白い夜の乙女

 月のない夜、小さな赤子が産声をあげた。赤子を取り上げた老いた女性の皺だらけの手の中で、懸命に自らの生をうたう。温いお湯を丁寧にかけられて、赤に塗れていた赤子は本来の姿を表す。その姿を見つめ、ばば様と呼ばれている彼女は束の間時を止めた。その様子に、大きな仕事をやり遂げ、四肢を弛緩させていた女性が表情を曇らせる。ばば様は安心するように笑いかけた。
「綺麗な子だよ」
 老いた時を感じさせるようにゆっくりと話す彼女の口調につられるように、ゆっくりと母親となった彼女は腕に抱かれた子を見つめた。その娘は、両親のどちらとも異なる白い肌と僅かに生える白い髪の毛をしている。薄く開いた瞳は、薄い灰の色をしているのが微かに見えた。
 母は汗で額に張り付く前髪を払うと、もう一度我が子をまじまじと見つめた。小さな頭に触れると、温かさと柔さを感じる。嬉しさと、この子のこれからをおもうと、言葉が詰まった。喉のあたりで言いたいことが消えてゆくようだった。
「神に愛された子なんだ、幸せにおなり」
 ばば様が優しく語りかけるように告げる。柔らかい布に包まれた彼女はその言葉に答えるように穏やかな表情をしているように見えた。

 ゆき、と名付けられた彼女は、その白い肌のせいで日に当たることができない中で、温かい周囲の人々の温もりの中ですくすくと育っていた。里の子どもたちが農作業をしている間、彼女は里のねえさまたちに混じって機織りに精を出す。外の子どもたちの声に誘われるまま、陽の当たる場所に出てみたこともあったが、たちまち肌が赤くなってしまう。
 少女にとって、里の機織り小屋の中に籠ることは苦ではなかった。
 もうすぐ豊穣の祭り。その日は朝から実りに感謝し、最低限の作業を終えると歌い騒ぐ。そして、里の人々があつまるその日は出会いの場でもあり、求婚する場でもあった。あの熱気に包まれた空気が好きだった。その日のために、少女は熱心に織機を動かしていた。
彼女にとって、これが最後の祭りになることを知っている。白い髪と白い肌と透ける灰の瞳を持つ彼女は生まれたときから神にお仕えする社に遣わせようと言う話が何度も出ていた。その度にまだ早いと言われていたが、もう十になったゆきは祭りのあとに社に遣わせられることになるだろう。少女は、いいえを言うことができない。
 少女たちが鮮やかな衣を纏い、飾り付ける里の祭りの日。ゆきは遠くに聞こえる喧騒を聞きながらゆっくりと夜に向けての準備をしていた。日の出ている間は外に出ることのできない彼女は、夜に大事な役目を担っていた。昼の乙女と夜の乙女。二人の里の娘が昼と夜にそれぞれ、里と神のために舞う。里の娘たちにとって舞い手に選ばれることは誇りであり、何よりも喜ばしいこと。
背筋を伸ばし座ると、目を閉じる。すっと水の中に入り込んだような心地になり、喧騒がますます遠ざかる。残るのはひとりきりの静けさ。幾度も舞ったその動きを思い浮かべる。舞っている間は何も思い浮かばない。白さに溶けてしまうようだった。
 頭の中で一通りの舞を終えて目を開けると、目の前に少女が座っていた。
「すずねえさま」
 ゆきの言葉ににこりと笑う。呼びかけられた少女は烏のように黒い髪を結い上げ、シャラシャラとぶつかり合って音を立てる貝の飾りが白く輝いていた。すずは昼の乙女として舞うための衣装を身につけていた。夜とは違う鮮やかなその色と健やかな肌に、ゆきは目を奪われる。
「どうしているかと思って」
 舞の前に、立ち寄ってくれたことを知り、そっと手を取った。すずは、他の乙女たちと同じように気を高ぶらせているのではないかと思っていた。しかし、ゆきは穏やかな表情で目をつむり、背筋を伸ばし座っている。その表情を見たとき、ゆきはとうに覚悟を決めているのだと悟ったのだった。
「すずねえさま、ありがとう」
 すずの手を握った手が微かに震える。昼を知らない手が白い。
「ゆきは大丈夫な子ね。とても穏やかな表情をしていたわ」
 握られた手に重ねるように、もう片方の手を載せると、舞の拍子を指で刻む。それが、ゆきとすずの中の鼓動のようだった。
「ありがとう、それよりねえさま、お迎えがきたみたい」
 背中越しに聞くその足音の主が小さくため息を吐いた。すずが身体を捩って振り向くと、ゆきにも誰が迎えに来たのかが分かるようになった。ゆきより少しだけ年が上の少年は呆れた表情でゆきとすずを見つめていた。祭りの日らしく、十夜もいつになく明るい色合いの衣を身に纏い、普段は無造作に結わえている髪も整えていた。
「すず、里のひとたちが騒ぎ始めるよ」
 すずと十夜は姉弟だったが、十夜はすずのことを姉と呼ぼうとはしなかった。催促されたすずは小さく頷くと、ゆきに向きなおる。そして、そっと頭を撫でた。
「夜の舞、楽しみにしてるね」
 その言葉に嬉しそうに少女が頷く。繋いでいたすずの手が離れると、その温もりが消えた掌が寂しく思えた。
「ゆき」
 振り返らないすずを見つめていたゆきは、隣にまだ十夜がいることに気がついた。
「どうしたの?」
 すずねえさまはもう行ったのに、と続けようとして、その言葉を飲み込んだ。十夜がまっすぐにゆきのことを見つめていて、そんなことを言えるような雰囲気では無かったから。
「今夜、誰かに声をかけられても、断ってほしい」
 十夜の声は、冬の雪のように静かにゆきの中に降り積もっていくといつもおもう。そして、身体が冷たくなるように締め付けられる心地がする。
「あたしに声をかけるひとなんていないよ」
 ゆきは本当にそう思っていたけれど、十夜は誓いを交わすまで、納得してはくれなかった。必ず断ると誓ってもなお、どこか心配そうに見つめていた。その瞳がなにもかもを見透かしているようでゆきを不安な気持ちにさせる。
 すっと視線を外したのは十夜の方が先で、夜の舞を楽しみにしているとだけ告げて、家を後にしていった。残されたゆきだけが、遠くの喧騒を聞きながら、この気持ちをどうして良いのか分からないまま座り込んでいた。夜が来なければ良いのに、と初めて思った。決めることがゆきには怖かった。

