姫たち(『創月紀 ~ツクヨミ異聞~』より)

 薄い産毛だけをまとった、小さな人の原型が、白いきぬに包まれて眠っている。「愛らしい」と褒めそやされるそれが、果たして本当に可愛く、いとおしいものなのか、子供のいない立花姫には判別ができない。けれど、そんな赤子に向けられる母親の視線は、深い慈愛をたたえていた。
「男の子です。お世継ぎさま」
 褥の上で半身を起こした母親……沙羅姫が言った。産前から体調を崩し、一時はかなり危うい状況だったというが、出産から丸一日を経て、いまは顔色も戻りつつあるようだった。
 沙羅姫は、晦国かいのくにの王太子、弥皐やたかの妻だ。このたび初の出産に臨み、見事に世継ぎとなる男子を産んだ。
「ええ、おめでとう。沙羅」
 立花姫の言祝ぎに、沙羅姫は「ありがとうございます」と微笑んだ。
「殿下もひどいお方ね。まだお戻りになられないなど……」
 昨日生まれた赤子の父親である王太子は、一昨日の昼頃から忽然と姿を消してしまっていた。従者たちが慌てふためいて方々を探し回ったところ、どうやら馬に乗って野へ下っていったことがわかった。
「わたしがあまりに苦しそうにしていたものだから、殿下もおつらくなってしまわれたのでしょう」
「妻とお腹の子の一大事というときに、臆病風に吹かれて逃げてしまっただけではないの。王太子でありながら、腰抜けにもほどがあるわ」
 弥皐は幼い頃から武人としての才覚を発揮し、近頃では戦上手の王子として近隣の国にも知れ渡るほどの人物だ。そんな人をして腰抜け呼ばわりする日が来ようとは、と立花姫は心底呆れていた。
「殿下が遠い戦場へお出になることはよくあることですし、命を懸けてなにかを成さんときには、却ってお互いが遠くにいるほうが良いのかもしれませんわ」
 怒りも露わな立花姫に対し、沙羅姫はそう言って朗らかに笑った。
 沙羅姫を穏やかで繊細な人柄だと思っていると、こういうところで意表を突かれる。剛胆な武人の妻らしく、なにごとに対しても大らかで動じることがない。
 けれども立花姫は、少しは動揺してほしいとも思う。
「さあ、煌々きらら、ご挨拶を」
 立花姫は、おのれの横にちょこんと正座し、丸く大きな瞳を見開いて赤子の様子をじっと見つめている少女に言った。若々しい華やかな柄の着物が似合う、とても愛らしい顔立ちの姫だ。
「あなたの兄上のお子よ」
 食い入るように赤子を見ていた少女は、立花姫の言葉にはっと我に返った。沙羅姫に「おめでとうございます」と言祝ぎの言葉を述べると、続いて赤子に向かって「初めまして」と呼びかける。
 それから、沙羅姫の顔を上目遣いに見上げ、おずおずと問いかける。
「手に触れてみても良いかしら?」
 煌々の言葉に、沙羅姫は「もちろん」と頷いた。
 許可を得た煌々は、赤子の小さな手に指先でおそるおそる手を伸ばし、指先でそっと触れてから、手のひら全体で柔らかく包み込んだ。感触を確かめるように、手の力を強めたり弱めたりを繰り返す。
「子供って、こんなに小さくて柔らかいのね」
「ええ。でも、この小さな子が、やがて殿下のような立派な男子になるのですよ」
「そうなの?」
 煌々は驚いた様子で再び赤子を見下ろした。煌々が生まれたばかりの赤子を見るのは初めてだ。彼女のなかで、兄の弥皐と目の前の赤子の繋がりもまだ理解できていないのだろう。
「兄上の手はすごく大きいのよ。もっと固くて、形もこんなに丸くないわ」
「それは殿下が長く武人として精進されているあかしです。はじめは皆こんなに柔らかく小さなからだで生まれてくるのですよ」
 「そうなんだ」と呟いた煌々は、確かめるようにまた赤子の手を握った。赤子は大人しいもので、小さく寝息を立てている。
「煌々、あなたもいずれ裳儀を済ませれば、相応しい殿方と結婚して子をもうけることができますよ」
 煌々が赤子に興味を示すさまが微笑ましたかったのだろう、沙羅姫が言った。けれど、その言葉に対し顔を上げた煌々は、沙羅姫を見てはっきりと首を横に振った。
「いいえ、沙羅の姉上。わたしは立花の姉上のようになりたいの」
 あっけらかんと言う輝姫に、二人の様子を横から眺めていた立花姫は表情を険しくする。
「だって、立花の姉上は父上の末の妹だから、結婚せずにこの大内の女官たちを取り仕切るお仕事をされているのでしょう? わたしだって末の妹だもの、立花の姉上のように、結婚などせずにお仕事をしてみたいわ」
 この国の王族にはしきたりがあり、宮中の女官たちを取り仕切る役目を、代々王家の末の娘が担ってきた。生涯結婚をしない、女には珍しい生き方だ。今上の王の末妹である立花姫が、現在はその役目を預かっている。
「これは、毎回代替わりをするわけではないのよ。わたしはまだ二十五だし、沙羅のお子が大人になって、さらに子を産むまではわたしもまだまだ働いていられるでしょう。代替わりをするのなら、あなたや、ほかの姫君たちが産むであろういずれかの女子に譲ります」
 立花姫から見て、煌々は姪にあたる。確かに煌々も王の末娘ではあるが、彼女はおそらく立花姫のように宮中に留め置かれることはないだろう。彼女の実の姉たちのように、いずれかの貴族のもとへ嫁ぐことになるはずだ。
「なぜそんないじわるを仰るの? わたしだって兄上や姉上たちをおそばでずっとお支えしていきたいわ」
