可哀想なコーボルト

 壁と言うのは、何であれ悲しい。
 日本と諸外国との自由貿易が始まって四年。横浜の居留地と言う限られた場所に閉じ込められた形になっている自分は、さしずめ籠の鳥か。
 縁側に寝転がりながら庭の桜を眺め、そんな事をぼんやり考える蒼吾そうご。蒼吾、などと名付けられているが、実際は英吉利と独逸の血を引く異国人だ。本名はソウゴ=フォン=レーベシュルフ。居留地内に在る英吉利公使館に仕える通詞である。ただし、自分としては日本と言う国を研究している学者であり留学生である、と思っている。
 居留地でも関所の近く、本村寄りの場所に蒼吾の〈籠〉は存在している。既に西洋の風によって造り替えられてしまっている港周辺とは違い、此処は旧態依然とした平屋の日本家屋だ。本村に住むある少年の祖母が暮らしていた家で、日本の風習を学んでいる身としてこれ以上の住処は考えられなかった。蒼吾は其処で使用人として雇っている少女と暮らしている。
ゆう
 起き上がる事もせず奥の間の掃除をしていた少女――結を呼ぶと、すぐに「はい」と声を上げて縁側の蒼吾の元に飛んできた。
「何か御用ですか?」
「茶でも淹れてくれないか」
「えぇ、すぐに」
 結は中の間を通り抜けて、勝手にある囲炉裏で茶を淹れ始めた。かちゃかちゃと湯呑みを用意する音が届き、妙に和んだ。
 思えば、こんな風にゆっくりと過ごせるのは此処だけだ。本国ではもちろん居留地でも仕事に追われ、学業の本分でもある和書の翻訳は少しも進んでいない。自分は何をしに日本までやって来たのだろう。そこまで考え、蒼吾は自嘲した。
 分かりきっている事だったからだ。
「蒼吾様、お茶入りましたよ」
Dankeありがとう
「だん……何です? だんけって」
「あぁ、日本語でありがとう、と言う意味だ」
 起き上がり、盆から湯呑みを取り上げる。口当たりの良い温度で淹れられた茶は美味い。彼女は謙遜するが、蒼吾は日本らしい生活を望んで暮らしている。その要望に、彼女は十二分に応えてくれていた。申し分ない。
 例えば、居留地で口にする物は渡来品ばかり。それでは本国で暮らしているのと変わらない。結はそんな自分に日本らしい食事や所作、そして伝統などを教えてくれる貴重な存在だった。
 もちろん彼女を側に置いている理由は他にもある。結は異国人である自分に笑んでくれた。ただ一度の笑みで、驚く程に惹かれたのだ。
 だが、それを結自身には言っていない。
 言ったところで、僅か一年しか日本に滞在できない自分にとっては何も変わらないのだから。いや、結の人生を変えかねない、と言う意味では余計に質が悪い感情だった。
「結、桜が散ってどれくらいが経つ?」
「そうですねぇ、十日は経った頃や思います」
 結は上方と言う地方の出身らしく、自分が学んだ物とは違った雰囲気の言葉を話す。抑揚も全く違っていて、それがまた柔らかで心地よい。
 そんな彼女に、神妙な面持ちで語り出す蒼吾。
「実は今まで黙っていたんだが」
「はい」
「この家には、何かいるな」
「へ……何かって……何です?」
 可愛らしく首を傾げる結の反応が可笑しくて堪らないが、それをおくびにも出さず続けた。
「前に、桜には妖が出る、と教えてくれたな」
「はぁ。でも、あれは言い伝えですよ? あ、分かりましたよ。蒼吾様、座敷童の事を言うてるんちゃいます?」
「ザシキワラシ?」
「家に憑く言われる妖怪で、居るとその家が裕福になるとか。ただ、邪険にすると不幸が襲うんですって。それを新しく覚えたんでしょう?」
 いつも言い負かされてばかりいるせいか。結は蒼吾より早く答えを口にできた事に、少し得意気である。彼女からの新たな知識を得つつも、しかし蒼吾はにやり、と口元を歪めた。
「多少似ているが、違う。此処にいるのは、コーボルトと言う醜い化け物だ」
「こぉ……え、でも、何でそれが此処に……?」
 怯えた様子で周囲を見回す結に、蒼吾は独逸の童話に描かれたコーボルトの事を語った。
