? 依頼人を危険に晒していいとでも?」
 シーアは露骨な嫌悪感を露わにし、自身の護衛であるカルザスに噛み付く。
「女性ばかりを狙うって言ったじゃないですか。僕がいくら探し回っても、おそらく犯人は見つけられません。ですからぜひともシーアさんに囮になっていただければと。危険なのは重々承知していますが、シーアさんの腕を見込んでお願いできませんか?」
 カルザスは両手を合わせ、申し訳なさそうな表情を浮かべる。渋い顔をしていたシーアは小さく首を振って両手を広げた。
「降参。私があなたの“お願い”に弱い事を知ってて言ってるでしょ? 本当に性質(たち)が悪いわ、あなたって」
「決してそういう訳では。でもシーアさんだからお願いしたんです。だってシーアさんはお強いじゃないですか。もちろん僕も離れた場所からしっかり見張ってますから」
「もう! 私だって、精神面はそんなに強くないんだからね!」
 シーアはぷうと頬を膨らませ、顔を背けた。

 深夜、小綺麗な格好をしたシーアは町の裏通りを足早に歩いていた。むろん囮捜査のために着飾り、わざわざ人気(ひとけ)の少ない道を歩いているのだ。
 ふいに、皮膚の裏側がざわりと粟立つ。シーアの研ぎ澄まされた感覚が、機の到来を告げたのだ。
 ──切り裂き魔。
 そう呼ばれる者がシーアに突然、斬りかかってきた。
 その一撃をすらりとかわし、身軽なシーアはその者と距離を取る。そして小さく呻いた。
「……女、なの?」
「クッ……あなた、只者じゃないわね!?」
 顔を隠す意味もあるのか、口元に砂よけの布を巻き付けているが、その声はまさしく女のものだった。敵もさることながら、一瞬でシーアの実力を見抜いたのだろう。
 シーアは小さく唇を噛み、喉の奥で唸る。
「うう……女は相手にしたくないんだけどな」
 悶々としながら、シーアは薄刃の短剣を逆手に構える。
「手加減はするつもりだけど、そういうのあんまり得意じゃないから、あとから文句言わないでよ!」
 鋭く叫び、シーアは一気に彼女との間合いを詰めた。しかし彼女は両手を小剣に翳し、シーアの短剣を剣の根本で受け止めた。
「ああっ、もうっ……」
 躊躇いながら大ぶりに短剣を振って彼女と再び距離を取る。明らかに真剣に相手をしていない。それには深い事情があるのだが、それはまた別の話。
 チラチラと周囲に視線を走らせるが、離れて護衛しているというカルザスはまだ現れない。こちらに気付いていないのだろうか。それともうっかり捲いてしまったのだろうか。あの人、鋭いようで意外に抜けているから。
 数回、小剣と短剣を打ち合わせていると、東屋の上から屋根を蹴る音が響いた。
 一瞬にして彼女の小剣が弾き飛ばされ、黒い影は瞬時に彼女と距離を詰め、易易とその腕を逆手に捻り上げる。
「あっ!」
「お待たせしました」
「遅いじゃないの! 颯爽と現れて一太刀でカタを付けるなんて、うっかり惚れちゃうじゃない?」
「これでも急いだんですよぅ。あと僕はノーマルなので、“それ”はご遠慮願いたいですね」
 軽口を叩き合いながら、カルザスはふふと笑って、彼女の腕を捻り上げたまま、口元の砂よけを剥ぎ取る。
 彼女はどこかまだあどけなさの残る少女で、とてもこんな凶行を繰り返してきたとは思えない平凡な容姿をしていた。彼女の顔を見て、カルザスは表情を曇らせる。
「やっぱりあなたの狂言だったのですね?」
「どういう事?」
 シーアは自身のストールを外し、カルザスが捉えている彼女の腕を縛り上げる。そのままひょいと、足元を掬ってその場へと押し伏せた。二人の足元で、彼女は暴れている。
「彼女は僕に依頼をしてきた本人ですよ」
「傭兵に自分を捕まえろって依頼をしたの? それって何か理由でもあるの?」
 シーアは屈み込みながら、彼女に問いかける。彼女は唇を噛み、吐露し始めた。
「金持ちの女が羨ましかったの。だってあたしはこんなに貧しいのに、お金があるっていうだけでチヤホヤされてさ。でも……こんなの無意味だって分かってる。こんな事でしか、仕返しできないあたしば莫迦だって分かってた。だから誰かに止めてほしかったの」
 彼女の言葉を聞き、シーアの脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。だがすぐにそれを振り払った。
「同情すべき点はあるけど、逆恨みで斬られた女たちがいたたまれないわ。あなたは貧しいけど、剣を取る腕があった。それを生かす仕事だって探せばあったはずよ。でもそれすらできないスラムの人たちの事を考えた事、ある?」
 貧しい砂漠の国であるウラウローには、至る所にスラムと呼ばれる貧民街がある。仕事も、食事も、生きる事すら満足にできない者たちが身を寄せ合う場所だ。
「あなたに同情はしますが、嘘はいけません。そしてこんな真似も許される事ではありません。素直に謝ってくれますね? もうこんな事はしないと、約束できますね?」
「……ごめん、なさい。もう……終わりにするわ……」
 あっさりと観念した彼女は、砂地に頬を付けた。
「よくできました。ではこのまま何もなかった事にしますから、早々にお帰りください」
 カルザスの言葉に、彼女は驚いて顔を上げる。
「あたしを見逃してくれるの?」
「同じ事を繰り返すというのであれば、今度は本当に斬ります。次は手加減しませんよ? 僕、そんなに甘くないです」
 カルザスの言葉を聞きながらシーアはクスリと笑った。「やっぱり甘いんだから」と。
「……うっ……ううっ……あり、がとう……ごめんなさい……」
 シーアが腕を縛っていたストールを外すと、彼女は泣きながら、何度も頭を下げた。そして目元を擦りながら、闇夜に姿を眩ませた。

