春の目覚め

 聞いたことのない声だ。
 日和ひのわは顔をあげた。碁盤には適当に石が並んでいて、石を抱えていた小さな蛙みたいなものが、日和につられて外を見やる。
「何だろ」
 遠方の山は白く霞んでいる。雨が降ったということもない、あれは、うららかな日差しで霞んでいるようだ。
 また。声がした。
 とても大きい。耳に、すっと飛び込んでくる。
 半端にあげたままの御簾をくぐって、きざはしに出る。
 蛙もついてきて、欄干に乗った。
 少しして、別の部屋にいた家主が近づいてきた。
 不審そうに見つめられ、日和は、鳥のような声のする方向に指を向けた。
六葉ろくは、変な声がするよ!」
「あれは、鶯だ」
 ほとんど考える間もなく、六葉が答える。早すぎる、と日和はむっとした。
「鶯って、ほー、ほけきょ、って鳴く鳥でしょ。今のは、何か、違ったよ?」
 この庭に梅はないが、あれば枝に鶯が来ることもあるだろう。梅の季節は随分と過ぎてしまったが。ともあれ、鶯の声はあちこちでよく聞く。日和も間違うことはない。
 六葉はため息混じりに口を開いた。
「鶯、だ」
 なぜ、力強く言う。
「……鶯じゃないと思うけど」
「鶯も地鳴きする。呼び鳴きとは違うものだ」
「そうかなぁ」
「お前は、目白の声も知らないだろう」
「うーん、小鳥の声の聞き分けに、自信があるわけじゃないんだけど」
 でも、何だか変なのだ。
「う、ぐ、い、す」
「六葉、変だよ」
 そうまでして言い切りたいのか。
「あっ」
 山の色が薄く変わる。ゆらゆらと光が立ちのぼる。
「何あれ!」
 舌打ちが返ってきた。
「何で舌打ちするの」
「お前が、どうせ聞くからだ」
「じゃあ聞いてみる。あれ何?」
「……鶯に似たもので、冬に天から降りて山で眠る。春になると天へ帰る」
 嫌な顔をするくせ、六葉は案外真面目に答えてくれる。今度は、嘘ではなさそうだ。
「それだけ? じゃ、どうして六葉は嫌そうなの」
「人のついた嘘を報告する虫と似て、あれは、世の風聞を記録する。天で暇を持て余しているものたちが、あれを持ち帰って話題にするんだ……」
「噂話が好きってこと?」
「本体が冬眠して、山で鳥獣の日々や夢を見て帰る」
 噂話が収集されるというのが本当だとしても、なぜ六葉が、あれを鶯と言い張り、その割にあっさり正体を言うのだろう。
 首を傾げながら、日和はいったん碁盤の前に戻った。先に飽きていた蛙が、碁石を勝手に片づけている。
「変なの」

 あれが出る頃、陰陽師もやることがある。
 持って行かれては困る情報がある、という貴族たちから、あるいは、知りたい情報があるという者たちから、あれを捕まえろと指示されることが、ある。
 六葉の勤め先自体は、それを請け負っていない。他にすることがある。たとえば、春になっても目覚めない山に行って、調査して、場合によっては叩き起こしてくるような。
 先日、あれを捕まえることと、山を叩き起こすこと、両方を頼まれることがあった。
 前者については、あれを待つ天のものに恨まれても困るので、適当に逃がすつもりだった。面倒なことは極力避けたい。
 数人で調査にあたり、どうにか山を起こすことには成功した。だが。
 陰陽師たちに、小さな鶯に似たものが(近づいてみると、羽衣みたいな形だったが)鳴きながら張り付いてきた。それは、最近の妻がうるさいとか誰それと喧嘩したなど、日常のいざこざを、一人に張り付いて記録しては、叫んで、飛んでいった。
 あれの採取した話は、どれも、術式など陰陽師としての機密には触れていなかった。ただひたすら、日常のもめごとばかり選ばれ、喧伝された。些細な話ではある。だが、当人たちにとっては、大問題だった。あれに、術を持ち出されるのと、どちらがましだったのだろうか。陰陽師たちは必死になって、羽衣の形をしたあれを捕まえようとした。結局のところ逃げられたのだが。

「あーっ!」
「わっ、六葉どうしたの急に」
 日和は、六葉を見やる。珍しく大声を出した人間は、頭を抱えていた。
「何があったの?」
「終わった。終わったんだ」
「何が?」

 調査に赴いた面々は、互いに誓いあった。あれによって掘り返された、色恋やもめごとの話は、聞かなかったことにしようと。
 だから六葉は黙っているし、しかし、いずれ人の口から漏れるだろうことも分かっている。
 「自分の式神に、春らしいものを食べさせたら喜ぶかな」などという、状況にそぐわないのんびりとした考えごとを……山中で暴露されて、恥ずかしい思いをしたのは、六葉だけだ。内容が一番のんびりしていたため、面々は笑い転がった。

「六葉?」
 人の苦労を知らぬげに、式神として屋敷に置いている物の怪が(自称は神だが)首を傾げていた。


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サークル名:hs*創作おうこく。(URL
執筆者名:せらひかり

一言アピール
普段は短いもの長いもの、ひんやりしたものほのぼのしたものなど、おもにファンタジー(仮)を書いています。今回は拙作の「かみこい~光の神と陰陽師~」の主役二人で番外編となっております。のんびりです。

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