 コーボルトは、嘘を吐いたせいで藁を金に換えてみよ、と無理難題を王に突き付けられた娘を、今後生まれる子供と引き替えに助けてやった。しかし、やがて王と結ばれ子供が生まれた際に娘はそれを拒んだ。するとコーボルトは、自分の本当の名前を当てる事ができたら子供は諦める、と提案した。当てられっこないはず。そう思っての事であったが、娘は人々からの知らせを頼りにコーボルトの真実の名前を言い当てたのだ。コーボルトは怒り狂い、地団駄をして床を踏み抜いた衝撃で体が二つに裂けて死んでしまった……。
「そう言う話だ」
 話し終えて見てみれば、結は悲しそうに眉尻を下げて口元を手で覆っていた。どうしたのか、と思い眺めていると、彼女は「可哀想や」と呟く。
「……何がだ?」
 敢えて尋ねると、結は唇を尖らせた。
「その、こぉぼると? です。やって、最後死んでしもたんでしょう? おかしいやないですか」
「おかしい?」
「最初に嘘を吐いて困りはったんは、その娘はんの勝手でしょう。確かに、こぉぼるとは子供をどうにかしようとしたんかもしれへんけど、まず嘘なんて吐かなければこぉぼるととも会わへんかったんちゃいますの? おかしいです、そんなん」
「落ち着け、ただの子供向けの話だ」
 文句を言っている内に腹が立ってきてしまったのか、口調を荒らげる結を宥める。彼女の実直さが想像以上で、複雑な気分だ。ただ単に、結をからかって終わろうとしていただけなのに。
 ようやく落ち着いた結が、ぽそりと零した。
「こぉぼると……うちに、おるんやろか」
「いたら……どうするんだ?」
「うちが、慰めてあげます。いっぱい美味しいごはん食べさせて、大変やったなって言います」
 その発想に、蒼吾は呆気に取られた。契約の代償に子供を奪うような化け物を相手に、そのような事までしてやろうと思う事自体が蒼吾にとっては衝撃的な事だった。
「はは……」
 気付いた時には、微かな笑いが漏れていた。それを目敏く発見した結が眉を吊り上げる。
「何が可笑しいんです?」
「お前は面白いな、本当に。作り話だよ、所詮」
 目を細めて湯呑みの茶を啜ると、それはすっかり冷めていた。結は、ようやくからかわれただけなのだ、と分かったらしい。むうっと頬を膨らませて自分の桃色の湯呑みに口を付ける。
 最初は、からかっただけだった。
 しかし思い知らされる。
 この家に、コーボルトはいない。だが、結が責めた〈娘〉はいる。嘘を吐いた挙げ句コーボルトを死に追いやるような……蒼吾自身だ。
 日本に憧れ、そのたおやかな文化を愛しいと思い長年の願いを叶えやって来た。ただ、それは本国から逃げて来た、とも言える。一年。たった一年でも逃げていたかった。ひたすら自由が、何者にも縛られない、そんな世界が欲しかっただけ。
 けれど、出会ってしまった。
 結。
 穢れた手で触れてはいけない存在、と言うものを生まれて初めて知った。この醜い感情を見せてはいけない彼女の側に、自分は存在している。自由を欲して渡来した日本で、蒼吾は自身の感情で雁字搦めになり息苦しさを感じていた。
 いっそコーボルトになれた方が楽なのかもしれない。それならば、結の優しさに触れる事ができる。そっと抱き締めてくれるかもしれなかった。
 可哀想なコーボルト。自分を裏切った〈娘〉を心の底から恨んでいる事だろう。だが、幸か不幸か。蒼吾が読んだその童話に、結に厳しく糾弾された〈娘〉の結末は書かれていなかった。
 だから、蒼吾自身の結末も闇の中である。
 ……壁と言うのは、何であれ悲しい。
 それが例え、自分が創り出した物だとしても。


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サークル名:be*be(URL
執筆者名:きと

一言アピール
BLを中心に活動中ですが、テキレボ5では幕末期の横浜居留地を舞台にしたNL恋愛小説の上巻を発行予定です。今回の話はその主要人物二人の、もしかしたらあったかもしれない一場面を書き出してみました。よろしければ本編も気にしていただけたら幸いです。

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