 里のひとたちが輪になり集まる真ん中に大きな火が燃えていた。その周りでゆきは舞う。昼からの騒ぎで、里のひとたちはいつにない明るく、騒がしい雰囲気を醸し出していた。
 鼓が一つ夜の空へと響く。その音に合わせて、ゆきは足を踏み出した。目指すのは、輪の真ん中。白い衣を翻し、少女は進む。炎に照らされたその衣も、白い肌も、赤く染まっていくように思えた。歓声を上げていた人々も息を飲み、静けさが広がってゆく。伸びる指先、低く地につけた足運び、微笑む表情、彼女の全てがまるで神が降りてきたようだった。たん、と最後の拍子が鳴ったとき、長い眠りから覚めたように、人々は我にかえった。そして、彼女を取り囲むように歓声と声を掛け合った。
 ゆきにとって、その舞の間はひどく静かで炎の音も周りの音もなに一つ聞こえなかった。ただ、拍子の音だけが彼女を包んでいるように思えたのだった。だからこそ、最後の音を鳴らしたとき、彼女の耳に馴染んだ音が帰ってきて、それが却って心を落ち着かなくさせた。
最後の音が終わると、そこからは里の人々の時間だ。好き勝手に踊りだしたひとたちやゆきを捕まえようとする人々の中から逃げ出すように炎の影へとするりと入り込んだ。切られたばかりの切り株の上へと腰掛けると、ぼんやりと目の前の騒ぎを眺めていた。
 ゆきの両親が里司の方へと呼ばれていくのが見える。少女が飲むことの出来ない祝いの盃を代わりに飲むのだった。お酒を飲むことができない。どれほど少量であっても、口に含めばたちまち身体中が赤くなり、吐き気を催す。最悪の場合はそのまま吐いてしまう。
 名を呼ばれ、少女は近づいてくる人に目を向けた。
「十夜」
 十夜は燃えさかる火を背負うように近づいてくるので、その表情をゆきは見ることはできなかった。目の前に膝を立てて腰を下ろした十夜はしばらく口をきかなかった。普段から無口な彼が何も言わないのはいつものことで、ゆきも何も言わずに夜の空へと立ち上る炎と煙を見つめていた。空にはぽつりぽつりと星が輝いている。ふいに、十夜が口を開いた。
「すずの舞は伸びやかだけど、ゆきのは静かだと思った」
 その言葉が身体の中を擽っていくようで、ゆきは小さく笑いながらありがとうと、答える。そして、うれしい、と付け加えた。もう、里で舞うことはなかったとしても、それはゆきにとって大切な言葉で、忘れることはないと分かっていた。
 ゆき、ともう一度名前を呼びかけた十夜の声が掠れていた。彼はそっと口を噤む。今夜は豊穣の祭り。少女自身、何を言われるのかを理解していた。しかし、それは応えられない問いかけ。
 ゆきが首を小さく振ると、彼は寂しそうな瞳をして、彼女を見つめる。続きを告げることはなかった。言われなかった言葉に応えるように少女は少年の手を取った。小さくなった輪の中へと入る。向かい合って膝をおり、礼をすると鼓の音に合わせて踊る。そこへ、高い笛の音が響いた。
 ちらりと音のした方へ目を向けると、すずが鼓を打つ朧の隣に立ち、横笛を吹いていた。決まった音があるわけでもなく、おもうままに叩く音と吹く音はどこまでも高く響いていく。その音に合わせて、ゆきは十夜と目を合わせて笑い、そして踊る。少年と少女は、ふたりだけしか見えていなかった。
 音がゆっくりになり、笛の音がはじめに消え、鼓の音が一つ、とんと叩かれる。それが祭りの最後の合図。音が、夜の中に吸い込まれて溶けていく。静けさが辺りを包んだ。
 繋いでいた手が離れた時のぬくもりを、少女はずっと、忘れないだろうとおもった。


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サークル名:四季彩堂(URL
執筆者名:たまきこう

一言アピール
四季彩堂は、古書や古物を取り扱っております。古い本ですので、破れや汚れにご注意ください。扱う古書は主にファンタジーです。時折、刀剣乱舞に纏わる本が片隅に積まれていることがあります。

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