欲しかった花

Mist of War 2次創作

 ――『サルガッソ』へようこそ、『サルガッソ』へようこそ、『サルガッソ』へようこそ、『サルガッソ』へようこそ……
 猥雑な街の上を繰り返し流れる無機質な案内音声は、あふれる人々のざわめき、ワイヤーの巻かれる音、エンジンの駆動する音、ウォーハイドラの足が石の地面を踏みしめる音……そうした奇妙に熱のこもった喧騒に溶け込みながらも、完全に消え去ることはなく、耳に残り続けている。
 どこかの部隊がまたセクション1を突破してきたのか、それともほかのセクションから戻ってきたものたちがいたのか知れない。いずれにしろ、『サルガッソ』は来訪者を拒むことなく受け容れるだろう。そのあとに、かれらがどうなるかは分からない。ここまで〈霧と電磁波〉の中を苦労して辿りついたのだ――したたかに生き抜くか、あるいはこの街に蠢くものたちの餌にされるか。それはかれらの腕や運次第となる。
 地下の広大な空洞の中に急造された寄せ集めの町並みは、この遺跡に押し寄せたものたちのうずくまる巣穴だ。
 奥底に眠るものを求めて掘り返し、突き進むために設置されたベースキャンプは、ひとびとの思惑の中であっという間に街へ、そして一応の自治区へと成長を遂げた。それがいずれ覚めるあえかな夢の産物だとしても、人々は今に酔いしれ熱狂している。この世界の人間が浸るには相応しい夢だ。何せ、五年前にこの残像領域からすっかり晴れた霧が、ここにはまだ残っている。懐かしい昔の夢を見ているのだ。
 とは言え、遺跡のほかの場所ならいざ知らず、『サルガッソ』の中を一歩先さえ見えない霧が覆うことはほとんどない。五年前にお役御免になった〈除湿機〉を引っ張り出した連中が、昼夜を問わず(もっとも、この遺跡の中では昼も夜も分からないが)フル稼働させているから、せいぜいが人気のない時分にうっすらと靄をかけるぐらいだ。それが「夕刻」に差し掛かるころのこの時間帯ともなれば、視界を遮るものは何もない。人が多く熱気の溢れた区画から離れても、肌に触れる空気はどこか生温い。
 その生温い空気を裂くように、軽やかに少女が駆けていく。
 子供の姿は、『サルガッソ』では珍しい。そもそもここまで到達するためにはいくつかの区画を踏破する必要があり、この遺跡を発掘するハイドラライダーたち相手に商売をする者たちも、武装した護衛を雇っていることがほとんどだ。行商のために家族を連れてくるものはほとんどいないし、いたとしても自由にこの街を歩かせはしない。
 ただし例外はある。その子供がハイドラライダーであった場合だ。
「グロリア、北のほうへだけは行かないでくれよ。あっちはさすがに君が行くような場所じゃない」
「分かってるわ!」
 俺が声をかけると、グロリアはなおも数メートルを走り抜けてから、二、三歩片足で飛び跳ね、スピードを漸減した。眼鏡の奥の複雑な色合いをした瞳をきらめかせて、その場でくるりと回ってみせる。
「でも、危ない時にはあなたが守ってくれるでしょ、フィリップ?」
 からかうような笑みを浮かべて問いかけてくる彼女に、俺は勘弁してくれとばかりに諸手を上げた。
 軍事企業に航空会社に教団、果てはそれらの勢力争いをネタにするコロッセオのマッチメイカーまで、さまざまな勢力の意志を受けて遺跡に乗り込んできたハイドラライダーたち――彼女もまたその得体の知れない「ごろつき」たちのうちの一人であって、俺たちがふだん乗り込んでいるウォーハイドラが、いかにぶ厚い装甲を持った赤い巨人だったとしても、今のグロリアはただの十五歳の少女に過ぎない。俺が護りきれる自信も、当然なかった。
 もっとも、口ではそう言いつつも、自ら危ない場所へ出向くつもりはないらしい。彼女が今歩いているのは西の行政地区に近い、比較的治安のよいブロックで、人通りもそれなりにある。あまり見ない子供の姿にちらりと目を留めるものはいるし、その中にはガラの悪そうな連中もいないではないが、今のところは絡んで来る様子はない。もしかしたら、そのうちに絡んで来るかも知れない……と、俺が要らぬ気を揉んでいる間に、グロリアは上機嫌でどんどん歩いて行ってしまう。
 グロリアは、この『サルガッソ』がずいぶん気に入っていた。その質はともあれ、活気に満ち溢れたこの街は彼女の性に合っているのだろう。
「――あら?」
 と。
 ふと声を上げて、グロリアが足を止める。
 プレハブ小屋にテント、ハイドラの残骸を利用して作られた設備、合間を縫って屋根だけ体裁の整ったガレージ、と言った統一感のない街並みの前に、ひときわ雑然とした一角が姿を現していた。
 人がすれ違えるほどの道幅を確保したうえで、道の両側に簡易テントがずらりと並び、その下に様々な商品が並んでいる。霧の中でも劣化しづらい缶詰や真空パックに詰められた食料品をはじめとする、滞在者向けの日用品が売られる市場だ。多くが企業の支援を受けているハイドラライダーたちは、ここでの生活に困らない程度の必需品ぐらいは支給されているはずだが、市場を覗くものの中には、明らかにパイロットスーツを着ているものもいる。見れば、煙草や酒などの嗜好品が置かれている店もあった。
 グロリアが目を留めたのも、立ち並ぶテントのひとつ――「嗜好品」と言えばそうだろう。かつての残像領域ではほとんど見ることのなかった、鮮やかな色合い。
 つまり、花だ。
 種類ごとに分けられ、水の入ったバケツに入れられた色とりどりの花が、粗末なテントの下に陳列されていた。
 深い霧に覆われ、日照時間の限られていたかつての残像領域において、花と言うのはめったに見られない高級品だった。
 適切に「除湿」され、光源のある設備がなければ栽培できず、しかも野菜や穀物よりも需要が低いため、生花を見たことのある人間さえ限られていた。五年前に霧が晴れた後は、代わりに世界を覆った密林の中に花々が見出され、以前よりもずっと安価に手に入るようになっている。もっとも、この『サルガッソ』――霧と電磁波が残存する広大な地下遺跡の中では、この店に置かれているようなまともな花が自生するはずもない。
「わざわざ外から運んできたのかしら」
 眼鏡の奥の大きな瞳を瞬かせ、グロリアが小さく呟いた。
「そうだな。遺跡の中にわざわざビニルハウスを建てて育てたってことはないだろう」
「遺跡の外に出れば、花なんていくらでも見られるのに?」
 ……『サルガッソ』はそもそも遺跡発掘のために形成されたキャンプで、腰を落ち着けて永住するような場所ではない。
 アパルトメントを借りたり、ガレージを設置したりして長期滞在するようなものもいるが、俺たちは外とこの遺跡を頻繁に出入りしている。この地下遺跡は外の世界を一時忘れられるほどに広大だが、隔絶された空間ではない……だから、必要な物資であればともかく、危険を冒して花をここに並べる意味は、確かにない。ここを通りがかる客も、グロリアと考えていることは同じなのか、売れ行きは芳しくないようだった。
「でも、綺麗でしょう?」
 グロリアの言葉に応えたのは俺ではなく、店先に立っていた青年だ。花など、すぐに枯れてしまうだろうに、この時間までバケツの中にたくさんの花が残っていることを気にしていないのか、のんびりとした顔でいる。あるいは、この遺跡に花を並べていること自体が、誇らしいとでも言うような表情だ。
「ええ、そうね」
 頷いて、グロリアは花々へ目を向けた。眩しささえ感じられるような紅い花や、小さな白い花が寄せ集まったようなものや、中には花のついていない穂だけが入ったバケツもある。それらを一通り見た後で、グロリアは顔を上げて、くるりとこちらを振り返る。
「フィリップ、あたし花が欲しいわ」
 その言葉に、俺はどう答えたものか迷った。金がないわけではない。ハイドラライダーは命がけであるのと引き換えに、出撃ごとに高額な報酬を受け取っている。ここに並ぶ花々をすべて買い占めたところで、彼女の懐は少しも痛まないだろう。けれども、急に彼女がそんなことを言い出した理由が分からなかった。
「もう……だから、あたしに似合う花を選んで欲しいの!」
 唇を尖らせて、グロリアはそう言った後で、あとはだんまりを決め込んでしまう。と言うことは、もはや彼女の期待に応えなければならない。
 俺は、きょとんとした顔の青年と目を合わせて、愛想笑いを浮かべようと努めた。

