鬼灯実る

葉柳はやなぎ。まだ外に出てはいけないのか」
「ええ、何を仰いますか。生きていくだけならば、ここで十分なはず」
「……そう、だな」
 食事は運ばれてくる上、頼めば書物どころか菓子さえ手に入る。格子越しの従者の言葉に、真朱まそおは諦めたように頷いた。
 ――外から鳥の鳴く声がする。それは春の訪れを告げる声だった。
 庭では母の好きな花々が咲き乱れ、木々は柔らかくも毒々しい薄緑の葉を成していることだろう。
 しかし彼には確認する術がなかった。
 とある大店“青藤屋”の、奥座敷のさらに奥――その座敷牢に住まうは、それはそれは美しい少年だった。年は二十より下だろうか。日の光を浴びず、早くも数年が経過した肌はまるで磁器のように黒い。伸ばしっぱなしの髪は乱れこそあるものの黒々として艶やかで、柔和な面立ちがさらに彼の美貌を引き立てた。彼は名を真朱と言った。
「旦那様のご采配です。どうか辛抱を」
「……しかしここ数カ月、一度も身内の者の姿を見ていない」
「――何を仰りたいのですか?」
 葉柳は方眉をぴくりと上げた。
 この葉柳は父の従弟にあたる人物で、葉柳という。真朱の七つほど上だったと記憶している。幼い頃から人見知りの激しかった真朱の世話係として仕えていた。目元は狐にも似て細長いものの、鼻梁高く整った顔立ちをしていた。真朱の父とは年が離れているため、兄弟も同然として可愛がられて過ごした。今では店に出るので忙しいようで、父の跡継ぎは自分でもその弟でもなく彼なのではないか、と真朱は考えていた。
「真朱様、外に出たいお気持ちも分かります。しかし、周囲は真朱様以上にあの件を案じているのです。――もちろん私も」
 葉柳はそう言って笑った。
 一年近く前、夜道を歩いていた真朱は暴漢に襲われたという。父が真朱に座敷牢へ入るよう命じたのはその直後のことだった。真朱の身を案じたのか、それとも気色が悪いと思ったのかは分からない。一先ず真朱は父の意思でこのじめじめとしたあまり日の差さない空間に押し込められてしまったのである。
 ――真朱はひどく後悔していた。
「……すまなかった」
「真朱様?」
 真朱は涙していた。
 格子に手をかけ、その美しい相貌を歪めて独白する。
「あれは、嘘だったんだ」
「嘘?」
 溢れだしたら止まらなくなって、徐々に息があがっていく。肩を震えさせてすすり泣きながら、真朱は続けた。
「ああ。私は暴漢に襲われてなどいない。金子を落としてしまったがゆえの狂言だったんだ。本当に愚かだ。こんなことになるなんて思いもよらなかった」
 葉柳は幻滅するだろうか――否、一瞬の間呆けていた彼だったが、次の瞬間にはくすくすと笑いだしていた。
「ふふ、いやはや。これは騙されましたな」
「……叱らぬのか」
「叱るも何も。何もなかったのならばそれで良いではありませんか」
 そう言った葉柳は、格子にかけられた真朱の手に自らの手を重ねた。
「ご心配なく。この葉柳にお任せください。旦那様にも私から言づけておきましょう」
「葉柳……」
 真朱は微笑み返し、その手をぎゅうっ、と握り返した。
「では真朱様、私は店に戻ります。どうか今少し辛抱ください」
「ああ」
 葉柳は立ち上がると、そう言って部屋を出ていった。
 ――やっと言うことが出来た。
 真朱は高揚感で満たされていた。罪悪感から告げることのできなかった真実をようやっと口にすることが出来たのである。舞い上がってしまっても仕方のないことだった。
 葉柳の口添えさえあれば、近いうち、きっとここを出られるに違いない。
 出たら何をしよう。まずは身内に謝らなくては。病弱な母は息災だろうか。七つ下の弟はこの春に奉公に出るのだと言っていた。それまでに会えればいい。それから父に商売を学び、葉柳と共に店を盛り立てるのだ。
「……泣いてなどいられない」
 真朱は乱暴に涙をぬぐい、希望に満ち溢れた明日に思いを馳せた。

「ねえ、覚えてる? 一年前の青藤屋の件、可哀想にねえ」
「ええ。むごたらしい死体で発見された事件でしょ? 盗人に押し入られたとかなんとか……」
「生き残ったのは従弟の葉柳様とご子息の長男だけだったらしいわよ。……最も、ご子息の方は乱暴されたとかで気がおかしくなっちゃっているそうだけれど」
「従弟殿も大変なのによくやってるわ。最初こそ危なっかしかったけれど、今じゃちゃんと人を使って商売出来て」
「それにしても、誰が殺したのかしらねえ。金目のものも盗られていなかったそうじゃない」
「そこが不思議よね。案外、身内の人間が妖しいのかもしれないわね」
 ――例えば、その従弟殿とか。

 茶屋でくつろいでいた葉柳は、中年女性の世間話を聞いて――、小さく、嗤った。


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サークル名:朱に咲く(URL
執筆者名:朱暁サトレ

一言アピール
ライトノベルを書いています。恋愛ものが中心でBLもNLもGLも書きます。今回書き下ろした「鬼灯実る」のような和風やファンタジーな世界ばかりを描いています。

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