蜂と蜜


恋愛短編集。部屋と彼氏と女の子たち「へや」。部屋と彼氏と女の子たち「プルメリア、カシスローズ」。31種類のアイスクリームケースの向こう側「ラヴ・ポーション・サーティーワン」。他1本、計4本収録。

 女性の手による恋愛ものは観念的で比喩が多く、セックスの描写がゆるい。男性の書く恋愛ものは外観の描写が多く会話的で、セックスの描写はむしろ少ない(いずれも18禁は除く)。
 これもそんな1冊だと思う。観念的で色彩的、叙情的で説明を拒否されているにも関わらず噛んでしまう、干し貝柱だ。口の中でひたすらくちゃくちゃ噛みしだいているうちに味がにじみ出してくる感じ。

 4本収録されているが、あえて同じあらすじにくくった「へや」と「プルメリア、カシスローズ」がこの本に流れている「女性的な気怠い甘ったるさ」の根底を成していると思う。

 「へや」は服飾の専門学校生同士が女同士の強い諦念で結ばれている物語。そこに本来、男は要らない。けれど彼女たちは「男の子」を探さないといけないね、と語り合っている。男ではなく、男の子だ。自我が薄くて優しさと気弱さの区別が付かないような男の子。彼女たちが結ばれていることは読者からみれば瞭然なのだが、認めてしまえば崩れてしまうと思っているのだろうか。自我の強いもの同士、お似合いだと思うんだけどな。

 「プルメリア、カシスローズ」は自分の崇拝者である大学の同級生のひたすらな甘さを苦々しくも可愛らしくも思っている主人公のラッピングの物語。隠す収納、なる言葉を思わせるとおり何でも可愛いもの、憧れるもの、に包んだり隠したり、見せびらかしたりひけらかしたり。崇拝者はそのどれにも感歎し共感し感動しては褒めちぎる。

 主人公の女の子の薄っぺらい感じはまさしくふつうの女の子、ちょっと気取って背伸びして自分を可愛く知的に見せたいと願う痛々しさを感じさせて胸にしみる。大学生の頃、そんな女の子たちを山ほどみてきた。それをふと想起させる普通っぽさ。普通、だから自分が特別だと思いたいんだろうなと思う。

 対して崇拝者の子もよくありがちな、野暮ったく、価値観が平たく、人のものはよく見えてしまう自信のなさとそれ故の大胆さを持ち合わせた普通の子。普通の子同士が一人の男性を取り合うように見えていて、実際に取り合っているのは価値観なのだ。
 悲しいかな、彼女たちは年相応に幼く愚かで、そんな男は取り合う価値もない屑野郎だし、他人を挟まなくてはならない価値観なんてくそくらえってことをわからない。その愚かしさも、年齢にラッピングして包んでしまえば甘苦い恋。

 甘くないと見せかけて追憶の甘い香りを思い出したい方に。


発行:@RayShibusawa
判型:A5 90P 
頒布価格:500円
サイト:@RayShibusawa

レビュワー:小泉哉女