 彼女の哀れさと嘘を思い、シーアはポツリと呟く。
「……ねぇ、カルザスさん。嘘は……やっぱり嘘はダメなのかな?」
「はい?」
 カルザスはきょとんとしてシーアを見つめる。
「私……ううん。おれの姿は嘘。偽り。隠し事だっていっぱいある。そんな嘘に塗れたおれと一緒にいるの、カルザスさんはイヤかな? だってカルザスさんは正直でまっすぐで、おれとは正反対の、嘘のない人だから」
 “本来の”口調と声音で、シーアは問いかけてきた。カルザスは少々驚きつつも、柔和な笑顔を向ける。
「シーアさんはシーアさんですよ。それはそれ、これはこれって言うか。あなたが本来の姿を偽る事に、深い意味があるのは分かっています。それを教えてくださるまで、僕はあなたの傍にいますよ。それが僕たちの契約であり、約束じゃありませんか」
 泣き笑いの表情になり、シーアはカルザスの袖口を摘んだ。
「……うん。嘘は悪いと思ってる。でも……ちょっと安心した。ありがとう」
「はい」
 笑顔のカルザスと、泣き笑いを浮かべるシーア。夜空の月は二人の影を照らす。
「それで……あなたの秘密はいつ教えていただけるんですか? 今、そういう雰囲気だと思ったのですけれど」
 わざとらしくおちゃらけた様子で問いかけるカルザス。
「ふふっ。それはそれ、これはこれ。まだ内緒」
「酷いですね。僕の言葉を盗っちゃうなんて」
「そ。酷い“女”なの、私は」
「また“嘘”で逃げるんですね。まぁいいですよ、気長に待ちます」
 彼女の落として行った小剣を拾い上げ、カルザスはそれを東屋の物陰に向かって放り投げる。女性たちを脅かす事件はもう起こらないだろう。

 この些細な出来事によって、全てを嘘で偽るシーアの頑なな心は、僅かでも解きほぐせただろうか?
 さぁ、寄り道はもうよいだろう。旅の続きに戻ろう。“俺”たちの旅に。
「そうですね。行きましょう。シーアさん、そして僕の中のあなた」

──これは“記憶”と“実体”を失った“俺”を探す物語──


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サークル名:アメシスト(URL
執筆者名:天海六花

一言アピール
砂漠の国ウラウローを旅する、温和な傭兵と美麗の詩人。彼らが長い旅の途中に立ち寄った、名も無き町で遭遇した事件。切り裂き魔の捕縛──なにやらきな臭いものを感じつつも、事件解明に乗り出す彼ら。事件は無事に解決できるのか。(長編作品「砂の棺」の外伝的掌編となります)

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