 王家や貴族の女の役目は、血縁を繋ぐことに終始する。女子が生まれれば、その時点で嫁ぎ先や結婚相手まで決まってしまうことも珍しくはない。けれど、煌々がそういった教えに対してたびたび反論を唱え、教師を困らせているという話は立花姫の耳にも入ってきていた。
「なぜ女は、生まれたときからもう次の子供を産むために生きていかなければならないの? 立花の姉上のように、自分でものを考え、人を采配をして、公を支えていくことのほうが、きっとよっぽど楽しくて、生きているって思えるのじゃないかしら?」
「煌々」
 立花姫は咎めるように名を呼んだ。女がおのれの領分を超えてずけずけと自分の意見を主張するなど、はしたないことだ。しかも、いま、沙羅姫とその子供の前でこのような発言をするなど。
 煌々は、立花姫の語気に圧されて口をつぐんだ。険悪になった空気を、沙羅姫が咄嗟に取りなした。
「立花さま、煌々は煌々なりに、この晦王家を支えたいと言っているだけですわ。どうか、厳しくなさらないでください。……ねぇ、煌々。あなたは大好きな兄上や立花さまをお支えしたくて、だから立花さまのようになりたいのよね?」
 煌々は目を伏せたまま、こくりと頷き、小さく付け加える。
「……沙羅の姉上もよ……」
「ありがとう、煌々」
 沙羅姫は親が子に言い含めるように優しく、煌々に語りかけた。
「煌々、わからなくてもいいですから、わたしの考えを聞いて、覚えていてください。わたしは弥皐さまの妻であること、この子の母になれたこと、とても誇りに思っています。……良き妻となり、良き母となること。これは女にしかできない、この世で一番難しく、けれど誇りある生き方です」
「…………」
 煌々は否定をしない代わりに、首を縦に振ることもしなかった。自分の考えを聞き入れてもらえなかったことに対して、眉根をぐっと寄せて黙って耐えている。
 そのとき、閉ざされた襖の向こうから、女官の声がした。
「沙羅姫さま、殿下のお戻りにございます」
 まあ、と沙羅姫が呆れたように息をつく。けれど、白いその頬が、ぱっと明るく色づくのを立花姫は見た。
「ようやくお帰りね。煌々、わたしの代わりにお出迎えしてくださらない?」
「はい!」
 先ほどまでの沈んだ様子から一転、弾んだ声で返事をした煌々は、ぱっと立ち上がるや、風のように部屋を飛び出していった。
 廊下を軽やかに走り去る足音を聞きながら、立花姫は沙羅姫に向き直り、詫びた。
「ごめんなさい、沙羅。煌々ときたら、あなたの気持ちも考えないで……」
「いいえ、あのように自由に考えて意見をはっきり述べるところは、なんだか殿下を見ているようです。あの兄君にしてこの妹君あり、といったところでしょうか」
「けれど、いつまでもあんなものの考え方をするようでは……この先が思いやられるわ」
「あら。わたし、立花さまは煌々と同じお考えだと思っておりました。あの子が憧れる女御さまですもの」
 立花姫は顔をしかめて、沙羅姫の顔をねめつけた。対する沙羅姫は、にこりと微笑んで首を傾げる。言外に「違いませんよね?」と念を押すように。やがて立花姫は、あなたには適わないわね、と立花姫は小さく呟いた。
「正直に言えば、煌々の言うことも分からなくはないわ。宮中で陛下や家族をそばでお支えできるのは嬉しいし、誇らしい。……でも、あの子が思い描いているような、楽しいばかりの生き方でもないわ」
 立花姫が懸念するのは、煌々の考えそのものよりも、彼女が自分に対して過度な希望を抱いていることだ。立花姫の役目を、楽しくて生き甲斐のあるものばかりだと思っているなら、彼女はいずれその期待を裏切られることになるだろう。
「煌々なら、大丈夫なのではないですか」
 立花姫の不安を掬い取るように、沙羅姫が言った。
「わたしのように妻となってお世継ぎを産む者も必要なら、立花さまのように結婚とは別のかたちで殿方たちを支える者もまた必要です。煌々……てる姫さまも、また彼女がこうと思うやり方で、王家と国を支える女になれれば良いと、わたしは思います」
「……その言葉、絶対にあの子の前で言ってはだめよ。「沙羅の姉上が仰いました」と言い訳されてしまえば、わたしもあの子を叱るのが難しくなってしまう」
「もちろん、言いませんとも」
 あなたも内緒よ、と沙羅姫は赤子の唇を人差し指で触れる。まだ目の開かない赤子は、女三人の会話など知らぬ存ぜぬで眠り続けていた。
 遠くから煌々のはしゃいだ声が戻ってくるのが聞こえる。それに答えるのは、四人で待ちわびた待ち人の声だ。


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サークル名:さらてり(URL
執筆者名:とや

一言アピール
ファンタジージャンルで活動中です。テキレボ4にて、和風ファンタジー『創月紀 ~ツヨクミ異聞~』第四巻(完結)刊行します。他に、異世界ファンタジー『フォニとザクリ』、和風短編集『輝石の歌』など。

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姫たち(『創月紀 ~ツクヨミ異聞~』より)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 浮草堂美奈 より:

    女の人たちのきらきらした空間が目に浮かぶようでした。

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