◇ ◆ ◇

「ずいぶんたくさん包んでもらったのね!」
 きれいに束ねられ、薄い紙で包まれたたくさんの花を抱えて、グロリアはご機嫌だった。
 結局、選びきれずに目についたものを適当に頼んだだけなのだが、喜んでもらえたのなら間違った選定ではなかったのだろう。彼女はいつも華やかに笑うが、ハイドラに乗っている時のあの鋭い笑みとは違って、こういう時はなお年相応の少女に見える。
 ……俺はその横顔を眺めながら、グロリアが俺にわざわざ花を選ばせた意味について、ぼんやりと考えていた。それが、彼女にとって――俺たちにとって、いいことなのか、悪いことなのか、それについて、俺は彼女になにかを伝えるべきなのか、そういう答えの出ないことを。
「とっても綺麗よ、ありがとう、フィリップ」
「喜んでもらえたならよかった」
 俺は結局それだけ言って、彼女の後ろをただついていくことにした。いつもそうやって、問題を先送りにして、考えないようにしているのだ。
 花束はしばらく操縦棺の中に飾られていたが、ほどなくして萎れてしまった。
 見る影もなく色褪せた花々を棄てることをグロリアに納得させるには、ずいぶんと骨が折れた。


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サークル名:イヌノフグリ(URL
執筆者名:ω

一言アピール
イヌノフグリは可憐な花の名前がついたサークルですが、今回も若い男を苦しめます。

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