誘惑Strawberry

 よく晴れた春の日の昼下がり、ねんちゃんは本丸ここへやってきました。
 ねんちゃん、というのは通称で本当はもう少しだけ長いお名前なのですが、この本丸に「ちいちゃな」刀剣男士はねんちゃんだけなので、みんなこの子を最初からねんちゃんとか、ちっさいの、とか呼びました。
 ……つまり『ちっさいの』がいるのなら『おっきいの』もいるわけです。
 自分と少し似ている見てくれで(本当はぜんぜん似ていないと思っているのですが、みんな似ていると申しますので少しだけ妥協してあげることにしています)、背は高く、烏のような真っ黒な髪と猫のような金色の目はおんなじです。右目がふさがっているのも、普段の衣装が黒づくめなのも、……あの子が大好きなのも。
 ねんちゃんは自分がどうしてばれたのかはよく分かりません。
 大きなほうの彼は──彼でなくてもこの本丸にいるどの刀剣男士も時折ひどい怪我をしてぐったり伏せっていることがありました。
「戦争だからね、しかたないのよ」
 あの子は悲しそうなほっとしたような、とても……複雑な顔をいたします。自分だって強く戦えるといつも思うのですが、ねんちゃんの参加させてもらえる戦争とは、朝の配膳の手伝いやお弁当のおしたくなどの、本丸の中の戦争だけでした。
 ねんちゃんは小さくとも長船派の祖、光忠の一振です。自分も誇りを持ってしなだかくありたいと思いますが、あの子はいつも曖昧に笑うだけなのでした。
 ねんちゃんの言葉が分かるのは鳥や虫や動物たち以外にはあの子だけで、それを大きな方は「彼女は僕たちとは違うからね」と表現いたします。
「僕たちは刀で、君は刀の小さな写しで、僕たちが出来ないことが出来るから彼女はここにいるのだから、彼女の邪魔をしたり困らせたりしてはいけないよ」
 困っているの? と振り仰ぐと彼女は大きい方を軽く、けれど決して厳しくも冷たくもない目でにらみます。
「私は困ってないわよ? 光忠さんはねんちゃんに厳しいんだから」
「だってこの子はなり、、は小さいけど、結局僕だからね。君の役に立ちたいという気持ちは当然あるよ──ねえ?」
 殆ど同じような色の目が自分に向けられます。だからねんちゃんはゆっくり重々しく頷いてみせるのです。
 ほらね、と大きい方が懐こい笑顔になります。大きい方は本当によく笑う刀なのでした。
 彼女はやわらかに笑い、指先でねんちゃんの頭を撫でてくれます。もっと触れたくて腕を伸ばすと彼女がそっと手のひらにすくいあげ、ねんちゃんの額と自分の額をぴたりとくっつけました。
 声は届かないけれど、そうやっていると自分の言葉が彼女の中に入ってくる、のだそうでした。
 僕も戦いたい。君を守りたい。
 ねんちゃんの訴えに、彼女はくっつけていた額を離して「あのね、ねんちゃん」そんな優しい声を出しました。
「私はもう十分ねんちゃんに助けてもらっているし、ねんちゃんはまだ小さいから光忠さんと一緒にすることは出来ないの。ごめんね……」
 言いながら彼女が大きい方を見上げます。大きい方が視線で縁側の、細長いプランターを指したようでした。ああ、と彼女が明るい声になります。
「そうしたら、仕事を一つお願いするね。とっても大事なこと。お願いしていい?」
 OK、まかせて! 
 ねんちゃんは大きく頷きます。
 彼女からお願いをされることはいつでも、なんだってとても嬉しいものなのでした。
「特別任務だね、すごいね」
 大きい方がまじめにうなずいてくれたのと『特別』という言葉をねんちゃんはとても気に入りました。だからますます胸を張ってみせます。
 彼女が『お願いね』の約束のために指先をねんちゃんの鼻先に差し出します。
 ねんちゃんは引き受けたの代わりにそこに自分の手をぺたりとあてて、以前教えてもらった『ハイタッチ』をしてみせるのでした。

