フワつく身体
1997年、少女は消えた。
1997年、渋谷から行方不明になった少女、立花加奈。一緒にいたと思われる世良田美頼だけが、千葉県内で見つかった。
2017年、美頼はその後、心身を病み、進学も就職もすることなく、命尽きようとしていた。
美頼は言った。
「カナは生きている」
警察官になった同級生の深川環の周辺で「タチバナカナ」という名前が浮上しはじめる。
そして、ある社会学者の自殺。
バラバラであると思われた出来事が「タチバナカナ」の名前の元に糾合していく。
「女子高生ブーム」を生き、「就職氷河期」「ロストジェネレーション」になった我々の時代を問う、衝撃のミステリー。
(過激なシーンがあるため15禁です)
文学フリマWEBカタログより
1997年に、何があったか。
女子高生の援助交際、神戸の連続児童殺傷事件、著名企業の破綻など読み進めるうちにはっきりと蘇ってくる。いつの間にか忘れていた、あの時代の空気が。
2017年に生きる女性警察官・環の視点と、その二十年前1997年の環の同級生・美頼の日記が交錯するようにして物語が進む。
失踪した同級生・立花加奈はどこにいるのか。本当に生きているのか。
1997年に高校時代を過ごし、20年後の2017年を過ぎた……小説の登場人物と同世代の、自分にとってはどれも読んでいて刺さる内容ばかりで一気に読み進んでしまった。
作中で登場する場所で圧倒的な存在感を放つ街、渋谷。
作中で渋谷についてこう語られている。
「渋谷という巨大な箱庭に、次々に細長い積み木が積み増されて行く。積み木は積み増される度に次はより大きなものを求める。
それが、ゼネコン頼みの日本の経済構造に由来することを知りつつも、あたかも渋谷という街そのものが自己増殖を望んでいるように環は思う。」
確かに、渋谷はいつもいつも工事をしていてどんどん街が新しく大きくなっていく印象が伴う。生き物のように。
高校時代に抱いていた渋谷のイメージは、援交女子高生がいて麻薬の売人がいる場所というものだったと思い出す。
あの援交女子高生たちは、どこに行ってしまったのだろう。女子高生でなくなった彼女たちは、などと心身を病み死に行こうとする美頼の姿から思わされた。
とりとめの無い感想だが「フワつく身体」は自立する鈍器、1997年から二十年後の今までを扱った社会派のミステリー小説である。
あの1997年という時代を体験した人もそうで無い人にも読んで欲しい一冊、お勧めしたい。
発行:すとわーるど
判型:A5 366P
頒布価格:1200円
サイト:不明
レビュワー:庭鳥