◆ ◆ ◆

 ねんちゃんに与えられた任務とはつまり、イチゴ番でした。プランターのイチゴは春先に苗を買ってきて植えてみたのがそろそろ色づきはじめていて、日光にあてようとお昼の時間は彼女がいつも仕事をしている部屋のすぐそばの廊下に出されています。
 けれど小鳥や猫や虫たちが食べに来るかもしれないから見張っていてね、と言われたのでねんちゃんはプランターのそばを何度も見回りで歩いています。
 ぶらさがったイチゴはまだ匂いがほとんどなくて、鼻を近づけるとほんの僅かに青くて酸っぱい唾がわいてきます。少し前に食べさせてもらった、潰したイチゴに牛乳をかけたおやつとは違う果物にも感じてしまいますが、毎日少しずつ赤くなってくる実を見ていると、なんだかふんわりと優しい気持ちになれるのでした。
 時々ヒヨドリやキジバトやカワラヒワがやってきて、番人のねんちゃんに「少しだけ食べさせておくれ」とさえずるのですが、ねんちゃんは許しません。
 彼女が「収穫したら何か作ってあげるからね」と言ってくれるので、一所懸命守っています。
 イチゴはどんどん赤くなり、やがてふんわりと甘い匂いがするようになって参りました。とてもよい匂いで、見ているだけでひとつ失敬したくなってきますが我慢です。
「やあもうすぐだね。毎日本当によく頑張ってくれて僕も鼻が高いよ」
 大きいのも嬉しそうにしています。別に彼のためにやっているわけでは、ないのですけど。美味しそうと彼女も嬉しそうにしておりまして、はりきってねんちゃんはイチゴを守るのでした。
 そろそろかなと慎重に大きいのがプランターを覗き込んで出て行った日は薄曇りで、雨と土の匂いが強い日でした。時々イチゴを見に飛んで来るヒヨドリがやってきて、
「ね、どうにかしてひとつ、融通してくれないだろうか」
 そう、ねんちゃんに言いました。だめ、と首を振るのはいつものことなのですが、ヒヨドリはお願いだからと食い下がります。
「実はね、お嫁さんがもうすぐ卵を産むんだけど、あんまり元気がなくってね。甘くておいしいイチゴを食べさせてあげたいんだ。お願い、ひとつだけでいいから」
 ……そういえば、いつも一緒にいた一回り小柄なヒヨドリがいませんでした。
 ──お嫁さん?
 聞き返すとヒヨドリはうっとりと目を細めて笑いました。それは大切な大切な宝物を思いえがくときの優しい顔に見えたのでした。
 ねんちゃんは目をぱちくりさせ、それからそっと振り返ります。彼女は誰かと電話で話していて、なにやら小難しい顔をしておりました。そういうときはとても長くかかることをねんちゃんは知っています。お仕事の時は大抵彼女はそうなのでした。
 いつも握りしめていた小さな刀をぬいて、ねんちゃんは彼女から見えないようにプランターの裏側へ回り込みました。一番赤くて良い香りのするイチゴをぷちんと切って一口かじってみます。
 ──柔らかな果肉からじゅんと甘酸っぱい果汁がこぼれ、口の中でいっぱいに広がります。ねんちゃんが見張っている間にイチゴはこれほど美味しく育っていたのでした。誘惑にかられてついもう一口かじろうとし、急いでねんちゃんは抱えていたイチゴをぽんと縁側へ置きました。
 ──美味しくないし虫がかじっちゃったみたい。もう捨てちゃうね。
 そう言ってじっとヒヨドリを見ましたら、ヒヨドリはぱっとイチゴをかっさらって空へ飛び上がり、少し離れた枝でぺこりと会釈をたれてから、巣へ揚々うきうきと戻ってゆきました。きっとお嫁さんが待っていると思うとやわらかな気持ちになって、ねんちゃんはじっと見送るのでした。

◆ ◆ ◆

 イチゴが一個足りないことをねんちゃんは誰にも告げませんでした。彼女も何も言わなかったし、大きいほうは数をかぞえて少しだけ変な顔をしましたがやはり無言です。
 けれど、次の日のおやつに出たケーキには真っ白なクリームが塗られ、上には真っ赤なイチゴが品良く座っておりました。
「はい、ねんちゃんの分よ」
 器用に同じような三角にしてくれたケーキを口に入れますとスポンジの間には桃のシロップ煮が挟まって、イチゴではなくてもこちらも十分、とろけるようにおいしいケーキとなっているのでした。
「どうかしら?」
 彼女が聞くのでねんちゃんは大きく頷きます。スポンジはしっとり細かめで、桃はふるふるとおおぶりに柔らかく、生クリームからはふんわりミルクの匂いがして、イチゴは甘く香ります。
 よかった、と彼女が朗らかに笑い、大きいほうを振り返りました。
 大きい方は彼女に優しく微笑みました。それは昨日見たヒヨドリの笑みととてもよく似ている気がするのでした。


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サークル名:ショボ~ン書房(URL
執筆者名:石井鶫子

一言アピール
重厚細密なファンタジーと刀剣乱舞(燭台切推し)で活動しています。今回は刀剣乱舞のほうからねんどろいど刀剣男士燭台切光忠(が正式名称)・通称ねんちゃんのお話を投稿しました。こちらはねんちゃん本「星屑と輪舞曲(ロンド)」に収録されている1本です。

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